既に「ご存じの方」もいらっしゃると思いますが。。。
「様々な思い」が重なって「れおん」は今年(2023年)からは、
「特定の先生」を盲目的に持ち上げて「宣伝する」・・・コトは、避けているのですが。。。
まぁ・・・、それでも「このライブ」での「解説」は、「過去3回」の配信を見ても、、、
「浄土真宗のご法義」を知るうえで、かなり「内容の濃いモノ」となっていて、
「事前告知」をしても、おそらく「ガッカリするコトはない」と思われますので、
今回も「番宣」というカタチでご紹介したいと思いマ~~~ス。。。(*^。^*)ノ
・・・ってコトで、
「前回の記事」であります
「果の世界」からみた「親鸞会教義」は「辻褄が合わない」 - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)
の「浄土真宗の起承転結」である「仏願の生起本末」を!!
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「浄土真宗本願寺派」の「布教師」である「阿部信幾先生」が!!
とある「YouTubeチャンネル」で「詳しく解説」してくださるコトになりました。。。(`・ω・´)ゞ
・・・と「希望と期待」を込めて!!
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ってか、「親鸞会」と「本願寺」と、どう違う?・・・って。。。
どう違う?、も何も・・・。
そもそも「親鸞会」で「仏願の生起本末のオハナシ」なんて。。。
今から「約20年前」の「毎月」の「親鸞会館のご法話」で
「正信偈」を「2行ずつ解説」していた頃ですら「2年に1度」しか聞けない「レアなハナシ」だったから。。。
「比較できる問題」じゃね~んだよなぁ。。。ヾノ´-ω-`)アゥトアゥト
・・・と、ボヤキつつ。。。
リンク先はコチラ~♪ヾ(´▽`*;)ゝ"
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【日時】2023年2月12日(日曜日)
【時間】21時から「YouTube」にて「ライブ配信」です。。。(・ω・)ノ
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・・・ってコトで、
いいですか、みなさん!!
((「いつも同じパターン」ですみませんが・・・。(ー∀ー;)) )
・・・という「ハナシの中身がない」「小泉構文」は置いておいて。。。
((「当たり前だ!」っつーの・・・。(ー∀ー;)) )
忘れないで見てくださいね ♡
よろしくお願いいたします。。。(o*。_。)oペコッ
・・・ってコトで、
ここからは、いつもの「れおん」の「しょ~もない雑記」
・・・となるのですが、もうここ最近は「ネタを考えるヒマ」もないため、
「超真面目モード」の「引用文」にて〆たいと思います。。。(^▽^;)ノ
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【わかりやすい名言名句-蓮如上人のことば(稲城選恵著)より抜粋】
※注)若干、「れおん」がアレンジしています。。。( ̄▽ ̄;)ノ
【聞法の姿勢】
「浄土真宗」では、我々の側に課せられた行はないとも言われる。
「無条件他力の救い」であるからである。
しかしもし、我々の側に課せられた行があるとすれば「聴聞」ということだけである。
聴聞の行を否定しては、浄土真宗は成立しない。
覚如上人の『最要鈔』にも「教釈すでに聞をもて詮要とせられたり。
よくきくところにて往生の心行獲得する條顕然なり。しるべし。」(真聖全、列祖部五十一頁)
とあり、「本願成就文」には「聞其名号」とあり、
善導大師の『往生礼讃』に「弥陀智願海、深広無涯底、聞名欲往生」とあり、
親鸞聖人も「仏願の生起本末を聞く」といわれている。
また、蓮如上人は「御一代記聞書」百九十三条にも、
「ただ仏法は聴聞にきはまることなりと云々」
とあり「聴聞の二字」に浄土真宗の行はつくされている。
浄土真宗の聞法の生活は、信心獲得の上から始まり、この聞法には命をかけることである。
しかるに一般には、仏法は暇があって聞くように思われているが、
蓮如上人は、暇をつくって聞くように勧められている。
というのは、仏法には明日ということはあり得ないからである。
人間はあたかも墜落する飛行機に乗っているごとくである。
生まれたということは飛行機に乗ったことであり、いつ墜落するかわからないが
必ず墜落することに決定しているのである。それは次の瞬間も保証されていない。
明日はあっても、この私に明日を保証してくれるものは何一つあり得ないのである。
生きている現実は、虚無の暗黒の中に立たされているのである。
ただ裸一貫で生まれ裸一貫で消えていく、この問題を明らかにしたのが仏法であり、念仏の教えである。
それゆえ、炎の中でもすぎ行きて仏法を聞かねばならないのである。
「聴聞の二字」によって、この問題の答えを見い出すことができるのである。
「いかに不信なりとも聴聞を心にいれまうさば御慈悲にて候間信をうべきなり」
聴聞する場合、はじめから如実に聞くことは稀であろう。必ず聞き損なうものである。
この聞き損ないの機を二十願の立場という。
「二十願」と「十八願」はともに「聞我名号」「聞其名号」とあるが、同じ名号を聞いても聞き損なう。
「不如実」「二十願」の立場は信行格別といわれ、行である名号、念仏を彼方へおく。
それゆえ、自らの聞くことや信じることがすべて役立つのである。
一方「如実」「十八願」の立場は名号法は自らの求めに先行して既に与えられていることを前提とする。
いつでも、どこでも、だれにでも既に与えられている「名号六字の法」を聞くので、
自らの造作は全く介入する余地はない。
ここに「聞即信」といわれ、
聞信の一念に即得往生の益を得る「平生業成の義」が成立するのである。
しかるに最も妨害するのは自らのはからい、自力心である。
「浄土真宗」の立場は本願成就を第一前提とする。
救いの法が、私が求める先に先行して既に与えられているのである。
それを逆に聞くことが聞き損ないといわれ「難信の法」といわれるのである。
この「如実」と「不如実」の「聞の相違」を
よく聞きわけることが最も重要である!!
以上だ!! (`・ω・´)ゞ
だから「暇をつくって」聞いてくれよな!! o(`・ω´・+o) ドヤ
なもあみだぶつ !!!! (*-`ω´-)9
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【追記】
最後に。。。
大変申し訳ないのですが、、、実生活が大変忙しいため、
今月は、コレをもって「記事の更新」をお休みいたします。。。(´・ω・`)ショボーン
なんつーか、毎日、足繫く来てくださる方に、
申し訳ない気がしたので一言申し上げました。。。(´・ω・`)ショボーン
ほんと、ゴメンね。。。( ;∀;)ノ