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TMSF大運動会で

2009-11-27 20:00:26 | TOM'S

さて、大運動会は、

思わずハッスルしてしまう、大運動会でした。

 

 
さー、負けられないぞ!!!!!!!!
 
 
となりのチームには負けたくないぜ!!
 
 
LF-Aのタイヤ交換選手権なんかやってみたいです。
 
LF-Aはサーキットが似合う。
 

 

 


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

おねいさん [2009年11月28日 8:49]
TMSFお疲れさまでした。
ピットウォークでしたから、間近の写真が撮れるんですねー 掲載してくださってありがとうございます♪

今シーズンも応援ありがとうございました。
こだわりkoike [2010年2月1日 20:20]
おねいさん>

今年もよろしくお願いします。
スーパーGT開幕まで、待ちきれない僕です。

懐かしの30度バンク

2009-11-23 12:30:17 | 日々雑感

TMSF99のイベントを見に行き、

駐車場から、総合案内所まで歩いて、

富士スピードウェイ30度バンクメモリアルパークへ寄りました。

 

 

なぜコースの安全上の理由から使用されなくなった理由は、

1974年の富士GC第2戦でスタート中に黒沢元治選手、北野元選手が接触し、

北野選手のマシンが弾かれ、

 

走ってた鈴木誠一選手のマシンと風戸裕のマシンが巻き込まれガードレールに激突し、

マシンが炎上し、鈴木誠一選手がマシンに乗ったまま焼死、

 

風戸裕選手が救急車で運ばれる途中に亡くなり、最悪な事故となった。

 

この事件を起こした黒沢元治に無期限出場停止(1975年8月2日に解除)、

警察から書類送検された。

 

あの悲惨な事故がなかったら、

30度バンクで、トムスのGTカーが走る姿を見たらどんな思いでしょうか?

 


TMSF2009

2009-11-23 09:31:17 | TOM'S

行ってきました、

TMSF2009はトヨタF1が富士で最後の勇姿を披露する事もあり、

雨が降ったり、止んだりする天気でした。

 

左から二人目はトムスのGTエンジニアの東條さんで、

2008年からフォーミュラ・ニッポンのエンジニアも兼任です。

 

 

2009年のフォーミュラ・ニッポンのマシン

 

2009年のトムスはF3では、マーカス・エリクソン選手がチャンピオン、

チームは2005年から続くタイトル獲得。

 

スーパーGTは全日本GT時代から3度のドライバータイトル、

チームは5回獲得(1997年、1999年、2006年、2008年、2009年)しました。

 

 
TMSF大運動会、ジャッキ、タイヤ担当は耐火服を着用しなければなりません。
 
つづく・・・・・・
 
 

 


トヨタF1の撤退で

2009-11-15 16:16:08 | 日々雑感

トヨタが2009年限りでF1を撤退し、

特に気になるのは、日本人ドライバーの行方だ、

中嶋一貴選手と、小林可夢偉選手の行方だ。

 

可夢偉選手が今期初ポイントとったのに、

まさかトヨタがF1撤退なんて、今でも信じられない気持ちです。

 

一貴選手は、トムスF3時代に、

今はチームルマンでFニッポン、スーパーGTでエンジニアをつとめる、

山田健二さんに鍛えられたこともあるので、

 

健二さんはとても心配だと思う。


1998年から関谷選手の引退まで

2009-11-13 12:02:29 | TOM'S

トムスは1998年、タイヤを変更します。

ブリヂストンからダンロップに変更し、

関谷選手のパートナーは、フォーミュラ・ニッポンで活躍し、

F1チームのザウバーで走ったことのある、アルゼンチン人のノルベルト・フォンタナ選手です。

 

鈴木利男選手のパートナーはケルビン・バート選手です。

 

しかし表彰台の頂点には1度もありませんでした。

シーズンオフには、ダンロップタイヤが撤退し、1999年はミシュランタイヤに変更します。

 

開幕前には悲しい事件が起きてしまいます。

トムスの舘信秀監督の息子で、レーシングドライバーの舘信吾選手が、

テスト中の事故で21歳で亡くなってしまいました。

 

トムスで走り、タイサンのフェラーリやポルシェをドライブし、

1998年に信吾選手のパートナーだった鈴木恵一選手は引退を決めてしまいました。

 

トムスは36号車は関谷選手と黒沢琢弥選手、

黒沢選手は元日産ワークスドライバーの黒沢元治選手の息子です。

 

鈴木利男選手のパートナーは1997年にF1を引退した片山右京選手です。

 

もう1台はマツモトキヨシのスポンサーで走るマシンで、

山路慎一選手です。

 

パートナーはかつてトムスのCカーで走っていた元F1のピエール・アンリ・ラファネル選手です。

 

そしてトムスはチームタイトルを獲得し、

ドライバータイトルを逃してしまいました。

 

富士スピードウェイの富士1000キロで、トムスはマツキヨスープラ1台のみで参戦し、

土屋武士選手を3人目のドライバーとして参戦し、クラス優勝を果たしました。

 

土屋武士選手は2000年関谷選手のパートナーとして参戦、

マツキヨ号は1999年のコンビとは変わらず、鈴木利男選手のパートナーは荒聖治選手です。

 

しかし2000年、カストロールカラーのトムスのマシンは表彰台に登れず惨敗となりました。

10月に関谷選手が引退を表明してしまいました。

 

関谷正徳選手のカストロール・トムス・スープラのマシンは思い出が残ってます。