(9月末に書き溜めてた)少し古い記事だが、この世紀の対戦は生で見なくてよかったとつくづく思った。
勿論、ここ数年のボクシングを生で見る事も殆どなくなったが、それはボクシング自体の質感が”朽ちた”ように思えるからだ。
元々、殴り合いの格闘だったボクシングだが、日本では”拳闘”と呼ばれた程の血生臭いスポーツでもあった。
しかし、時代と共にボクシングもいい意味でも悪い意味でも変貌していく。素手に近い(質が悪く薄い)グローブでのストリートファイト的な殴り合いから、フワフワの分厚いグローブでのセコいポイントの取り合いとなり、昔ながらの昭和世代のボクシングファンは興ざめした事だろう(多分)。
やがて15Rから12Rに試合が短縮され、試合のスパンは年に1度か、よくて2度となり、特に日本ではK-1や総合らの年末イベントのオマケ的な扱いとなりつつあった。お陰で間延びするような展開が増え、お互いに逃げ惑う消極な判定試合が多くなる。その上、階級が増えた挙げ句、1階級ごとに数人の王者が重複するようになる。
リアルな殴り合いを求めて
こんな寒い状況のなかで、リアルに強いボクサーを輩出しろってのが無理難題な事だが、興行の為には無理をしてでもスーパーヒーローを作り出す必要がある。が故に、悪どいプロモーターらは素人同然の奴らを派手にパッケージングし、飾り立てたラスベガスのリングに吊るしあげる。
勿論、9月中旬に行われたカネロとゴロフキンの三度目の対戦は世界が注目するどころか、その試合の存在をも知らない人が多かったのではないだろうか。
キツい指摘ばかりする私だが、心の奥底では密かに80年代の”黄金のミドル”の再現を願う自分がいる。無理だとは分かりきっている。でも、諦めきれない自分がいる。
私はボクシングを見ながら大きくなった。
そう、私はボクシングをこよなく愛してたのだ。
毎晩のように日本の屈強な筈の選び抜かれたエリートボクサーが中南米のボクサーに虫けらの如く倒され続けていく。戦後20年以上も経つのに、日本のボクシング界は無条件降伏のままだった。
それでも充実した自分がいた。
それは、日常を超絶する様なリアルな殴り合いがお茶の間の娯楽として当り前の様に浸透してたからだ。日本人が勝とうが負けようが、そんな事はどうでもよかった。(質の悪い靴革の様な)茶褐色のメキシコ製の薄いグローブに包まれた拳が、非情にも頭蓋を打ち砕く衝撃音が実に贅沢に思えた。
つまり、神聖なる何かが当時のボクシングには存在したのである。
勝者はリングの中央で仁王立ちになり両手を突き上げ、敗者はキャンバスに大の字に倒れたままピクリともしない。やがて王者は何事もなかったかのようにリングを降り、全てを失った挑戦者はタオルを被ってフルボコにされた顔を隠し、項垂れたまま静かにリングを降りる。この両者のコントラストが実に美しくもあり、芸術的でもあった。
勿論、こんなリアルな殴り合いを昨今のボクシングに求めるのは無理である。一時期だが、K-1や総合格闘技が隆盛を誇ったのも、リアルに見える殴り合いをお茶の間の娯楽として披露してくれたからだ。ボクシングに比べればガキの殴り合いにも映りそうだが、リアルな殴り合いには変わりはない。
昨今のボクサー上がりの格闘家がK-1や総合に歯が立たないのも当然ではある。つまり、今のプロボクサーは強いのか?弱いのか?さっぱりわからないのが実情である。
朽ちたゴロフキンと老いたカネロ
今年4月に、(強いのか弱いのか不透明だった)村田諒太の”リアル”を8RKOで打ち砕いたゴロフキンだったが、”老いてた”のは明白だった。
無駄な程にビルドアップしたゲンナジーの肉体だったが、パワーダウンとのトレードの様にも思えた。
村田との試合では”老いた”というのが強く印象に残ったが、カネロとの第3戦は、老いたというより”朽ちた”という有り様だった。
勿論、カネロも例外じゃなかった。”ベガスの帝王”と長らく叫ばれてはきたが、リング上に立ってた彼の姿からは”安っぽいリング(ベガス)の詐欺師”にしか映らなかった。
正直、(全ての試合を見た訳でもないが)カネロのタイトル戦を見て、”強い”と思った試合は一度もない。昨今のボクシング界全体が”朽ちた”と言えばそれまでだが、彼のファイトは老いたゴロフキンのそれよりも浅薄に映る。
勝つ事のみが強さの証と定義するならば、強さの本質は曖昧なままだ。
同じ様に、昨今のボクシングは強いのか?弱いのか?不透明なままである。つまり、村田だけが例外ではない。
その村田も(引退を掛けての?)ゴロフキンとの試合では激しく殴り合い、そして激しく倒れた。一方で、”衰え”を露呈しながらも”リアル”なプロの殴り合いを魅せてくれたゴロフキンにも感謝したが、その5ヶ月後の試合では、殴り合う事すらしなかった。
32歳と40歳の対決が”世紀の凡戦”になる事は、大方予想はついてはいた。しかし、(8歳若い)カネロからすれば、老いたゴロフキンの弱点であるボディーを攻め、激しく襲いかかり、一方的に倒す事もできた筈だ。
事実、ゴロフキンはカネロの左ボディブローを警戒し、パワーバンドである得意の右を殆ど放たない。故に、終始カネロのペースで試合は進み、そのまま何のドキュメントも、これといったインパクトもなく幕が下りた。
一方で、ワンサイド的な判定勝ち(4P差が1人で2P差が2人)を収めたカネロも、"翼をもがれた"状態のゴロフキンを仕留めるエネルギーはなかった。(多彩に繰り出した筈の)パンチにはキレと迫力を欠き、フィニッシュに繋げる事が出来ない。(本人も認める様に)中盤以降はスタミナを欠き、場内はブーイングが鳴り響いた。実は、古傷の膝の状態が悪く、ロードワーク不足も一部指摘されていたのだが、それに加え、試合前に痛めてた右手首の手術も予定されてるという。
つまり、年齢や怪我による衰えはゴロフキンだけの問題でもなかった。カネロVSゴロフキンの最終章となった第3戦だが、消化不良過ぎる凡戦を見せつけられ、2人が軸になって織り成した一時代の"終わり"を感じる。
過去の記事で何度も言ってる様に、ハグラー、ハーンズ、レナード、デユランらが築いた”黄金のミドル”と比較すればだが、二人には見るべきものは何もなかった(と言ったら言いすぎかもだ)が、それでも”朽ちた”ボクシング界を背負ってきた2人には感慨もあったのだろう。試合後は珍しくお互いの健闘を讃え合うシーンが見られた。が、昨今のボクシングの限界と斜陽を感じてしまう。
しかし、これはボクシング界だけの問題でもなく、他のメジャーなプロスポーツにも言える事ではないだろうか。
ロス大会以降のオリンピックが商業主義に偏り過ぎて重ねる毎に”朽ちて”いった様に、昨今のプロスポーツも恐ろしい程のスピードで”朽ちて”いるようにも思える。
元々、スポーツの語源(SPORT)は”暇潰し”である。そろそろ、全てのスポーツを暇潰しのひっそりとした目立たない娯楽の1つに戻してやったらどうだろうか。
そういう時期に来てるような気がする。
メキシコ製6オンス~8オンスの
試合用グラブは、確かに痛かったです。
ガチガチにバンテージで拳を鎧い、
それを薄皮と綿で包んだだけの
ハードパンチャーの拳は凶器そのもの。
殴った方も拳がはれ上がったものです。
昔々、人生の一時期、
僕はフライ級のボクサーでした。
C級免許の四回戦を数試合しましたが、
目だった成績は残せず引退。
---いや「逃走」が正解かもしれません。
苦い思いもありますが、
今でもボクシング競技は嫌いではありません。
おっしゃる通り、その姿は変わりましたが、
「いいボクサー」同士の魂の削り合いを
観戦したいものです。
では、また。
恐れ入ります(*_*;
でも今だったら、井上とやりあってたかもですね。うん、全然あり得る。
昭和時代のボクサーは(今みたいに競技人口は多くはなかったんですが)、皆が皆エリートでした。(戦歴に関わらず)ボクシングをやってるというだけで尊敬の念を抱いたもんです。
私もボクサーにと思ったんですが、近くにジムがなくて、タオルを拳に巻き付けガミテープでガチガチに固め、兄と毎晩の様に殴り合い、毎晩の様にフルボコにされてました(悲)。
高校の時、8オンスのメキシコ製のグローブを見たんですが、これがカチカチに固くて、これで殴られたら確実に殺されると思いましたね。それに比べアマチュアのグローブはふわふわで玩具みたいで・・・
言われる通り、ボクシングとは点の取り合いではなく、魂と拳の削り合いなんですよね。
そうした昭和時代のボクシングを復活させる為にも、メキシコ製のグローブは必須ですかね。
コメントありがとうございます。