「れおん」は前から、すっごく「言いたいコト」があるのです。。。(`・ω・´)ゞ
「因果の世界」は「果因の世界」。。。
見る「向き」聞く「向き」が「真逆の世界」。。。
「心の向き」が逆・・・ってコトは。。。
「日常風景」も「実は逆」。。。(´・ω・`)ショボーン
だから、どんなに話をしていても、、、
「まったくハナシが噛み合わないコト」がしばしばあります。。。( ;∀;)ノ
まぁ・・・正直な所「アタオカ扱い」されますが。。。
一度、こうなっちゃうと、困ったコトに元に戻れなくて。。。
学生時代に「浄土真宗親鸞会」の「教学テキスト」で習った
「四重の破人」のハナシを思い出したりもしますし。。。
まぁ・・・「意見」や「想いが」違っても。。。
オカシイのは、「世間の枠」から外れちゃった「れおん」の方なので。。。
「執拗に何かを追いかけ」はいたしません。。。( ;∀;)ノカナチイゾ…。
((でも、いちおう「主張はする」ケドね。。。(^▽^;)ノ))
( ^ω^)・・・。
「わたし」の今いる「この場所」は。。。
「因果」じゃなくて「果因」の世界。。。
「パラパラ漫画」の「果因」の世界。。。
「わたし」は「わたし」でありながら。。。
「本当のわたし」はどこにもない。。。
「心」も「身体」も「存在」も。。。
掴むことができない「浮世」の世界。。。
「阿弥陀仏」に救われて「煩悩が薄くなる」と言いながら。。。
「正義である」と「勘違い」。。。
「ヒーローである」と「勘違い」。。。
「我々は果の世界にいる」と説きながら。。。
「自由である」と「勘違い」。。。
「ありのまま」をはき違え。。。
「自我」があると「勘違い」。。。
「都合」で「変わる」「虚構」の世界。。。
「イヤなモノ」は見たくない。。。
「キレイなモノ」だけ見ていたい。。。
「生かされて生きる私」とか「そのままの私」とか。。。
「弥陀の無条件の救い」を「自己の眼鏡」で覗いてみると。。。
「自分大好き」「餓鬼」の世界。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
「あさまし」「あさまし」「修羅」の世界。。。(´・ω・`)ショボーン
「そのままの救い」「ありのまま生きる」
ってのと
「自分のコトしか考えない」「他人の都合は考えない」
ってのは「似ているようで」「紙一重」。。。
なのに、いつもどこかで「勘違い」。。。(´・ω・`)ショボーン
「わたし」の生きてる「この場所」は。。。
「因果」じゃなくて「果因」の世界。。。
「パラパラ漫画」の「果因」の世界。。。
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「果因の世界」は「自由」も然り。。。
仏教で教えられる「四顛倒」。。。
「常」「無常」
「楽」「苦」
「我」「無我」
「浄」「不浄」
「れおん」は、ココに
「自由」「不自由」も加えて「五顛倒」。。。(^▽^;)ノ
((おいおい、「教義改ざん」かよ!???Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン ))
「人生の選択」は。。。
「選んでいる」ようで「選ばされている」。。。
「倫理」「道徳」「社会のルール」。。。
「わたしの」「趣味」「嗜好」「価値観」なんて。。。
「他の誰か」の「宣伝」「広告」を「スライド」したモノ。。。
「誰かの価値観」をあたかも「わたしの価値観」のように「錯覚」したモノ。。。
「日本人は勤勉」で。。。
子供の頃から「働かざるモノは食うべからず」とか言われて。。。
「とりあえず」「働いて」はいるけれど。。。
そんな「価値観」だって「誰かの教育」の賜物。。。
もともと「備わっていた」モノじゃない。。。
「○○すれば幸せになれる」だって。。。
「○○」は、本当は「わたしが選んだモノ」じゃない。。。
「○○すれば」と「選択」した、その「選択肢」だって。。。
「誰かが与えた」「選択肢」。。。
「わたしの選択」は「誰かの受け売り」。。。
ゆえに「わたしの人生」は「誰かの受け売り」。。。
「誰か」が作った「アスファルトの道」。。。
「識者」が唱える「新提案」。。。
「スーパー」に並ぶ「商品の数々」。。。
「ある」ってコトは
「既に誰かの手」によって「作られた」モノで。。。
「それを選ぶ」ってコトは
「既に出来上がったモノ」を並べて「採用」するコト。。。
そこに「わたしの意思」は「あるように見えて」「実はない」。。。
「実態がある」ように見えるけど。。。
「わたしの実態」は「まったくない」。。。
「わたし」は「わたし」でありながら。。。
「本当のわたし」はどこにもない。。。
「心」も「身体」も「存在」も。。。
掴むことができない「浮世」の世界。。。
さらに時代は加速して。。。
「モノ」や「情報」が溢れる時代に突入。。。
「AI」に支配されて「夢」と「現実」が曖昧に。。。
「人間の脳」なんて「バカ」だから。。。
「DDos攻撃」で「情報過多」にすれば。。。
「バグった人間」の出来上がり~♪
「自由の奴隷」の出来上がり~♪
「因果の世界」は「無自覚な奴隷」。。。
「果因の世界」は「自覚の奴隷」。。。
どちらも「奴隷」ではあるけれど。。。
「世間虚仮」「自身虚仮」と「救いの世界」。。。
「わたしが死ぬ現実」から目を背けてはダメ。。。
「狂気に支配された穢土」から目を背けてはダメ。。。
「見たくない現実」から目を背けてはダメ。。。
「安心できる無責任な優しさ」に流されてはダメ。。。
「実態がない」「世間虚仮の世界」のその先は。。。
そこは、なんと!!
「阿弥陀様の他力の世界」なのだから。。。(*^▽^*)ノ
「後生が安心できる」ところまで
「弥陀の本願成就のおハナシ」をお聴聞してく~ださい。。。(*^。^*)ノ
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「世間の枠」から外れた「れおん」が見ている「この世界」は。。。
「穢土」と言われる「額面通りの世界」だけれども。。。
「蓮華の五徳」の「淤泥不染の徳」ってのは、
まぁ・・・こんな感じなのかなぁ。。。
・・・とは個人的に味わっています。。。(^▽^;)ノ