静岡のタミヤサーキットに近い、
小鹿公園に桜が咲きました。
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今年からフォーミュラ・ニッポンから、
スーパーフォーミュラとなり、
トムスが開幕と最終戦のみスーパー・フォーミュラに参戦する。
ジェームス・ロシター選手です。
ジープラの「ドライバーの愛車自慢」で、
エネオスルマンの大嶋選手や、GT300の谷口選手は、
トヨタ86で、大嶋選手サスペンションのチューンして、
谷口選手は86のエンジンにH.K.Sのスーパーチャージャを装備してます。
日産期待の若手、千代選手は、
R34スカイラインの4ドアで、スカイライン最後の直列6気筒です。
脇坂選手は、レクサスLSで、
レクサスチームのドライバーはLSが多く、
脇坂選手は、ホンダからトヨタに移籍してからトヨタ・セルシオから、セルシオがレクサス店に移動してからはLSを乗ってます。
最後の極めつけは、
ジープラの中尾の愛車が1972年のアメリカのダッジ・チャレンジャーとは、
驚きました。
エンジンは排気量が7リッターで、パワフルがあり、
大事に乗ってますね。
愛車は個性があっていいですね。
3月11日は東日本大震災が起き、
2011年の東北が壊滅し、死者、行方不明者が多数出た。
日本に悲しい出来事が起きた。
それからもうひとつの3月11日は、
日本のレース期待の若手だった、舘信吾選手が亡くなった日だった。
舘信吾選手はトムスの舘会長の息子で、
1997年にトムスのF3で日本レースにデビューし、
N1耐久ではセリカ、GT500のオールスター戦でスープラをドライブし、
1998年にはつちやMR2でGT300のチャンピオンに輝いた。
そのときのパートナーはチーム・タイサンで、
フェラーリーやポルシェで活躍した鈴木恵一選手だった。
1999年にチーム・ルマンに移籍し、
GT500でスープラをドライブする予定だったが、
シーズンが開幕する前の岡山のテストで大クラッシュし、21歳の生涯を終えた。
鈴木恵一選手は信吾選手の通夜で号泣し、
レーサーの引退を決めた。
もし信吾選手が生きてたら、
トヨタの代表する国際レーサーになってたかも知れません。
鈴木恵一選手もどこまでレーサーを続けたか、
わかりません。
今日のジープラは、
「GTドライバーの愛車自慢」です。
かつて「激走!!GT」でやった企画が、
ジープラで復活しました。
かつては道上選手はホンダのインスパイア、GTドライバーはいろいろな車に乗ってます。
どんな愛車なのか、楽しみです。