浄土真宗・他力信心の境地

「他力信心のお味わい」を「お聖教の引用」ではなく「私の言葉」で書き連ねています。

「ふと」あるときの「他力の境地」

2023-12-31 18:18:18 | 【他力信心の詩】

「弥陀の救い」を「振り返り」。。。

「ひそかに」「思案してみるに」。。。

 

「たのむ一念」の「たのむ」って。。。

「当時」と「今」では、意味が違う。。。

「当時」は「お願いする」ということで。。。

「今」は「おまかせする」ということに。。。

 

 

それでは「何を」「まかせるの?」。。。

「私の後生」を「まかせるの?」。。。

「私の後生」は「どうなるの?」。。。

「私は死んだら」「どうなるの?」。。。

「この世の中」は「因果の世界」。。。

「善因楽果」「悪因苦果」。。。

 

 

「私」は「良いコトしてますか?」。。。

「私」の「良いコト限界で!」。。。

「縁起次第」で「色を変え」。。。

「私の都合」で「変化します」。。。

「困ったこと」に「自覚なし!」。。。

「自覚があって」も「表面上」。。。

「自覚なし」に「迷惑かけて」。。。

「やることなすこと」「自己中心」。。。

 

 

それで「後生は」「明るいの?」。。。

それだと「後生は」「闇の中」。。。

それなら「後生は」「どうすれば?」。。。

 

「後生は」「弥陀が引き受けて」。。。

「必ず救う」と「誓っています!」。。。

「私」は「何をすればいい?」。。。

「私」は「そのまま弥陀任せ」。。。

 

 

それでは「納得できません」。。。

「その納得」は「いりません」。。。

「弥陀」は「条件つけません」。。。

「私」に「条件つけません」。。。

「ありのまま」の「お救いです」。。。

 

「私の懸命」「いりません」。。。

「迷智の努力」「いりません」。。。

「弥陀が」「ご用意くださいます」。。。

 

 

「南無阿弥陀仏」の「ご名号」。。。

「既に」「届いているのです」。。。

「願行具足」の「ご名号」。。。

 

「私のはからい」「とれたなら」。。。

「私を場にして」「活動中」。。。

「そのとき」「はじめて気づくのは」。。。

「この空間」は「名号だらけ」。。。

 

 

「南無阿弥陀仏」の「智慧」と「慈悲」。。。

「それで」「充満しています」。。。

「どこもかしこも」「南無阿弥陀仏」。。。

「このまま」「命が尽きたなら」。。。

「南無阿弥陀仏」の「はたらきで」。。。

「そのままお浄土」「仏さま」。。。

 

 

「そんな世界」が「あるなんて」。。。

「ホント」に「今まで知らなくて」。。。

「知ってしまえば」「嬉しい限り」。。。

「歓喜踊躍」の「お念仏」。。。

 

 

「私の心」は「南無阿弥陀仏」。。。

「諸仏の心」も「南無阿弥陀仏」。。。

「七高僧」も「南無阿弥陀仏」。。。

「祖師聖人」も「南無阿弥陀仏」。。。

「妙好人」も「南無阿弥陀仏」。。。

「み~んな」おんなじ「南無阿弥陀仏」。。。

 

 

「おんなじ心」で「南無阿弥陀仏」。。。

「喜ぶ心」も「南無阿弥陀仏」。。。

「悲しむ心」は「逆変換」。。。

「やっぱりなんでも」「南無阿弥陀仏」。。。

 

「行住坐臥」「なにをしてても」。。。

「結局」ココに「収束するよ」。。。

「後生嬉しく」「今嬉しい」。。。

「死ぬ」も「生きる」も「無問題」。。。

 

 

「他力の信心」「獲たならば」。。。

「すべてに生かされ」「南無阿弥陀仏」。。。

「おかげさま」の「南無阿弥陀仏」。。。

「御恩報謝」の「南無阿弥陀仏」。。。

「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」。。。

「頭が下がる」「南無阿弥陀仏」。。。

 

 

 

最後は「方便法身の詩」でまとめてみました。。。

みなさま、よいお年を~。。。(*^。^*)ノ

 

 

( ・ω・ฅ*) バイバイキ~ン♪


【小ネタ(その27)】「人間のエゴ」が強めなしょ~もな「5連発」

2023-12-30 17:17:17 | 【小ネタ】

ココ直近の「約2ヵ月間」は、

「れおん」的に「比較的まともな記事」(当社比)の「部類」
・・・を取り留めもなく
「13話」も放出 してしまい。。。( ̄O ̄;)ノノ

「れおん」のブログ本来の「醍醐味」(←じつは仏語)である

「アホ要素」
「すっっっかりご無沙汰」 になっていました。。。(^▽^;)ノ

 

も、も、
申し訳ございません。。。(o*。_。)oペコッ

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・・・って!!

「ご迷惑をかけてまことに申し訳ありません」
(しばらくの間)「お許し下さい」

・・・とか言いながら。。。

 

アンタの「心の中」は、そんなコト
「1ミリも思ってナイよね?」

・・・と思うのですが!! (¯―¯٥)ノノ

 

それはさておき。。。

 

じつは、この「しょ~もなシリーズ」。。。

「ご無沙汰すぎ」て「以前のコト」をすっかり忘れてしまい・・・

「今回がいったい第何弾なのか?」

それすら思い出せなくなっていて。。。(´・ω・`)ショボーン

でも・・・な~んとなく

「アホ要素」を取り入れて
バランスを取らなきゃ、やべーよなぁ。。。」

・・・という「よくわからない危機感」を感じましたので!!

((えっ?? ウソつけ~!! (・◇・)ノ))

 

久しぶりに、

この「昔ながら」の「しょ~もなシリーズ」を書きながら

「年末のご挨拶」とさせていただきます。。。(*^。^*)ノ

 

そして、いつもながら「気がつく」と・・・。

「ネタ」だけは集まってしまうワケで・・・

 

|•ω•,,)チラッ♡

|•ω•,,)チラッ♡

|•ω•,,)チラッ♡

 

((・・・って、「くまモン」
マジ、こえぇ~んだよ!! ฅฅ°́Д°̀))ギャァァァ ))

 

 

ってコトで!!

 

今回は、前回(2023年4月更新)の「心の闇ネタ」

・・・の方向性をすこ~しだけ変えて・・・

ヒトって結局は・・・
「自分第一主義」!!
だよなぁ・・・という「人間のエゴ」を

「昭和」の「申し訳ありません看板」のコイツ

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・・・のように、

「ピックアップ」していきたいと思いま~~~す。。。(¯―¯٥)ノノ

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※注)「人間のエゴ」をテーマにしているので、
      全体的に「後味の悪い記事」になっています。。。(^▽^;)ノ ゴメンネ~♪

【エントリーナンバー①】「蛇足」

「本願成就」の「南無阿弥陀仏」は。。。

「信」も「行」も「真実」の。。。

「願行具足」の「南無阿弥陀仏」。。。

「無分別智」で「平等」で。。。

「欠け目がない」のが「南無阿弥陀仏」。。。

 

でも。。。

私たちが称える「南無阿弥陀仏の名号」は。。。

「自力心」だと「余計なもの」が付随しちゃう。。。( ;∀;)ノ

 

「念仏称えよ」「かならず救う」。。。

「念仏を」「称えて聞いて受け入れよ」。。。

「支配欲」が付随した。。。

「命令形」の「南無阿弥陀仏」。。。(lll-ω-)ズーン

 

「命令」は。。。

「上下関係強要」の「分別」ともなう「南無阿弥陀仏」。。。

「無条件のお救い」「余計なモノ」を足してしまう。。。

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寒い~♪ 夜だ~か~ら~♪

「冷やし中華」あたためました♡

・・・って、

「余計なコト」するなよな。。。(´・ω・`)ショボーン

ヾノ´-ω-`)アゥトアゥト

 

・・・ってね。。。(´・ω・`)ショボーン

 

 

「良かれ」と思ってやるけれど。。。

「親切心」が仇となる。。。

「正義感」が仇となる。。。

【エントリーナンバー②】「中身は一緒」

「自分をよく見せた~い♡」

「自分がよく見られた~い♡」

「良いヒトだねって思われた~い♡」

「賢いヒトだねって思われた~い♡」

・・・って、思っているソコのアナタ~♪

 

(= ̄∇ ̄=) ニヤ (= ̄∇ ̄=) ニヤ

「本質を誤魔化す」
のに、よ~く使われる手法

・・・がコチラで~~~す。。。( ̄▽ ̄)v

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「くじらカレー」です!!

「残酷!!」ヾ(*`Д´*)ノ"

 

・・・な~んて。。。
激しく「怒られ」てしまいましたが。。。(´・ω・`)ショボーン

それが「魔法の言葉」にかかると。。。

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「スパイシー ホエールカリー」
「プロヴァンス風」です!!

な~んて「言葉を変えて演出」しようモンなら・・・

「ステキ~♡」(*ノωノ)キャ〜♡
・・・ってね。。。

 

なぜか「喜ばれ」てしまいましたとさ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

 

ハハハ・・・いったい、どっちなのよ。。。╮(︶﹏︶")╭

 

 

・・・で、

コレを「応用する」と

「詐欺」「詐称」「誘導」にも使えちゃいマ~~~ス ♡(≧∇≦)ノ

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就活の落とし穴!❝ ブラック企業 ❞ (笑)

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「ヨコ文字」大好き「東京都知事」!!(笑)

・・・ってコトで、

 

 

「カタカナは」
「本質かくしに」「便利よね」♡ ( ̄m ̄〃)…。 

【エントリーナンバー③】「中身は何処へ」

コチラは上述の【エントリーナンバー②】「中身は一緒」

とは「ちと異なるパターン」の。。。

「本質がどっかにイっちゃった系」

・・・の手法で~~~す。。。(笑)ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)www

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・・・って!!

「タピオカ」のない「タピオカドリンク」なんて。。。

「タコ」の入っていない「タコ焼き」とか

「四次元ポケット」のない「ドラえもん」

みたいなモンじゃん!!

それだから「300円」なのね。。。(´-∀-`;)

そんでもって、コッチは。。。

「誰得?」
「ナゾ」の「店長と握手できる券」だそうで。。。(笑)

((でも、まぁ「10円」なら・・・。(笑)ꉂꉂ(๑˃∀˂๑)アハハハ ))

【エントリーナンバー④】「○○警察」

「2020年前後」から・・・

「○○警察」とかいう「民間正義団体」

がめっちゃ増えてきました。。。(´・ω・`)ショボーン

「マスク警察」「自粛警察」「環境警察」「モラル警察」

・・・等々。。。( ;∀;)ノ

 

「れおん」は、まぁまぁ、

「こ~んな見た目」と「こ~んな性格」なので・・・

「○○警察」には、いっっっつも怒られます。。。(´・ω・`)ショボーン

「れおん」個人のハナシですが、「ウチの子供(小学生)の靴」を捨てるときに。。。

「成長期の子供」って、イキナリ大きくなるから、

「2~3ヶ月くらい」で、すぐに履けなくなってしまうのですが。。。

それで「大量の靴」を捨てにいったら、案の定、

「こんなに捨ててもったいない!! 持ち帰れ!!(*`Д´)ノ」

って、近所のじ~ちゃんに怒られました。。。(´・ω・`)ショボーン

まぁ・・・「お年寄り」が非常に多い地区に住んでいるので「致し方ない」のですが・・・。

((「子供」ってのは、急激に成長するんでね・・・いつまでも「子供じゃない」のよ。。。
「高齢者目線」で考えないでよね。。。( ;∀;)ノ))

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最近小さなお子様の遊んでいる声がうるさいという苦情が寄せられています。
地域住民の方には、退職されて家にいる時間が多いお年寄りの方、
テレワークの方、夜勤明けの方など
お昼の時間でも静かな環境を確保したいという方がいらっしゃいます。
是非想像力を働かせて、
地域のみなさんが気持ちよく生活できるようにご協力をお願いいたします。

 

・・・ってな感じで、

「正義のヒーロー」とやらも、
「誰にとっての正義なのか?」

・・・によって、事情は変わってきます。。。(´・ω・`)ショボーン

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・・・・・・・・・・。

 

((((_ _|||))))ドヨーン…。

 

そんでもって

「正義」が踏みにじられると
「結末」はこうなるコトがしばしば。。。(¯―¯٥)ノノ

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((「SNSの炎上」なんて、その「最たるモノ」だしね。。。(´・ω・`)ショボーン))

 

こ、こ、ココで一句、ヨイですか???

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「世の中の」「正義の反対」「悪じゃない」
「正義の反対」「誰かの正義」

 

『クレヨンしんちゃん』『野原ひろし』

「正義の反対は悪なんかじゃないんだ」
「「正義の反対」は「また別の正義」なんだよ」

・・・は「古典的メタファー(隠喩)」(←さっそく横文字)で言い換えると、

「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、
如来の御こころに善しとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、善きをしりたるにてもあらめ、
如来の悪しとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、悪しさをしりたるにてもあらめ・・・」
(歎異抄後序)

・・・になり、じつは「まったく同じ意味」となります。。。( ̄▽ ̄)v

【エントリーナンバー⑤】「そのままが一番」

まぁ、そんなこんなで・・・

何をやってもダメな「わたし」だけれど。。。

「阿弥陀様の救い」は「無条件」。。。

「そのまま」だから「無条件」。。。

「キレイな景色」は「そのまま」「キレイ」。。。

「生き物」だって「そのまま」が一番。。。

「見栄を張っても」疲れるばかり。。。

だから。。。

特別、着飾るコトもないんじゃないの???

「わたし」は「わたし」のままでイイ。。。

「煩悩あっても」救われる。。。

「穢れていても」救われる。。。

「なにも足さず」「なにも引かず」。。。

 

「阿弥陀様の救い」は「無条件」。。。

「そのまま」だから「無条件」。。。

「ありのまま」が「一番ステキ」。。。

だから。。。

特別、着飾るコトもないんじゃないの???

 

まぁ・・・コレは、コレで「面白い」んだけどね。。。(笑)

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・・・・・・・・・・。

 

 

ꉂ л̵ʱªʱªʱª (ᕑᗢूᓫ∗)˒˒爆笑!!!

 

・・・って、まぁ、

そういうコトなのですよ♡(*・∀-)bグッ♪

 

ねっ♡ ( *¯ ³¯*)♡ㄘゅ

 

 

 

((お~しまい♪))


「機責め教団へのツッコミ」と「仏法の結論」(13/13)【「救いの結論」は「現在完了」④】

2023-12-28 13:13:13 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

・・・てか、

「浄土真宗辞典が・・・
いったい「何故」こんなコトになっているのか???

 

( ^ω^)・・・。

 

・・・ってのを考えてみると、

じつは「れおん」の「愛読書」にも。。。(ー∀ー;)

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「開かれた信心と閉じられた信心」(8ページくらいから)

蓮如上人の『御文章』-宗名の章「一の十五」にあるが如く、
「自余の浄土宗はもろもろの雑行を認める、わが聖人はこれを是認しない」ところに
「【真】の一字を加えた」とあるのは至言である。
この浄土異流は「名号」を彼方に【静的に】おかれているが、
このような信仰が「宗教そのものの一般常識」であろう。

かつて先哲は、『教行信証』行巻の「大行」を「行体」と「行相」に分別し、
【行体の名号の「活動相」を称名】とされている意が知られる。
「念仏」とは【動的に】【正しく動いている】「名号法」である。

宗祖が愛用された「十字名号」【帰命尽十方無碍光如来】
その「十字名号」の内容を開いたものが「十二光」であり、
宗祖は特に、最後の【超日月光】に最も注意されている。

(なぜなら)日月の光はいつでも、どこでも、だれにでも既に出世以前から与えられているが、
これらは、かくれる場所も逃げることも可能である。
(しかし)「南無阿弥陀仏の名号法」は、
いつでも、どこでも、だれにでも、自ら求めるより先に既に与えられているのである。
このことは、今ここに存在しているこの私の上に自ら求めるより先に既に与えられ、
【はたらきかけつつある】ことを意味する。

しかも「十二光」の内容は一光一光が「南無阿弥陀仏の妙用」を示されたものである。
この十二光を一つに統摂したのが【無碍光】といわれる。
はじめの無量光と無辺光はいつでも、どこでも、この私の存在するところは、
より先に既に与えられ【はたらきつつある】ことを意味する。
これを具体的にいうと、「南無阿弥陀仏」には逃げる場所もかくれる場所もない。
しかもその内容は、このわたしの(後生)すくわれない心配も、(後生)どうしたらたすかるかという心配も、
すべて【「南無阿弥陀仏」の上に先に取られ無用】となっているのである。

それは『御文章』-「四の八」にあるが如く、
【この私の往生定まりたる証拠】が「南無阿弥陀仏」なのである。
あたかも今日の「ただ今の天気」の如くである。
今は天気である、と「思う必要も」「いう必要も」ない。
(私が)【間違いないと思っているのが間違いない】のではなく、
【間違いないモノガラは天気そのもの】である。

このことを宗祖は「無疑」といわれる。
元来「無疑」は決定が略され、この決定は「過去完了」でも「未来完了」でもない。
【現在完了を場としている】といわれるのである。
それ故、「無疑」と「不疑」はその意を異にし、無疑決定の決定によってその意を異にするのである。

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・・・ってな感じでさ。。。

 

「稲城和上の本」には、「この本」だけでなく、いたるところに

「現在完了」という「言葉」そのものや

「現在完了」をあらわす「説明文や比喩表現」

と、それとともに「~つつある」を併用していますワ。。。(´-∀-`;)

 

 

まぁ、「こういうコト」から察するに。。。

「言葉」というモノは「時代とともに変化をするモノ」だから。。。

 

かつてあった「言葉」が消滅する。。。

かつてあった「言葉」が別の意味に置きかわる。。。

「蓮如上人」「御文章」の「たのむ」の意味が

「おまかせ」から「おねがい」に「変わってしまった」ように。。。

 

「戦前」と「戦後」で、もしかして「ナニカ」が変わったカモ?

・・・と「インターネットを漁って」みて・・・思ったコトは。。。

 

・「現在完了」を表現する「言葉」は「昔は存在した」が「どこかで」使われなくなった

・しかしながら「物事が進行するさま」を表わす「助詞」として「~つつ」は存在するため

 「分別せず」そのまま「使用していた」

・「戦後」になって「英語の義務教育」で「現在完了形」と「現在進行形」を学習することになり、

 「学習指導要領」で「現在進行形(be + ing)」を「~つつある」と訳すように定められたため、

 「その当時の言葉」で止まっている「浄土真宗辞典」が「取り残されて」現在にいたる

 

・・・ってなトコロかなぁ~、と推測しています。。。(´・ω・`)ショボーン

 

 

・・・ってコトなので!!

 

コレだけは言えるコトとして。。。

「辞書」を鵜吞みにしない!

「教科書」を鵜吞みしない!

「XX先生の言葉」を鵜吞みにしない!

「れおんの言葉」を鵜吞みにしない!

「凡夫の言葉」を鵜吞みにしない!

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「過信」はそのまま「自力心」そのままおまかせ「他力信心」 - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)

(2023年9月24日)より抜粋

 

「教科書が全て正しかったら科学の進歩というのは、ないわけでね」

「教科書に書いてあることも、実は間違っていることが、たくさんある」

「人が言っている事、あるいは教科書に書いてある事を鵜吞みにしない」

信じたら、そこで「進歩がない」ということになりますから」

「だから「何故か?」と
「摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」
が重要だと思っています」

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なのであります!!!! (๑•̀ _•́)و✧

 

 

 

🔶さて、ココからは「〆の言葉」になりますが。。。

最後は・・・

「仏法の結論」「救いの結論」は「現在完了」であるコトが書かれた

・「方便法身の解説の抜粋」

・「れおん」の「言葉で綴った結論」

をもって「終わり」としたいと思います。。。(`・ω・´)ゞ

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「開かれた信心と閉じられた信心」(11ページくらいから)

「浄土真宗」では「念仏往生」とか「信心往生」といわれる。
往生は行きづまることではない。
往生は動詞であり、つぎに浄土が略されている。
浄土はそのまま無上の仏果のさとりの世界をいう。
それ故「往生即成仏」といわれ、
死の壁をこえた世界が、この私に因法として直接しているのである。

(そして)この「念仏の法」はいつでも、どこでも、だれにでも
既にこの私の求めるより先にとどけられている。
それ故、この南無阿弥陀仏の法に遇う場は「今ここ」の外にはあり得ない。

宗祖も本願名号に遇う場合には、
「教行信証」「総序」にも「化身土巻・三願転入」にも
「今」という言葉を出されている。
今は「今」ととらえたら既に「過去」に流されるので
「今」の時間は、「ここ」の空間の場の外にはあり得ない。
「今ここ」は最も具体的な立場であり、
実証も論証も必要としない「この私の存在している場」である。

蓮如上人の生涯のご教化は「平生業成」に摂することが出来得る。
この「平生」は臨終に対したものといわれるが、平生は臨終をも包摂しているので、
具体的にいえば「いつでも」ということであり「いつでも」は「今」であるため、
「平生業成」の平生は「今ここ」であり、
「この私の存在している場が」「往生浄土の因の決定する場」なのである。

(この)「平生業成」は、当時の民衆に直接する答えであった。
「平生業成」は平易な言葉でいうと「ただ今のおたすけ」ということである。
「ただ今」とは、この私の存在している場の外にはあり得ない。
(そして)この私の存在している場の外に救いの法を求めると、
逆に「拒絶」となり、永恒に救いの法に「遇う」ことは出来得ない。

それ故、(「救いの法」に「遇う」ことは)「神と私との出会い」ではなく、
「正信偈:一生造悪弘誓」「浄土文類聚鈔:弘誓」
と、「全く夢にも思ったことのないものに偶然に遇う」場合に用いられる。
というのは(「遇う」という語は)「出会い」のような
「神と私との対応的立場がになっているからである。

(そして)この逆対応の論理性の上に救済の論理を明らかにされたのが
(宗祖の主著)『教行信証』一部六巻の内容といわれる。

即ち『教行信証』一部六巻を順観すると、
「何よりも先に救いの答えは与えられている」ことを前提とする。
逆に最後の「化身土巻」-特に真門釈-から逆観して、
私の側が先行すると、永劫に救いの答えは与えられない。

親鸞聖人の主著『教行信証』一部六巻には
「真宗」という言葉はしばしば出ているが、「真宗これなり」と、
その内容を一言にして尽くされているのは「信巻」の横超の釈に「一ヶ所のみ」である。
 「横超とは即ち願成就一実円満の真教、真宗是なり」とあり
覚如上人の『外邪鈔』にも
 「十八の願にとりてはまた願成就をもて至極とす」とある。

それ故、蓮如上人の『御文章』は、
善導大師の「六字釈」と「本願成就文」によるものといわれるのである。
これによって『御文章』の帰結は「たすけたまへとたのむ」の
真宗安心の根本義を一文不知の庶民にも通ずるものをだされたのである。

元来、宗教一般の上でも、更に仏教の上でも第一前提となるものは信であるが、
この信は(一般的には)未現前のものに向かった場合に用いる。
「今は晴天であると信じる」とはだれもいわないが、
「明日は天気だと信ずる」は、だれしも通ずる。
(しかしながら)親鸞聖人の信の解釈は『教行信証』の上では、
「疑蓋間雑あることなきが故に信楽と名く」といわれ、
この言葉を略して「無疑」といわれる。
無疑は決定が略され、この決定は「過去完了」でも「未来完了」でもない。
「現在完了」で「ただ今」を場とする。

それ故、蓮如上人の最晩年の和歌に
 「阿弥陀仏 たすけたまへの ほかはみな おもふもいふも まよひなりけり」
とあり、更に『御文章』四の八には
 「その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、今の南無阿弥陀仏なりとこころうべし、
 これすなはちわれらが往生のさだまりたる証拠なり」とある。

「たすけたまへ」は、この私が先行すると、
「鎮西義」や「かつての三業惑乱時の解釈」となり、
この私が後手になり、「たすけたもう法」が先となれば、
「たのむ」と同義の「信順帰命の釈」となる。
「今」が臨終でも十分間にあっているのである。

「本願名号」に遇う場は「今ここ」。

このことを蓮如上人は「平生業成」といわれる。

それは、自らが求めるより先に既にいつでも、どこでも、
更にだれにでもとどけられているからである。

それ故、今が臨終でも十分間にあっているのである。
聞くより先のおたすけを聞くのである。

「今ここ」に私の上で残されるもの、間違いないものは、
「南无阿弥陀仏の六字の法」の外にはあり得ない。

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【雑記(その1)】「マンデラエフェクト」から見た「弥陀の本願成就」 - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)

(2021年6月15日更新)

 親鸞会時代には、こんなお話がありました。
「一念」のお話です。
「一念」とは「いま」ということ。

「「いま」は過去と未来をつなぐ接点」であり、
「い」「ま」と言うとき、「い」と言う時は「ま」はまだ「未来」で、
「ま」と言う時は「い」は既に「過去」である、と。

そして、これは「何を意味するのか?」というと、
常に私たちの現実は「今のこの瞬間しか存在していない」ということで、
「過去」も「未来」も「今」見ている「夢幻」すなわち「幻覚」
ということになります。( ̄▽ ̄;)

・・・ということは???

「今」になんらかの変化があったとします。
そうなると、その瞬間に「過去」も「未来」も変化し、
本当は「過去」も「未来」も「今」観測している「結果」ということで、
すべてが「今」に含まれてしまいます。

つぎに、上述の事柄を、また別の違う角度から表現してみると、
「実は、この世界には「ありとあらゆる事象」が存在している」
ということになります。

・・・で、その中で「どの視点から「任意の事象」を見るのか?」
というのが、我々の「認識」であり「意識」ということになります。

さて・・・。「その視点」を違う場所に順次当てていく、とします。
そうすると「時間」を追うごとに「事象」「現象」が変化しているように感じられます。
これが「時間が存在・流れているという思い込み」に繋がります。

「時間」というものは、「過去」と「未来」をつなぐ接点の「今」が連続的に流れている・・・と、
私の阿頼耶識が錯覚させているから「時間」という概念が存在しているだけで、
本当(のおさとりの世界)は、時間的な連続性は存在しない、と思われます。

・・・ということから、これは・・・
「私たちが新しく発見したもの」というのは、別に新しいワケでもなんでもなく
「実はもう既に最初からあったもの」というコトになるのです。( ̄▽ ̄)v

なので、結論としては・・・。

「何か問題が発生した!!」という問題は、
問題があることも、その解決策も「実はもう既に存在している」
コトになり・・・

それは、すなわち・・・。

 私たちの究極の問題である「死の解決」は、
「問題がある」コトも「その問題の解決策」も
「実はもう既に【今】存在している」コトになり。。。

 私たちの究極の問題である「生死出づべき道」は、
それが「問題になった」時点で
「実はもう既に【今】解決済み」なんですよね ♡ (*^。^*)ノ

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「機責め教団へのツッコミ」と「仏法の結論」(12/13)【「救いの結論」は「現在完了」③】

2023-12-24 12:12:12 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

・・・ってコトで!!

 

((一時は、どうなるかと思いましたが、なんとか「着地予想」が見えてきました。。。(´-∀-`;)))

 

いよいよ「最終話」(の一歩手前)ございます!!!! (`・ω・´)ゞ

 

 

 

さてさて。。。

前回の記事の「11話」では「現在完了形」の「文法説明」をいたしましたが。。。

もう一つ前の記事の「10話」・・・

「機責め教団へのツッコミ」と「仏教の結論」(10/12)【「救いの結論」は「現在完了」①】

「この記事」を書くキッカケとなった・・・

 

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「御文章」の「現代語訳」を読んでみよう~!!٩( ๑•̀o•́๑ )وムオー!

・・・と思い「現代語訳」のほう「も」拝読しはじめたワケですが。。。

「現代語訳」が!! な~んか、ますます!!

「本来の「御文章」の意味」とはかけ離れた「翻訳」になっている気がして・・・。

( ー̀ωー́ ).。oஇ う~~~ん

「これはおかしいぞ!!」

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・・・の「起点に戻る」と。。。

 

 

じつは、「蓮如上人」の「御文章」が書かれた「室町時代」。。。

そしてワリと近年(戦前あたり)までは、どうやら・・・

「日本語」にも「現在完了形」の「用法」は存在した

・・・らしいのですが。。。

 

でも・・・

戦後になって、その用法はなくなってしまった・・・みたい。。。( ;∀;)ノ

 

なので!

これらを「平成・令和の現代語で翻訳」すると・・・

「別の用法」に置きかわってしまい、とたんに・・・

「意味が全く異なる現代語訳」

・・・となってしまうのでありますよ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

まぁ・・・悲しいけれど。。。

「言葉」というモノは、時代によって、

意味がドンドン様変わりする「代物」なので。。。

「言葉」でしか「物事は伝えられない」けれど、

「言葉」を「過信するのも禁物」なんですね。。。(´・ω・`)ショボーン

 

 

 

・・・ってコトなので、

(ちょっとやけくそ!)ココからは!!

 

「戦前まではあった」であろう

「ほれぼれしちゃう♡」「現在完了形」の「日本語の文章」

・・・と

「現代の日本語にはナイ」「現在完了形」を

「平成・令和の現代語で翻訳」して

・・・となってしまった

「なんともガッカリな現代語版」

「比較して見ていきたい」と思います。。。(´・ω・`)ショボーン

 

 

 

 

 

🔶まずは「ほれぼれしちゃう♡」

  むかしの「現在完了形」の「文章」から。。。

 

・・・って、それは・・・まぁ、当然のことながら。。。

「室町時代」に書かれた「蓮如上人」の「御文章」

なのであります。。。( ̄∇ ̄+) キラ~ン♪

 

「恵日会」の「勉強会」にて、聞かせていただきましたが。。。

「浄土真宗の帰結は(弥陀の)本願成就を第一前提とする」

常に「蓮如上人の御文章」を解説してくだされた「稲城選恵和上」

((「稲城和上の本」は「れおん家」に「十数冊」ありますが、どれを読んでも「同じコト」しか書いていないっす!!))

・・・が一番好きだった、、、といわれる、

「御文章 四帖目八通」の「八箇条」のアノ一節。。。( ꈍᴗꈍ)ノ.☆.。.:*・゜

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「かるがゆゑに、阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、
「衆生仏に成らずはわれも正覚成らじ」と誓いましますとき、
その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、
いまの南無阿弥陀仏とこころうべし。
これすなわち われらが往生の定まりたる証拠 なり。
「蓮如上人」(御文章四帖目八通)

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ってさ~。。。

 

われらが往生の「定まった」証拠

ではなく・・・

われらが往生の「定まりたる」証拠

・・・なんですよね。。。( ꈍᴗꈍ)ノ.☆.。.:*・゜

 

コレってスゴくないですか?! (((o(*゚▽゚*)o)))

 

じつは「現在完了形」が!!
「御文章」の「カナメの文」にあるんですよ!!

「仏願の生起本末」の 
「末」は「現在完了である」!!

・・・って。。。

「過去」から「現在」までず~~~っと!!
「不生不滅」「不増不減」で「つながっている事象」を!!
「定まりたる」の「この一言で言い尽くしている」んですよ!!

 

スゴイですよね~♪ 

「ほれぼれ」しちゃいマ~~~ス ♡ ヾ(=^▽^=)ノ

さすがは!!

「稲城選恵和上」が「大好きな御文章の一節」

・・・なだけありますね。。。☆*ヾ(-∀・*)*+☆

 

 

🔶つぎに「ほれぼれしちゃう♡」

  すこ~しむかしの「現在完了形」の「おうた」をご紹介。。。

 

たまたま、「ネットサーフィン」をしていたら見つけちゃいました。。。(*´▽`*)ノ

それがコチラで~~~す。。。(≧∇≦)ノ

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仏法は 信じるでなし 聞くでなし

  ただ名号の 響きわたれり」(稲垣瑞劔師)

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ってさ~。。。

 

「ただ」「名号の」「響きわたれりって。。。

 

コレ、スゴくないですか?! (*゚0゚*)…オオォォ♡

 

「(響き)わたり」(ラ行四段「わたる」の連用形中止法)

「(響き)わたる」(ラ行四段「わたる」の終止形)

「(響き)わたるとき」(ラ行四段「わたる」の連体形)

ラ行四段「わたる」の已然形(今既に起こっているコト)「わたれ」に!!

助動詞「り」をつけて完了の意味をあらわしている。。。

 

コトから・・・

「仏法の生死出づべき道」の 
「結論」は「現在完了である」!!

・・・って。。。

こんなに「短い」「五七五七七」の「おうたの中」に!!

「仏法の結論を言い尽くしている」んですよ!!

 

これはスゴイ!! (*゚0゚*)…!!

ってか、こんなに「端的」に!!

「七千余巻のお経の結論」をサラっと「おうた」にできちゃう

その才能がスゴイ!!(*゚0゚*)…!!

 

「れおん」は「言葉遊び」が大好きだからさ。。。( ̄▽ ̄)v

こんなに「才能あふれる先生」とは、是非、直接お会いして、

「サシ」で「他力信心」の「大喜利大会♡」

をしてみたかったです。。。(´・ω・`)ショボーン

もうちょっと、早く生まれていたら「出遇え」ていたのかな。。。( ;∀;)ノ

残念だなぁ。。。( ;∀;)( ;∀;)( ;∀;)ノ

 

じつを言うと・・・

「歎異抄」を書かれた方(唯円さん・・・かどうかは知らないけれど)

とも、直接お会いして、やっぱり、夜な夜な

「他力の境地」の「大喜利大会♡」を開催してみたかったです。。。( ;∀;)ノ

 

なんつーか。。。

(たぶん、怒られると思うけれど)

「れおん」にとって・・・「歎異抄」ってのは、

「テレビ番組」「笑点」と「同じ位置づけ」

・・・で味わっています。。。(m´・ω・`)m ゴ、ゴメンナサイ…

 

「稲垣瑞劔先生」の「おうた」もそうなんだけれど、コレは・・・

「弥陀のお救いの世界」をどれだけ「上手いコト表現できるか!」

っつー「お遊びの一種」で。。。

 

もし仮に「大喜利大会が開催された」と仮定したなら、、、

「歎異抄」は「ノーベル賞」受賞作

「れおん」の「アホネタ」は「イグノーベル賞」受賞作

・・・ってなトコロかなぁ~とニヤニヤと想像しています。。。( ̄▽ ̄)v

 

ってコトで、以上が!!

「ほれぼれしちゃう♡」「現在完了形」の「ご紹介」

でした!!!! (`・ω・´)ゞ

 

 

( ^ω^)・・・。

 

 

🔶さてさて、最後に。。。
 「平成・令和の現代語で翻訳」すると、
  とたんにズッコケてしまう・・・
 「なんともガッカリな現代語訳」のご紹介なのですが。。。

 

上述の2つと比べちゃうと、

「ホントに」「ガッカリ感満載」なので、

「めちゃめちゃ驚き」ますよ。。。(´・ω・`)ショボーン

・・・な~んてね。。。(^▽^;)ノ

 

そんな「現代語訳」が・・・コチラです。。。(lll-ω-)ズーン

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「浄土真宗辞典」(本願寺出版社発行)

「仏願の生起本末」(573ページ)

 阿弥陀仏の名号のいわれ。
仏願の生起とは、阿弥陀仏が本願を起こした理由、すなわち自らの力では
決して迷いの世界より出ることのできない衆生を救うために、本願が起こされたことをいう。
仏願の本末とは、仏願の因果という意で、法蔵菩薩の発願修行を本(因)といい、
その願行が満足しさとりを成就し、
名号となって十方衆生を済度しつつあることを末(果)という。

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ってさ~。。。

 

名号となって十方衆生を済度しつつあるって。。。(¯―¯٥)ノノ

 

「節子」それ「現在完了形」やない!!

「現在進行形」や!!!!

 

なっ、なっ・・・

 

(;ノ° ロ°) ノ゙~~なんですと?

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しかも「辞書」だからこ~んな雰囲気で。。。

いかにも「むずかしそ~」で。。。

「ありがたそ~」「雰囲気を醸し出している」けれど。。。

 

「今まさに」
「移行している」「途上にある」ってさ~!!

 

((言い換えれば、それは・・・
「法/真如」に「増減」「加減」「生滅」「盛衰」が存在し「変化が生じる」
コトになる・・・。))

 

って、「それ、ゼンゼン」
「弥陀の本願成就」「してない」じゃん!!!

 

 

 

( ^ω^)・・・・・。

 

 

ってコトで!!

 

こういう「例題一つ」を取り上げてみても・・・

「仏法の結論」「生死出づべき道」は「現在完了」

とはいいながらも、

「現代の日本語」に「現在完了形」の用法がナイ!!

から

「救いの結論」を「現代の日本語で伝える」のが「至難の業」

となり、

サブタイトル【「救いの結論」は「現在完了」】
「最終章冒頭」の

何故「南無阿弥陀仏のおはたらき」がわかりにくいのか?
何故「御文章の現代語訳」がオカシナコトになるのか?

の「要因の一つ」になってしまうのかなぁ~?

 

・・・と思いましたとさ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

 

((つづく。。。))


「機責め教団へのツッコミ」と「仏法の結論」(11/13)【「救いの結論」は「現在完了」②】

2023-12-20 11:11:11 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

さてさて。。。

さっそく、前回からのつづきですが、

え~~~っと・・・どこから説明しようかなぁ。。。(^▽^;)ノ

 


( ー̀ωー́ ).。oஇ う~~~ん

 

・・・って、フツーに考えたら、、、

まずは!!

「現在完了形」とは、いったい何ぞや???

・・・からですよねぇ。。。(*-`ω´-)9

 


・・・ってコトで!!

「お勉強のコト」をわかりやすく「簡潔に聞く」には、

やっぱり「その道のプロ」である・・・

「家庭教師の先生」に聞いてみるのがヨイかと思いましたので、

そちらから、すこしだけ「拝借」を。。。( ̄▽ ̄;)ノ

 

で!! 調べてみると、どうやら、、、

「現在完了形」とはこんな感じみたいです。。。(´-∀-`;)ノ

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って、「めっちゃハッキリ」書いてありますね。。。

「苦手だな~」という人がとても多いです ってさ。。。(笑)

もし仮に「救いの結論」「現在完了形」であるならば!!

「救いの結論」「現在完了形」である。
「現在完了形」「苦手な人(理解できない人)がとても多い」。
③ゆえに「救いの結論」「苦手な人(理解できない人)がとても多い」。

・・・っつー「最凶の三段論法が成立」しちゃうワケで。。。
そりゃあ「出遇うコトが稀」になるワケだよなぁ・・・。(´・ω・`)ショボーン

・・・と思ったりもしますが、そうは言っても。。。

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「現在完了形」は「日本語にはない用法」ですが、

実は たった1つのイメージ 

をおさえてしまえば、スッキリ理解できます。。。

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だそうですので、ご安心ください。。。(*^。^*)ノ

 


で!! その「イメージ図」がコチラです。。。(*^_^*)ノ

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ってコトで「現在完了形」は・・・ 

「過去から」「現在まで」「ずっと」「つながっている」イメージ  

・・・であると。。。

 


なので「例文」としては。。。

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・I have studied here since 8:00. 
 「わたしは、8時から (ずっと) 勉強しています 。

・He has been busy for a long time.
 「彼は、長い間 (ずっと) 忙しいです 。

・I have just cleaned the room.
 「わたしは、ちょうど部屋を掃除したところで (今も継続中) です。

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・・・となり、まぁ、要するに!! ( ̄^ ̄)ゞ

 

「英語」なら・・・

「過去」から「現在」まで「ず~っと」つながっている事象を!!
「現在完了形」「have + 過去分詞」の(単語2つ)で表現できるので!!

「英文」が「have + 過去分詞」となった時点で!!

((あぁ、これは「継続中の事象」なんだなぁ。。。))

・・・と「普段の会話でも」すぐにわかるのですが!!

 


逆に「日本語」だと・・・

「日本語の文法」に「現在完了形」のような「用法がナイ」ので!!
上述の「イメージ図」「長ったらしい説明文」
「いちいち必要に」なってくる!!

・・・というワケなのです。。。( ;∀;)ノ

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ってコトで、以上が!!

「義務教育で習う」「現在完了形」の説明でした。。。(*^▽^*)ノ

 

 

 

 

では、次に!!

「お救いの結論」は「現在完了形」だお♡

と説明されている「本」をご紹介いたします。。。o(★≧∇≦)o゛

 

・・・って、

探してみるまでもなく、「稲城選恵和上」が「ご著書」で多用されていましたので、

そのうちの「一部」を抜粋いたします。。。(*^▽^*)ノ

((・・・が、「だいぶ長い」ので、いつも通り「れおん」の言葉で短くまとめています。。。(´-∀-`;)))

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「わかりやすい名言名句」「蓮如上人のことば」(稲城選恵著)
(206~207ページより抜粋)

元来「浄土真宗のご本尊」は、「本願成就をお姿で示したもの」といわれる。

今、南無阿弥陀仏の名号は本願のとおりにはたらいている。
この名号を「帰命尽十方無碍光如来」といわれる。
この名号は「信ずる対象として彼方におかれている」のではなく、
「いつでも、どこでも、誰にでもすでに与えられ、届けられている」。

この私の(後生)救われる、救われないという問題の
すべてが「既に仏の側に成就」し、いつでもどこでもはたらいている。
すなわち、「今ここに」「この私の存在する場に与えられている」のである。
南無阿弥陀仏のはたらきは、いかに逃避しようとしても逃げ場所もなく、かくれ場所もなく、
この私の存在するところにはすでに与えられているのである。

(だから私が)聞いて解決するのではない。
「往生のさだまりたる証拠」が「南無阿弥陀仏である」から
「すでに解決の出来ている法」なのである。

それは「過去完了」でもなく「未来完了」でもない。
今ここに私の存在するところに
すでに与えられている「現在完了」を場とする。

それゆえ、聞信と同時に即得往生の益をうる のである。

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・・・ってコトで!!

 

「救いの結論」である
「南無阿弥陀仏のおはたらき」は「現在完了」である!!

・・・と、

「稲城選恵和上」が「御著書の中」で「スッキリ解説」

してくださっていますね。。。(*´▽`*)ノ

 


・・・ですが!!

これは言うまでもなく「説明文」です。。。

「現在完了形」としての「文法」ではありません。。。( ;∀;)ノ

 

 

では、次に!!

「稲城選恵和上」の「お弟子さん」の「阿部信幾先生」は、

「お救いの結論」は「現在完了」である

コトを、どのようにおっしゃっているかといえば、以下のとおりなのですが。。。

((コチラも、編集の都合上「れおん」の言葉で要約しています。。。(^▽^;)ノ))

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「ありがたい【ご法話の文字起こし】のご紹介 (^^♪」
(2021年6月12日)より抜粋

ありがたい【ご法話の文字起こし】のご紹介 (^^♪ - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)

((「読んでいない方」はこの機会に是非お読みください。。。 ))
((「何年前のオハナシなのか?」は、わからないけれど・・・
「もう、コレ以上のご法話には出遇えないだろうなぁ・・・」ってなレベルのオハナシです。。。(*^。^*)ノ))

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「南無阿弥陀仏」のご名号のお謂れですが。
(法蔵菩薩が)「あなたを仏にできなければ、私は仏と名乗りません」とお誓いくださった、
その本願が、今どうなったのか?
「成就しました。」
成就したから「阿弥陀」となられたのです。

「本願が成就した」から「私を仏にする仏が、もう(すでに)はたらいている」ということです。
もう(すでに)はたらきの中に私たちは存在しているのです。
ところが、はたらきというものは、目に見えませんから、
私に「はたらいている」ということを告げなければ、それは救いでもなんでもありません。
もう(すでに)はたらいている」、「あなたは間違いなく仏になる人である」
と、告げてくださるのが「南無阿弥陀仏の名号」なのです。

「南無阿弥陀仏の名号」の謂れを聞くとは、
「私が間違いなく仏になれる法と出遇う」ことなのです。
「私が間違いなく仏になれる」と、なぜ、そんなことが言えるかというと、
それは法蔵が阿弥陀となって、現にはたらいておられるからです。
「私がさとりを開いた暁には、南無阿弥陀仏が全ての世界に届いて聞こえますように」
既にはたらいています。

「南無阿弥陀仏」とは、「全ての者が仏になる」という如来の告知です。
「後生、助かる」ということは、
「この人生のその次が、仏のさとりの世界になる」ということで、
お釈迦さまと同じおさとりが、私の臨終の時に(すでに)用意されている、
というのが浄土真宗です。
おさとりを開くというのは、そのまま極楽浄土に生まれるということなのです。

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・・・ってコトで!!

 


コチラの「ご法話の中」でも・・・

「現在完了」という言葉は使っていないにせよ、

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・「私を仏にする仏が、もうはたらいている」
もうはたらきの中に私たちは存在している
・法蔵が阿弥陀となって、現にはたらいておられる
既にはたらいています。

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・・・と、「もう」「現に」「既に」という言葉で、

「救いの結論」である
「南無阿弥陀仏のおはたらき」は「現在完了」である!!

・・・と、お話してくださっていますね。。。(*´▽`*)ノ

 

・・・ですが!!

これも、やはり「説明文」であって、

「現在完了形」としての「文法」ではありません。。。( ;∀;)ノ

 

・・・ってか。。。

「もう」とか「現に」とか「既に」という単語は
「副詞」ですので、
常に「副詞」を「動詞」に付与して
「くどくど」「くどくど」「説明する」コトで、
はじめて「コレは現在完了形(同じ状態で継続中)

・・・と「ようやくわかる」のですよ。。。(^▽^;)ノ

 

 

((・・・って、むずかしいよね。。。( ;∀;)ノ ・・・「この記事」を書きながら、
「読み手が」「パソコン/スマホの前で」「ドン引きしている姿」が目に浮かぶモン。。。( ;∀;)ノ))

((ただでさえ「他力」は「視点が真逆の世界」なのに、さらに「コレ」だからさ。。。(´・ω・`)ショボーン))

((「れおん」は、書きながら、悲しくなってきたよ。。。( ;∀;)ノ))

 

 

ってコトで!!

「現在完了形」の「文法説明」は以上となります!! (`・ω・´)ゞ

 


いやぁ。。。

「現代の日本語」に「現在完了形」の用法がナイ!!
ってのは「致命的」ですなぁ。。。(´・ω・`)ショボーン

まぁ・・・それもあってか。。。

「救いの結論」「生死出づべき道」を「現代の日本語で伝える」
ってのは「至難のワザ」なんですねぇ。。。( ;∀;)ノ

 

 

それに!!

そもそも「浄土真宗親鸞会」「会員さん」の「頭ン中」は・・・

   ↑↑↑↑↑

「上図の左側」になっていて、

「凡夫の思考」的には、コッチの方がわかりやすいしね。。。(´・ω・`)ショボーン

そりゃぁ、「親鸞会」を辞めた直後は、、、

「お救いの結論」「生死出づべき道」は「三願転入」

で凝り固まっているから、尚更、わかるワケないんだけどさ。。。(´・ω・`)ショボーン

 


って、まぁ、それだからこそ!!

「救いの結論」「生死出づべき道」を
正しく教えてくださる「先生やご法義」に「出遇える」かどうか?

・・・ってコトが「めちゃくちゃ重要」だったんだよなぁ。。。

と、この記事を書きながら改めて思いましたとさ。。。(^▽^;)ノ

 

 

「まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころ暫くも止むことなし」
「蓮如上人 御文章」(四帖目十五通)

 

・・・の「お言葉」が重く感じる今日この頃です。。。( ;∀;)ノ

 

 

((つづく・・・。))