80年代後半、トヨタのグループCの開発、トムスのカローラやスープラで活躍し、
横浜タイヤのアドバンレーシングで活躍したレーシングドライバーがいました。
鈴木恵一選手です。
トヨタのツーリングカーで活躍し、
横浜タイヤのレースブランドのアドバンのレースを支えてました。
僕にとったら、アドバンカローラレビンのレーサーのイメージが強いが、
サーキットでは「どんなマシンを操るレーサー」でした。
1996年のJGTC300で、タイサン・ポルシェで新田守男選手と組んで、
GT300クラスのチャンピオンに輝き、
1998年にMR2で舘信吾選手と組んで、GT300クラスのチャンピオンを2度獲得しました。
しかし、1999年3月にレーサー活動を終えるきっかけが起きました。
1998年のチームメイトの舘信吾選手がテスト中に事故死してしまい、
精神的にショックを抱えてしまいシーズン開幕前に引退を決めました。
あまりにも悲しい幕引きでした。
現在はメンテナンスガレージKTRを興し、
GT300のハンコックKTRポルシェの監督です。