なんつーか。。。
この「親鸞会は息苦しい・・・。」シリーズ。。。
「初めの頃」は、
「よっしゃー! 親鸞会の書籍にまるまるツッコミを入れよう~! ٩( ๑•̀o•́๑ )و」
・・・つー、軽いノリで始めたのですが。。。
書いているうちに、予想以上に「引用文が多く」なってしまい、
「記事として」「収拾がつくのか」「疑心暗鬼」になったりもしましたが。。。
それでも、やっっっと!!
このシリーズが、最後のトンネルをくぐり抜け「最終章」に入って、
正直「ホッ♡」としています。。。(笑)
・・・ってコトでラストスパート!!
「つづき」を進めていきますね~。。。(๑•̀ㅂ•́)و✧
▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█
全国に、御縁を結ばれた人達は、三十周年記念大会に、各地より参詣され、善知識との出会いに、感涙にむせんだ。
そして、求道の情熱を燃やし、その後も、各地において、活躍を続けている。

・・・という「記念撮影が出てきた」というコトは!!
あとは「高森先生のお言葉」と「あとがき」を残すのみ・・・
・・・だったのですが、 せっかくなので!!
「うわぁ~な檄文」でずっと叱咤してきた、
「総部隊長 XXXXX」さんの「体験記」も載せてみたいと思います。。。(`・д´・ ;)ノ
((・・・ってか、この「令和の時代」に読むと、この本は、かなり「ドン引きする内容」なのですが、
でも「昭和の時代」は普通だったのかもしれません。。。))
だって。。。
「昭和40~50年代の自衛官」
・・・っつーのはどうやら「こんな感じだったみたい」なので。。。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

こ、こ、コワひぃぃぃ。。。

・・・ってコトで「この時代」の「親鸞会」や「創X学会」のノリは、
じつはコレが「フツーの光景」だったのかもしれませんね。。。(^▽^;)ノ
▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█
🔶無上仏、善知識に動かされて 総部隊長 XXXXX
((とりあえず、順番は「弥陀が先」なので、まずはよかったのですが、この先さらに進むと。。。(^▽^;)ノ))
九月三十日、人が寝静まり、街の灯も消えた午前十二時。
「高森先生、苦悩に喘ぐ群生海は、私達の来るのを待っておられました」
「高森先生、全部隊目標突破出来ました」
人気のない駅の待合室を飛び出て、トイレを空けては、ゴミ箱のフタをとっては、
気狂ったように我々は叫びました。
((お、お巡りさぁ~ん、コワひぃぃぃ!!たすけてぇ~~~!!ε=ε=(。゚っ´Д`゚)。っ))
日本列島を震撼させた大顕正戦。三十周年記念大会、参詣予想を大きく上まわり、
「決死報恩 真宗改革」のシュプレヒコールと共に、灼熱の大顕正戦は幕を閉じた。
夢の如く、三ヵ月の法戦は終わったが、さまざまな思いが胸をよぎる。
六月二十五日、神戸にて、大顕正戦出陣の指令は下った。
我々は、茫然として、この後、決まっていた日程の調節をして活動地へ帰った。
そして、一週間後、本部会館の屋上にて、高森先生総指揮のもと、真宗史上かつてない大顕正戦が展開され、
異例の出陣式が挙行なされたのである。

同志は、今から何をなそうとしているのか、事の重大さが少しずつ分かってきた。
それから、出陣までの三日間、一方では開発ブロックの研修会をやりつつ、片方では戦場のような準備がなされた。
徹夜三日間、戦地に向かう前より、クタクタの肉体であった。
しかし「無上仏と共に活動する私達には、この世に恐れるものは、何物もない」
との高森先生のお言葉を胸に、心だけは明るかった。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
((これはいわゆる「原理主義」という「自力心をこじらせ過ぎた思想」ではないでしょうかね~? (^▽^;)ノ))
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「特攻隊員を送る心境だ。己の顕正に徹せよ」との高森先生の激励を受け、我々同志は、七月六日、
全国へ飛び立った。全国の会員も一斉に立ち上がり、炎天下の中、杖をつき、足を引きずり、
倒れては起きあがり、ポスターはり、チラシ配りを連日行った。
睡眠時間は二時間、朝四時からチラシ配り、チラシ印刷は夜中の一時二時までかかった。
その甲斐あって、参詣者は五名、十名の時もあったが、二度三度と法話を聞く毎に、潮が引くように人は散ってゆく。
八月六日、岐阜聴聞の為一時、帰還した。体は倒れる寸前であったが、高森先生のお元気なお姿を拝見し、
聴聞によってガソリンを給油し、やらねばならぬ、みなぎる闘志と共に、戦地へ散っていった。
残された期間は一ヵ月余り、顕正相手は、指折る数もない状態である。

戸別訪問・家庭法話会・チラシ配り、一日千軒を目標に、仏縁深き方々を探し求めた。
一ヵ月に三足の靴を履き捨てた。しかし、真実求めている人には、めぐり遇えず、活動費も底をつき、
会場費も、バス代も、事欠くようになった。
何を見ても白いご飯、一晩でもいいから、畳の上で足をウーンとのばし、大の字になって寝てみたい。
ランドリー代もなく、夜公園にロープをはり、洗濯物を干す。ヨレヨレのワイシャツ、
異臭をプンプン放っての家庭訪問が続いた。
忘れもしません。八月十七日、最高会議の席上で、高森先生は、
「みんなが暑い中、戦っていると思うと、こんな冷房の中で会合しておれぬ。みんな食べたいものを
食べていないのだろう。これで一杯ご飯を食べ、思う存分活動しなさい」
と暖かく御心をかけて下さった。
↑
((コッチは搾取する「高森会長側」の誘導手口))
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

((まさに「世の中の縮図」だね。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
((で!コッチは搾取される「会員側」への扇動手口))
↓
高森先生の御援助を手にし、我々は無上仏の前で固く誓った。
「何としても、何が何でも必ずや、高森先生の御心にお応えするぞ。今までのような、なまぬるい活動で、
仏縁深き方々に出会えるはずがない。一回一回がこの市での今生最後の説法である。
一人でいい。必ずやこの真実伝えきるぞ。もし聞き求めるまで相手を燃やせなかったのは、
自分の叫び方が足りなかったのだ。その時は、説法の場で舌を嚙みきって朽ち果てるのみだ」
斬るか斬られるか、一座一座、必死であった。我が身の後生の一大事、アキラメルことは出来ぬ。
この市に、真実求める人がいないはずはない。最後の最後まで、我々は執念一つで戦い抜いた。
それからは、偏に、無上仏の壮大なドラマが演ぜられたのである。
「あなたのような方が、いつ来られるのかと、待っていました。
後生の一大事とは地獄に堕つることだと、父から聞かされていました。
((「地獄」は「私の行い」の「結果の世界」だからね。。。日頃、私は「どんなコトをしているか」だよね。。。(^▽^;)ノ))
今の本願寺は、念仏称えていたら、死んダラ極楽と説教し、
親鸞聖人の御教えは、こんな教えではないはず、どこかに、必ず真の知識がおられると信じておりました」
((「本願寺のお説教」に「後生の一大事が抜けている」からこうなるんだよ。。。(´・ω・`)ショボーン))
我々は耳を疑い、そして仏壇をみて、目を疑った。なんと御本尊は、六字の御名号ではないか。
又今まで何度もチラシを配り、法話を聞いたが、仏縁深き方に遇えない。もう明日という日はない。
九月二十九日、一晩でチラシ五千枚を手配りした。終わった時は血を吐く思いであったが、
「初めてこのチラシを手にしました。是非とも聞かせて下さい」
真実求める方が陸続としてあらわれたのである。三ヵ月総合計、ポスター十七万枚、
チラシ配布枚数二百七十万枚、我々同志は、種をまき続けたのみであった。
無上仏、善知識、高森先生の絶大なる御念力によって、全市に三名、目標を大きく突破し、
全部隊目標達成したのである。三ヵ月ふり返って、高森先生と共に心歩ませて頂いた大顕正戦であった。
((「無上仏」>「善知識」>「高森先生」なんだけれど、次の文ですぐに「高森先生」が出てくるコトで、
やっぱり「高森先生の絶大なる御念力」が強調されるんだよなぁ。。。(´・ω・`)ショボーン))

スゴイ宝を我々はお伝えしているのだ。体にかけて、今ようやく知らされた。
絶望のどん底で、仏縁深き方々に出あったこの喜び。信心決定の境地とは雲泥の差だが、
言葉にならないこの慶喜、後生の一大事を急がずにおれないと、求道心が脈打ってくる。
((コレよコレ!! 「どうしたら後生たすかるか?」は・・・
「心身共に」「絶望のどん底を味わう求道」の先に「後生の一大事の解決がある」・・・と
ここで「錯覚させられちゃう」んだよ。。。(´・ω・`)ショボーン))
我々は、苦悩に喘ぐ群生海に飛び込み、一対一の個人顕正に徹し全身、涙と汗と泥だらけになって、
仏縁深き方々を、善知識高森先生のみもとへお連れする。
これ一つが専任講師に課せられた、生涯の大使命を痛感せずにおれぬ。
今は、唯、いつ高森先生より、出陣の号令が下ってもよいように準備万端整え、指令を待つのみである。
正に、大顕正戦は、善知識高森先生の真実開顕の血のにじむ、ご念力の結晶であった。
((最後は「お決まり」の「高森先生の絶大なるご念力」を「褒め称えて」終了です。。。(^▽^;)ノ))
▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█
そして。。。
大顕正戦は「大成功のフィナーレ」を迎え、
「めでたしめでたし♡」・・・ってコトで、
「高森会長先生」の「ありがた~いお言葉」で〆られます。。。( ̄▽ ̄;)ノ
▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█
善知識高森先生は、大顕正戦に出陣された戦士一堂に、祝賀会を、催して下された。
それは本末転倒であり、我々が高森先生を招待させて頂かなければならないことである。
その上、一人一人の、感想に御指導を頂いたのである。
その一部を紹介させて頂こう。

🔶会長先生のお言葉
「入会していただく」とか、「入会していただいた」とか「入会してもらう」など使ってはならない不浄言葉である。
法の尊さが分からず、法をけがす言葉になる。
仏法の安売りをしてはならない。無上の法を説いているのだ。
「入会した」「入会された」と言うべきである。
「入会させて下さい」と願う人に、「入会を祝福します」という気持ちでなければならない。
世間の物を売ったりするようなこととは違うのだ。
これは仏法が最高の教えだから、非常に尊い法だから、言うのであって。私や皆さんが偉いからじゃない。
仏法はそう簡単に聞けるもんじゃない。聞きたければ、話してあげよう。
聞きたくなければ聞かずともよいと堂々としていなければならぬ。
君達は、法の道に専任する専任講師である。獅子の様に毅然とした態度をしておらなならん。
また、それと同時に大切なのは、頭を下げてでも聞いてほしい。
あなたが仏法を聞いて下さるなら、何べんでも頭を下げます。私のようなものの話をよく聞いて下さいました
という気持ちが大切だ。
この二つの気持ちが、いっしょにならなければならない。大顕正戦でどんな気持ちで戦ってきたかふりかえってもらいたい。
法の立場から言えば、
「無上の法をどうか聞いて下さい」と頭を下げてくる、そんな人でなければ会員ではない。会員にさせてはならない。
機の立場から言えば、私の様な者の話でもよく聞いて下さいました、という心がけがなければならない。
▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█
ってコトで、大顕正戦「列島燃ゆ」は以上です!!
このあとは「あとがき」を残すのみですが、
皆さんは「この本」の「構成」「プロット」をどのように思われたでしょうか???
この「シリーズ」で引用したのは・・・
🔶「誰が書いたのかわからない」「まえがき」
🔶「総部隊長が書いた」「激文」
🔶「誰が書いたのかわからない」「挿入文」
そして
🔶「高森先生の書いた」「表白文」と「高森先生が仰った」「お言葉」
でしたが。。。
今まで読んできた「高森先生の段落」と「それ以外の段落」は。。。
いったい何が違うのか、わかりますか???
( ̄m ̄〃)…!
じつは、この「高森先生のお言葉」ってのはさ。。。
「昭和のモラル」「禅宗」「儒教」の「視点」から見れば、
そこまで「オカシナコト」を言っていない んだよ。。。
裏を返せば「余計なコトは一切言っていない!」
むしろ「お優しく慈悲深い聖人君子」に徹している でしょ。。。(笑)
そして。。。
「大衆という親鸞会会員」を「地獄の苦で煽り」「焚きつけ」「扇動している」のは、
「支配している黒幕」ではなく「その取り巻き」(笑)
「自分で手を下さず」「他人にやらせる・言わせる」コトで
「自分の評価」を最大限に持ち上げる・・・と。。。
そんなところかなぁ。。。(^▽^;)ノ
たしかに、高森会長がよく「わしゃ、そんなコト言っとらん!!」
・・・って、そういう言葉を口にしていたけれど、
そりゃそうさ、「取り巻き」に言わせているんだから。。。(笑)
あとで状況が悪くなっても「言わせた奴を捨て駒」にして逃げられるしね。。。
だから、、、
こういう「手法」を平気で使う! のが「独裁者」。。。
こういう「手法」を平気で使う! から「独裁者」になれる。。。
それは「高森先生」もまた然り。。。
・・・ってコトで、
(かなり賢い)「詐欺の手法」がよ~くわかる「事例の一冊」でした。。。(; ̄3 ̄)~♪

▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█
🔶あ と が き
まず、自己の、後生の一大事解決したいという、燃ゆるが如き求道心、決死の信念がなければ、
真実の信心を伝えきることはできない。
真宗改革の大事業を果たすこともできない。
これから、第二次、第三次の大顕正戦が、敢行されるであろう。
更に、厳しい戦いになるに違いない。
しかし、我々は如何なることがあっても、今回、知らされた事を忘れず、より、熾烈な自己の顕正に臨まねばならない。
自分の力で、やっているという慢心を捨てて。
真実開顕は、あくまでも、無上仏のドラマだから。

((最後は「浄土真宗 原理主義」お約束の「シュプレヒコ~ル」で閉幕っす!! (¯―¯٥)ノノ))