goo blog サービス終了のお知らせ 

浄土真宗・他力信心の境地

「他力信心のお味わい」を「お聖教の引用」ではなく「私の言葉」で書き連ねています。

「ふと」あるときの「他力の境地」

2023-12-31 18:18:18 | 【他力信心の詩】

「弥陀の救い」を「振り返り」。。。

「ひそかに」「思案してみるに」。。。

 

「たのむ一念」の「たのむ」って。。。

「当時」と「今」では、意味が違う。。。

「当時」は「お願いする」ということで。。。

「今」は「おまかせする」ということに。。。

 

 

それでは「何を」「まかせるの?」。。。

「私の後生」を「まかせるの?」。。。

「私の後生」は「どうなるの?」。。。

「私は死んだら」「どうなるの?」。。。

「この世の中」は「因果の世界」。。。

「善因楽果」「悪因苦果」。。。

 

 

「私」は「良いコトしてますか?」。。。

「私」の「良いコト限界で!」。。。

「縁起次第」で「色を変え」。。。

「私の都合」で「変化します」。。。

「困ったこと」に「自覚なし!」。。。

「自覚があって」も「表面上」。。。

「自覚なし」に「迷惑かけて」。。。

「やることなすこと」「自己中心」。。。

 

 

それで「後生は」「明るいの?」。。。

それだと「後生は」「闇の中」。。。

それなら「後生は」「どうすれば?」。。。

 

「後生は」「弥陀が引き受けて」。。。

「必ず救う」と「誓っています!」。。。

「私」は「何をすればいい?」。。。

「私」は「そのまま弥陀任せ」。。。

 

 

それでは「納得できません」。。。

「その納得」は「いりません」。。。

「弥陀」は「条件つけません」。。。

「私」に「条件つけません」。。。

「ありのまま」の「お救いです」。。。

 

「私の懸命」「いりません」。。。

「迷智の努力」「いりません」。。。

「弥陀が」「ご用意くださいます」。。。

 

 

「南無阿弥陀仏」の「ご名号」。。。

「既に」「届いているのです」。。。

「願行具足」の「ご名号」。。。

 

「私のはからい」「とれたなら」。。。

「私を場にして」「活動中」。。。

「そのとき」「はじめて気づくのは」。。。

「この空間」は「名号だらけ」。。。

 

 

「南無阿弥陀仏」の「智慧」と「慈悲」。。。

「それで」「充満しています」。。。

「どこもかしこも」「南無阿弥陀仏」。。。

「このまま」「命が尽きたなら」。。。

「南無阿弥陀仏」の「はたらきで」。。。

「そのままお浄土」「仏さま」。。。

 

 

「そんな世界」が「あるなんて」。。。

「ホント」に「今まで知らなくて」。。。

「知ってしまえば」「嬉しい限り」。。。

「歓喜踊躍」の「お念仏」。。。

 

 

「私の心」は「南無阿弥陀仏」。。。

「諸仏の心」も「南無阿弥陀仏」。。。

「七高僧」も「南無阿弥陀仏」。。。

「祖師聖人」も「南無阿弥陀仏」。。。

「妙好人」も「南無阿弥陀仏」。。。

「み~んな」おんなじ「南無阿弥陀仏」。。。

 

 

「おんなじ心」で「南無阿弥陀仏」。。。

「喜ぶ心」も「南無阿弥陀仏」。。。

「悲しむ心」は「逆変換」。。。

「やっぱりなんでも」「南無阿弥陀仏」。。。

 

「行住坐臥」「なにをしてても」。。。

「結局」ココに「収束するよ」。。。

「後生嬉しく」「今嬉しい」。。。

「死ぬ」も「生きる」も「無問題」。。。

 

 

「他力の信心」「獲たならば」。。。

「すべてに生かされ」「南無阿弥陀仏」。。。

「おかげさま」の「南無阿弥陀仏」。。。

「御恩報謝」の「南無阿弥陀仏」。。。

「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」。。。

「頭が下がる」「南無阿弥陀仏」。。。

 

 

 

最後は「方便法身の詩」でまとめてみました。。。

みなさま、よいお年を~。。。(*^。^*)ノ

 

 

( ・ω・ฅ*) バイバイキ~ン♪


「後生不安」って「あるワケない」

2023-07-01 06:41:36 | 【他力信心の詩】

「後生」を「弥陀」になげた「世界」。。。

 

「後生不安」って「あるワケない」。。。

「心の闇」って「あるワケない」。。。

 

「後生」を「弥陀」になげた「世界」。。。

 

あなたの「死後」は「不安」かい?

あなたの「死後」は「安心」かい?

あれこれ「悩む」その心。。。

「不安」も「安心」も「自力心」。。。

「わたしが作った」「自力心」。。。

 

「後生」を「弥陀」になげた「世界」。。。

 

「わたしの後生」は「弥陀まかせ」。。。

「自力が廃った」「凪の心」。。。

「スッキリ」「楽チン」「澄んだ世界」。。。

「後生」「不安」も「安心」も。。。

「「わたし」が背負う」モンじゃない。。。

 

「後生」を「弥陀」になげた「世界」。。。

 

「後生」は、ぜ~んぶ「弥陀の担当」。。。

すべて「弥陀の受け持ち」だから。。。

「あなたのはからいはいらないよ。。。」

「南無阿弥陀仏のお念仏」。。。

「無明長夜の灯炬なり」。。。

 

「後生」を「弥陀」になげた「世界」。。。

 

「南無阿弥陀仏」のその先は。。。

そのまま「極楽浄土」へつづく道。。。

「智眼くらしとかなしむな」。。。

「南無阿弥陀仏のお念仏」。。。

「往生浄土」の証拠なり。。。

 

「後生」を「弥陀」になげた「世界」。。。

 

「本願成就」の「南無阿弥陀仏」。。。

「生死大海の船筏なり」。。。

すでに救いは届いているから。。。

ぜ~んぶ「弥陀におまかせ」よ。。。

「罪障おもしとなげかざれ」。。。

「わたしの心」はなにも要らない。。。

 

 

「後生」を「弥陀」になげた「世界」。。。

 

「念仏成仏これ真宗」。。。

「念仏称えて往生」じゃないよ。。。

「弥陀の本願成就」して。。。

それの証拠が「お念仏」。。。

「南無阿弥陀仏」はこの空間に満ち満ちて。。。

「名号南無阿弥陀仏」と一緒に「お浄土へ」。。。

 

 

わたしは「とても極楽に行けるような人間」じゃない!!

「アホなコト」が大好きな「どこにでもいるオバチャン」なのに!!

 

 

「自力心」がなくなっただけ!!

「はからいない世界」に出ただけ!!

「「自→他」から「他→自」の世界」になっただけ!!

ただそれだけなのに。。。

じつは「最初から救われていた世界だった」って!!

「人智」では考えられない「おかしな世界」!!

 

だから、これが「仏智不思議」なんだね ♡♡♡

あり得ないけれど、あり得る世界 ♡♡♡

 

 

だから「阿弥陀様のお救い」がね。。。

ただただ嬉しくて「お念仏」するんだよ。。。

 

「本願成就」が嬉しいね。。。

「法蔵様のご修行」が完成して良かったね。。。

み~んな、もれなく救われる。。。

「ハッピーエンド」のストーリー。。。

 

嬉しいね。。。楽しいね。。。

「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」。。。

 

 


「崩れる心」と「崩れぬ心」

2023-03-16 04:39:12 | 【他力信心の詩】

「崩れる心」は「私の心」

 

「信じていた」のに「裏切られ」

「熱中した」のに「冷めてしまう」

「好きだった」のが「嫌になり」

「楽しかった」のが「辛くなる」

「嬉しかった」のは「色あせて」

「ありがたかった」のは「当たり前」

 

「変化する」のは「私の心」

 

「信じている」のに「反論されて」

「熱中している」のに「水差され」

「好きなもの」が「けなされて」

「楽しいもの」が「拒否される」

「嬉しいもの」は「笑われて」

「ありがたいもの」は「無視される」

 

「ムキになる」のは「私の心」

 

「救われる」けれど「救われない」かも

「助かる」けれど「助からない」かも

「大丈夫だ」けれど「ダメな気も」

「安心だ」けれど「ちと不安」

 

「揺れ動く」のは「私の心」

「崩れぬ心」は「弥陀の心」

 

「信じる心」に「用事がない」

「熱くなる気」に「戸惑って」

「好き嫌い」に「こだわらない」

「楽しいこと」も「おかげさま」

「嬉しいこと」も「おかげさま」

「ありがたい」のも「おかげさま」

 

「自我の心」は「どこにもない」

 

「反論された」ら「因果だね」

「水差された」ら「因果だね」

「けなされた」のは「因果だね」

「拒否された」のは「因果だね」

「笑われた」のも「因果だね」

「無視された」のも「因果だね」

 

「自我のはからい」「なにもない」

 

「救われる気」も「救われない気」も

「助かる気」も「助からない気」も

「大丈夫な気」も「ダメな気」も

「安心な気」も「不安な気」も

 

「どっちの心」も「当てにならん」

 

 

「本願成就」を聞いたなら

「私の心」は「意味がない」

「おかげさま」に「気づかされ」

「救う・救わぬ」弥陀まかせ

 

「名号」「おいわれ」聞いたなら

「御恩報謝」のお念仏

「弥陀の心」をいただいて

「後生安心」「今安心」

 

「本願成就」を聞いたなら

「名号」「おいわれ」聞いたなら

「南無阿弥陀仏」に包まれて

 

「お念仏」が「いつも嬉しい」( ꈍᴗꈍ)ノ.•*¨*•.¸¸♬

「救いの法」が「いつも嬉しい」( ꈍᴗꈍ)ノ.•*¨*•.¸¸♬


「従わない」し「返事も要らない」

2022-07-31 05:40:37 | 【他力信心の詩】

「イキナリ」ですが!!

「れおん」から愛をこめて ♡

暑中お見舞い申し上げます!! (`・ω・´)ゞ

 

▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█

 

拝 啓

「弥陀の仰せに無条件に従う」のが「他力の信心だ」と説かれる「えら~い先生」

「まかせよ!の喚び声」に「ハイ」と返事をする「ただそれだけ」と説かれる「えら~い先生」

 

 

 

( ^ω^)・・・。

 

 

 

早速ですが、申し訳ございません。。。

 

 

▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█

 

「他力の信心」「いただく」と。。。

「弥陀の仰せ」に「従わない」し。。。

「まかせよ!の喚び声」に。。。

「ハイ!」の「返事も要らない」よ。。。(・ω・)ノ

 

▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█

 

この世の中を見渡せば。。。

「従うコト」は「ごくごく普通の光景」で。。。

「支配するもの」「⇔」「されるもの」。。。

「雇用するもの」「⇔」「されるもの」。。。

「管理するもの」「⇔」「されるもの」。。。

ヒトが群れれば「上」「⇔」「下」ができる。。。

それが「人間社会」のならわしさ。。。

 

どうして「こんなん」なっちゃうの???

その「根底」にあるものは???

「欲の心」?「怒りの心」?

それは「根本原因」なんかじゃないよ。。。

「欲」も「怒り」も「結果」だよ。。。

「諸悪の根源」は「自力心」。。。

 

 

。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.

「聖道の道」で。。。

「なぜわたしは仏(しあわせ)になれないのか」って「問い」があって。。。

じつは「煩悩」じゃないんだなぁ。。。

「仏(しあわせ)になろうとする心(自力心)」なんだなぁ。。。

・・・という「お話」がありましたとさ。。。(*^。^*)ノ

。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.。*:.。★..。.

 

 

「しあわせ」求める「自力心」。。。

「他人と比べて」「→」「競争し合う」。。。

「他人を落として」「→」「高みを目指す」。。。

「他人を見下し」「→」「勝ち誇る」。。。

「目指す」は「→」「階級社会」の「頂点」へ。。。

 

「なんで」「しあわせ」「求めるの」???

「対比」で「しあわせ」「はかるから」。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

「しあわせ」→「枯渇」→「しあわせ」→「枯渇」。。。

このやじるし「→」はどこに行く???

どこまでいけば「満足」するの???

やがて「寿命」が尽きちゃうよ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

このやじるし「→」は、「しあわせ」もとめてまっしぐら。。。

このやじるし「→」は、「後生」に向かってまっしぐら。。。

「しあわせ」もとめて「→」「生きている」。。。

このやじるし「→」が、「自力心」。。。

 

「努力の先」に「しあわせ」あると。。。

「必死」に「しあわせ」さがしてた。。。

そんな「わたし」が「救いに遇う」と。。。

そんな「わたし」が「他力に遇う」と。。。

このやじるし「→」が、こっち「←」向く。。。

このやじるし「←」が「他力の信心」。。。

「他力に遇う」「←」「自力」「→」が「消滅」。。。

「他力に遇う」「←」「自力」「→」が「廃る」。。。

 

「しあわせ」は、「探す」じゃなかった。。。

もうあった。。。

「しあわせ」は、「努力」じゃなかった。。。

もうあった。。。

「受け持ち」は、「わたし」じゃなかった。。。

「弥陀」だった。。。

「信心」は、「わたし」じゃなかった。。。

「弥陀」だった。。。

 

「後生しあわせ」「←」「今あんしん」。。。

「今がしあわせ」「←」「おかげさま」。。。

「アイツのせい」「←」が「アナタのおかげ」。。。

「わたしの努力」「←」が「御恩報謝」。。。

 

「他力の信心」「いただく」と。。。

「弥陀の仰せ」に「従わない」よ。。。

「仰せに従う」これ「自力」。。。

「そなたを救う!の喚び声」に・・・

「ハイ!」の「返事も要らない」よ。。。

「ハイ!の返事」もこれ「自力」。。。

「返事」を足したらこれ「自力」。。。

 

世の中は。。。

「支配するもの」「⇔」「されるもの」。。。

ヒトが群れれば「上」「⇔」「下」ができる。。。

それが「人間社会」のならわしだけど。。。

 

「他力の信心」「獲たヒト」は。。。

「支配するのが」「恥ずかしい」。。。

「弥陀の智慧」をいただいて。。。

「闘争心」がうすまって。。。

「上に立つ」のが「おこがましい」。。。

 

「しあわせ」よろこぶ「他力の信心」。。。

「比べる心」がうすまって。。。

「蹴落とす心」がうすまって。。。

「見下す心」がうすまって。。。

 

「南無阿弥陀仏」にこころとられて。。。

「今あるしあわせ」「喜ぶだけ」さ。。。

 

 

▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█

 

拝 啓

「弥陀の仰せに無条件に従う」のが「他力の信心だ」と説かれる「えら~い先生」

 

「まかせよ!の喚び声」に「ハイ」と返事をする「ただそれだけ」と説かれる「えら~い先生」

 

「弥陀の仰せに無条件降伏させる」その「支配欲」は「どなたの心」でしょうか?

「まかせよ!の喚び声」に「ハイ」と返事をするその「上下関係」は「どなたの心」でしょうか?

 

 

▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█▓█

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

((「仰せに従う」は「仰せのまま」で。。。))

((「本願召喚の勅命」は「逃げ場がない」とか「いつでもどこでも誰にでも届いている弥陀の本願力」とか。。。))

そ~んな感じで「れおん」は「他力信心」を味わっております。。。(*^。^*)ノ

 

なので。。。

((「弥陀の仰せ」に「無条件降伏」とか「無条件服従」だなんて、

スゴイ「支配欲のカタマリ」・・・。ฅฅ°́Д°̀))ギャァァァ))

仏さまの世界に「上下関係」はありませんし、仏さまのお智慧は「平等」ですから。。。

もちろん「弥陀の本願成就」の賜物である「南無阿弥陀仏」も「無分別智」です。。。

でも・・・。

「無分別智」の「南無阿弥陀仏」が、私たちの身体を通って、口から出てくると、

なぜか、、、

「命令系(分別智)」の「南無阿弥陀仏」に様変わりしてしまう。。。

なぜか、、、

「上下関系(分別智)」の「南無阿弥陀仏」に様変わりしてしまう。。。

じつは、、、

それが「余計なもの」なんですよね。。。(´・ω・`)ショボーン

じつは、、、

それが「自力心」なんですよね。。。(´・ω・`)ショボーン


「きずな」ってなんだろう。。。

2022-05-18 05:42:19 | 【他力信心の詩】

きずなってなんだろう。。。


夫婦のきずな。。。

親子のきずな。。。

家族のきずな。。。

友達のきずな。。。

クラスのきずな。。。

地域のきずな。。。

社会のきずな。。。

小さなきずながつながりあって。。。

それがどんどん大きくなって。。。

「国」や「世界」が出来ている。。。

 

 

でも。。。

「きずなが大事だ!」っていうけれど。。。

「きずな」に縛られるのが煩わしい。。。

 

親がうるさい。。。

子がうるさい。。。

嫁がうるさい。。。

夫がうるさい。。。

祖父母がうるさい。。。

先生がうるさい。。。

上司がうるさい。。。

すべてうるさい。。。

 

だったら「きずな」を無くせば楽になる。。。

 

親に会わない、子に会わない。。。

祖父母に会わない、別居する。。。

友達、先生、学校、会社、誰にも会わない。。。

出かけない。。。

買い物、遊び、旅行、恋人。。。

ぜ~んぶまとめて「スマホ」で解決。。。

「気づかい」がないから「楽チン」でイイね。。。

 

((「メタバース」。。。

「SDGs」→「NEW WORLD ORDER」→「2050年 ムーンショット計画」に向かって。。。))

 

「小さなきずな」がなくなれば。。。

「大きなきずな」もなくなるね。。。

「大きなきずな」がなくなれば。。。

「世界」も「文化」もなくなるね。。。

 

「きずなが大事だ!」っていいながら。。。

「きずな」がなくなる方向に。。。

なぜかどんどん進んでいるね。。。

 

 

きずなが作った伝統文化。。。

きずなが作った助け合い。。。

きずなが作ったお互い様に。。。

きずなが作ったおかげ様。。。

小さなきずなが大きくなって。。。

みんながみんなお互いに。。。

感謝しながら生きてきた。。。

 

だから本当は。。。

「煩わしいきずな」が「一番大事だった」んだね。。。

 

 

でも、今は。。。

 

もともと「きずな」はあったのに。。。

戦後にできた集合住宅。。。

「おしゃれな生活」と銘打って。。。

核家族化の大キャンペーン。。。

「世帯の確執」接点ナイから。。。

「煩わしいきずな」がなくなった。。。

 

そして日本経済上向きで。。。

生活が豊かになったから。。。

さらなるカネに飲み込まれ。。。

国家一億中流社会。。。

働け働けカネがもらえる。。。

欲に走って家族崩壊。。。

 

 

でも。。。

絶頂期なんか続くワケなく。。。

バブルが弾けて水の泡。。。

稼いだカネもしゃぼん玉。。。

負債だけはしっかり残って。。。

国家一億総貧乏。。。

 

あ~ぁ、「カネ」も「きずな」もなくなっちゃった。。。

子供もいなくて先細り。。。

残ったのは。。。

年老いた「わたしたち」だけ。。。

 

 

「わたし」だけが残されちゃった。。。

「きずな」がなければ「支え」もない。。。

「わたし」ひとりが残されちゃった。。。

後悔しても遅かった。。。

 

だから本当は。。。

「煩わしいきずな」が一番大事だったんだね。。。

 


これは偶然なのか。。。

いやいや、これは必然ですよ。。。

「きずな」の崩壊は。。。

「国家」の崩壊「世界」の崩壊。。。

「文化」の崩壊「伝統」の崩壊。。。

 


「他力」に出遇ってしみじみ思う。。。

かつてのわたしは間違っていた・・・と。。。

「学歴社会」「経済戦争」「利潤追求」「成果至上主義」。。。

生まれて今まで学んだ価値観。。。

ぜ~んぶまとめて間違っていた・・・と。。。

 

たぶん。。。

「浄土真宗」が栄えた。。。

「おかげさま」で暮らしていた。。。

「260年」争いがなかった。。。

「江戸の時代」が一番豊かだった・・・と。。。

 

 

そうはいっても。。。

こんな「おかしな社会」にならなかったら、わたしは救われなかった。。。

だから、この世の中には感謝している・・・けれど。。。

でも、やっぱり。。。

世界が崩壊に向かって進んでいるのは。。。

正直、見ていられないんだよなぁ。。。( ;∀;)ノ

 

 

世の中安穏なれ 佛法広まれ

 

最後はこの一言に尽きるんだけど。。。

でも。。。

この「時代の流れ」は、止められないのかなぁ。。。( ;∀;)ノ

やっぱり「なるようにしかならない」のかなぁ。。。( ;∀;)ノ

 

せめて。。。

まだ「きずな」が残っているうちに。。。

 

世の中安穏なれ 佛法広まれ

 

・・・と願うばかりなのです。。。

 

すべてが壊れて・・・

「仏さまのみ教え」が「形骸化」する前に。。。(´・ω・`)ショボーン

 

((「アンドロイド観音」・・・って、ついに、ここまで来ちゃった。。。お坊さん廃業、法滅の世へ。。。))