さてさて。。。
さっそく、前回からのつづきですが、
え~~~っと・・・どこから説明しようかなぁ。。。(^▽^;)ノ
( ー̀ωー́ ).。oஇ う~~~ん
・・・って、フツーに考えたら、、、
まずは!!
「現在完了形」とは、いったい何ぞや???
・・・からですよねぇ。。。(*-`ω´-)9
・・・ってコトで!!
「お勉強のコト」をわかりやすく「簡潔に聞く」には、
やっぱり「その道のプロ」である・・・
「家庭教師の先生」に聞いてみるのがヨイかと思いましたので、
そちらから、すこしだけ「拝借」を。。。( ̄▽ ̄;)ノ
で!! 調べてみると、どうやら、、、
「現在完了形」とはこんな感じみたいです。。。(´-∀-`;)ノ
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って、「めっちゃハッキリ」書いてありますね。。。
「苦手だな~」という人がとても多いです ってさ。。。(笑)
もし仮に「救いの結論」が「現在完了形」であるならば!!
①「救いの結論」は「現在完了形」である。
②「現在完了形」は「苦手な人(理解できない人)がとても多い」。
③ゆえに「救いの結論」は「苦手な人(理解できない人)がとても多い」。
・・・っつー「最凶の三段論法が成立」しちゃうワケで。。。
そりゃあ「出遇うコトが稀」になるワケだよなぁ・・・。(´・ω・`)ショボーン
・・・と思ったりもしますが、そうは言っても。。。
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「現在完了形」は「日本語にはない用法」ですが、
実は たった1つのイメージ
をおさえてしまえば、スッキリ理解できます。。。
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だそうですので、ご安心ください。。。(*^。^*)ノ
で!! その「イメージ図」がコチラです。。。(*^_^*)ノ
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ってコトで「現在完了形」は・・・
「過去から」「現在まで」「ずっと」「つながっている」イメージ
・・・であると。。。
なので「例文」としては。。。
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・I have studied here since 8:00.
「わたしは、8時から (ずっと) 勉強しています 。」
・He has been busy for a long time.
「彼は、長い間 (ずっと) 忙しいです 。」
・I have just cleaned the room.
「わたしは、ちょうど部屋を掃除したところで (今も継続中) です。」
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・・・となり、まぁ、要するに!! ( ̄^ ̄)ゞ
「英語」なら・・・
「過去」から「現在」まで「ず~っと」つながっている事象を!!
「現在完了形」「have + 過去分詞」の(単語2つ)で表現できるので!!
「英文」が「have + 過去分詞」となった時点で!!
((あぁ、これは「継続中の事象」なんだなぁ。。。))
・・・と「普段の会話でも」すぐにわかるのですが!!
逆に「日本語」だと・・・
「日本語の文法」に「現在完了形」のような「用法がナイ」ので!!
上述の「イメージ図」と「長ったらしい説明文」が
「いちいち必要に」なってくる!!
・・・というワケなのです。。。( ;∀;)ノ
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ってコトで、以上が!!
「義務教育で習う」「現在完了形」の説明でした。。。(*^▽^*)ノ
では、次に!!
「お救いの結論」は「現在完了形」だお♡
と説明されている「本」をご紹介いたします。。。o(★≧∇≦)o゛
・・・って、
探してみるまでもなく、「稲城選恵和上」が「ご著書」で多用されていましたので、
そのうちの「一部」を抜粋いたします。。。(*^▽^*)ノ
((・・・が、「だいぶ長い」ので、いつも通り「れおん」の言葉で短くまとめています。。。(´-∀-`;)))
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「わかりやすい名言名句」「蓮如上人のことば」(稲城選恵著)
(206~207ページより抜粋)
元来「浄土真宗のご本尊」は、「本願成就をお姿で示したもの」といわれる。
今、南無阿弥陀仏の名号は本願のとおりにはたらいている。
この名号を「帰命尽十方無碍光如来」といわれる。
この名号は「信ずる対象として彼方におかれている」のではなく、
「いつでも、どこでも、誰にでもすでに与えられ、届けられている」。
この私の(後生)救われる、救われないという問題の
すべてが「既に仏の側に成就」し、いつでもどこでもはたらいている。
すなわち、「今ここに」「この私の存在する場に与えられている」のである。
南無阿弥陀仏のはたらきは、いかに逃避しようとしても逃げ場所もなく、かくれ場所もなく、
この私の存在するところにはすでに与えられているのである。
(だから私が)聞いて解決するのではない。
「往生のさだまりたる証拠」が「南無阿弥陀仏である」から
「すでに解決の出来ている法」なのである。
それは「過去完了」でもなく「未来完了」でもない。
今ここに私の存在するところに
すでに与えられている「現在完了」を場とする。
それゆえ、聞信と同時に即得往生の益をうる のである。
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・・・ってコトで!!
「救いの結論」である
「南無阿弥陀仏のおはたらき」は「現在完了」である!!
・・・と、
「稲城選恵和上」が「御著書の中」で「スッキリ解説」
してくださっていますね。。。(*´▽`*)ノ
・・・ですが!!
これは言うまでもなく「説明文」です。。。
「現在完了形」としての「文法」ではありません。。。( ;∀;)ノ
では、次に!!
「稲城選恵和上」の「お弟子さん」の「阿部信幾先生」は、
「お救いの結論」は「現在完了」である
コトを、どのようにおっしゃっているかといえば、以下のとおりなのですが。。。
((コチラも、編集の都合上「れおん」の言葉で要約しています。。。(^▽^;)ノ))
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「ありがたい【ご法話の文字起こし】のご紹介 (^^♪」
(2021年6月12日)より抜粋
ありがたい【ご法話の文字起こし】のご紹介 (^^♪ - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)
((「読んでいない方」はこの機会に是非お読みください。。。 ))
((「何年前のオハナシなのか?」は、わからないけれど・・・
「もう、コレ以上のご法話には出遇えないだろうなぁ・・・」ってなレベルのオハナシです。。。(*^。^*)ノ))
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「南無阿弥陀仏」のご名号のお謂れですが。
(法蔵菩薩が)「あなたを仏にできなければ、私は仏と名乗りません」とお誓いくださった、
その本願が、今どうなったのか?
「成就しました。」
成就したから「阿弥陀」となられたのです。
「本願が成就した」から「私を仏にする仏が、もう(すでに)はたらいている」ということです。
もう(すでに)はたらきの中に私たちは存在しているのです。
ところが、はたらきというものは、目に見えませんから、
私に「はたらいている」ということを告げなければ、それは救いでもなんでもありません。
「もう(すでに)はたらいている」、「あなたは間違いなく仏になる人である」
と、告げてくださるのが「南無阿弥陀仏の名号」なのです。
「南無阿弥陀仏の名号」の謂れを聞くとは、
「私が間違いなく仏になれる法と出遇う」ことなのです。
「私が間違いなく仏になれる」と、なぜ、そんなことが言えるかというと、
それは法蔵が阿弥陀となって、現にはたらいておられるからです。
「私がさとりを開いた暁には、南無阿弥陀仏が全ての世界に届いて聞こえますように」
と既にはたらいています。
「南無阿弥陀仏」とは、「全ての者が仏になる」という如来の告知です。
「後生、助かる」ということは、
「この人生のその次が、仏のさとりの世界になる」ということで、
お釈迦さまと同じおさとりが、私の臨終の時に(すでに)用意されている、
というのが浄土真宗です。
おさとりを開くというのは、そのまま極楽浄土に生まれるということなのです。
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・・・ってコトで!!
コチラの「ご法話の中」でも・・・
「現在完了」という言葉は使っていないにせよ、
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・「私を仏にする仏が、もうはたらいている」
・もうはたらきの中に私たちは存在している
・法蔵が阿弥陀となって、現にはたらいておられる
・既にはたらいています。
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・・・と、「もう」「現に」「既に」という言葉で、
「救いの結論」である
「南無阿弥陀仏のおはたらき」は「現在完了」である!!
・・・と、お話してくださっていますね。。。(*´▽`*)ノ
・・・ですが!!
これも、やはり「説明文」であって、
「現在完了形」としての「文法」ではありません。。。( ;∀;)ノ
・・・ってか。。。
「もう」とか「現に」とか「既に」という単語は
「副詞」ですので、
常に「副詞」を「動詞」に付与して
「くどくど」「くどくど」「説明する」コトで、
はじめて「コレは現在完了形(同じ状態で継続中)」
・・・と「ようやくわかる」のですよ。。。(^▽^;)ノ
((・・・って、むずかしいよね。。。( ;∀;)ノ ・・・「この記事」を書きながら、
「読み手が」「パソコン/スマホの前で」「ドン引きしている姿」が目に浮かぶモン。。。( ;∀;)ノ))
((ただでさえ「他力」は「視点が真逆の世界」なのに、さらに「コレ」だからさ。。。(´・ω・`)ショボーン))
((「れおん」は、書きながら、悲しくなってきたよ。。。( ;∀;)ノ))
ってコトで!!
「現在完了形」の「文法説明」は以上となります!! (`・ω・´)ゞ
いやぁ。。。
「現代の日本語」に「現在完了形」の用法がナイ!!
ってのは「致命的」ですなぁ。。。(´・ω・`)ショボーン
まぁ・・・それもあってか。。。
「救いの結論」「生死出づべき道」を「現代の日本語で伝える」
ってのは「至難のワザ」なんですねぇ。。。( ;∀;)ノ
それに!!
そもそも「浄土真宗親鸞会」「会員さん」の「頭ン中」は・・・
↑↑↑↑↑
「上図の左側」になっていて、
「凡夫の思考」的には、コッチの方がわかりやすいしね。。。(´・ω・`)ショボーン
そりゃぁ、「親鸞会」を辞めた直後は、、、
「お救いの結論」「生死出づべき道」は「三願転入」
で凝り固まっているから、尚更、わかるワケないんだけどさ。。。(´・ω・`)ショボーン
って、まぁ、それだからこそ!!
「救いの結論」「生死出づべき道」を
正しく教えてくださる「先生やご法義」に「出遇える」かどうか?
・・・ってコトが「めちゃくちゃ重要」だったんだよなぁ。。。
と、この記事を書きながら改めて思いましたとさ。。。(^▽^;)ノ
「まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころ暫くも止むことなし」
「蓮如上人 御文章」(四帖目十五通)
・・・の「お言葉」が重く感じる今日この頃です。。。( ;∀;)ノ
((つづく・・・。))