さて、大運動会は、
思わずハッスルしてしまう、大運動会でした。
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コメント
- おねいさん [2009年11月28日 8:49]
- TMSFお疲れさまでした。
ピットウォークでしたから、間近の写真が撮れるんですねー 掲載してくださってありがとうございます♪
今シーズンも応援ありがとうございました。 - こだわりkoike [2010年2月1日 20:20]
- おねいさん>
今年もよろしくお願いします。
スーパーGT開幕まで、待ちきれない僕です。
あなたのブログにコメント投稿されたものです。
さて、大運動会は、
思わずハッスルしてしまう、大運動会でした。
TMSF99のイベントを見に行き、
駐車場から、総合案内所まで歩いて、
富士スピードウェイ30度バンクメモリアルパークへ寄りました。
なぜコースの安全上の理由から使用されなくなった理由は、
1974年の富士GC第2戦でスタート中に黒沢元治選手、北野元選手が接触し、
北野選手のマシンが弾かれ、
走ってた鈴木誠一選手のマシンと風戸裕のマシンが巻き込まれガードレールに激突し、
マシンが炎上し、鈴木誠一選手がマシンに乗ったまま焼死、
風戸裕選手が救急車で運ばれる途中に亡くなり、最悪な事故となった。
この事件を起こした黒沢元治に無期限出場停止(1975年8月2日に解除)、
警察から書類送検された。
あの悲惨な事故がなかったら、
30度バンクで、トムスのGTカーが走る姿を見たらどんな思いでしょうか?
行ってきました、
TMSF2009はトヨタF1が富士で最後の勇姿を披露する事もあり、
雨が降ったり、止んだりする天気でした。
左から二人目はトムスのGTエンジニアの東條さんで、
2008年からフォーミュラ・ニッポンのエンジニアも兼任です。
2009年のフォーミュラ・ニッポンのマシン
2009年のトムスはF3では、マーカス・エリクソン選手がチャンピオン、
チームは2005年から続くタイトル獲得。
スーパーGTは全日本GT時代から3度のドライバータイトル、
チームは5回獲得(1997年、1999年、2006年、2008年、2009年)しました。
トヨタが2009年限りでF1を撤退し、
特に気になるのは、日本人ドライバーの行方だ、
中嶋一貴選手と、小林可夢偉選手の行方だ。
可夢偉選手が今期初ポイントとったのに、
まさかトヨタがF1撤退なんて、今でも信じられない気持ちです。
一貴選手は、トムスF3時代に、
今はチームルマンでFニッポン、スーパーGTでエンジニアをつとめる、
山田健二さんに鍛えられたこともあるので、
健二さんはとても心配だと思う。
トムスは1998年、タイヤを変更します。
ブリヂストンからダンロップに変更し、
関谷選手のパートナーは、フォーミュラ・ニッポンで活躍し、
F1チームのザウバーで走ったことのある、アルゼンチン人のノルベルト・フォンタナ選手です。
鈴木利男選手のパートナーはケルビン・バート選手です。
しかし表彰台の頂点には1度もありませんでした。
シーズンオフには、ダンロップタイヤが撤退し、1999年はミシュランタイヤに変更します。
開幕前には悲しい事件が起きてしまいます。
トムスの舘信秀監督の息子で、レーシングドライバーの舘信吾選手が、
テスト中の事故で21歳で亡くなってしまいました。
トムスで走り、タイサンのフェラーリやポルシェをドライブし、
1998年に信吾選手のパートナーだった鈴木恵一選手は引退を決めてしまいました。
トムスは36号車は関谷選手と黒沢琢弥選手、
黒沢選手は元日産ワークスドライバーの黒沢元治選手の息子です。
鈴木利男選手のパートナーは1997年にF1を引退した片山右京選手です。
もう1台はマツモトキヨシのスポンサーで走るマシンで、
山路慎一選手です。
パートナーはかつてトムスのCカーで走っていた元F1のピエール・アンリ・ラファネル選手です。
そしてトムスはチームタイトルを獲得し、
ドライバータイトルを逃してしまいました。
富士スピードウェイの富士1000キロで、トムスはマツキヨスープラ1台のみで参戦し、
土屋武士選手を3人目のドライバーとして参戦し、クラス優勝を果たしました。
土屋武士選手は2000年関谷選手のパートナーとして参戦、
マツキヨ号は1999年のコンビとは変わらず、鈴木利男選手のパートナーは荒聖治選手です。
しかし2000年、カストロールカラーのトムスのマシンは表彰台に登れず惨敗となりました。
10月に関谷選手が引退を表明してしまいました。
関谷正徳選手のカストロール・トムス・スープラのマシンは思い出が残ってます。