歴史だより

東洋の歴史に関連したエッセイなどをまとめる

《パリ一人旅》その1

2009-06-16 18:59:15 | 日記
《パリ一人旅》その1

2004年 5月25日~31日の1週間をパリのみ、一人で旅行してきた。実に良かった。街並みの美しさに感動し、外国人を寛容に受入れてくれて、割とパリの人々も親切であった。 行きは、幸運にも、エール・フランス(AF)の直行便であった。客室乗務員は男性がほとんどであったが、女性もおり、その中の一人はファッション雑誌から抜け出てきたような、フォトジェニックな典型的なフランス美人であった。その人に、《Du thé vert, s'il vous plaît.》とか《Du thé au citron, s'il vous plaît.》とかといった具合に頼み、注文の多い客と思われてしまったが、飛行機を降りる時、笑顔で送り出してくれた。以前の偏見とは違い、フランス人って、意外と親切なんだなと感心した。機内食のワインとチーズも、なかなか、いけた。

パリでは主に地下鉄を移動手段として、カルネ(Carnet)という回数券を20枚購入して街を自由に動き回った。パリに来る前には、旅行会社の人から、地下鉄はスリなどに気をつけないと危険なので、あまりお薦めできないと言われていたので、最初は敬遠していたが、第1日目に、半日観光のオプショナル・ツアーを申し込んでいて、集合場所のマイ・バス社までは地下鉄が便利だと聞き、どうしても乗らざるをえなくなり乗った。やはり安くて便利だと実感した。宿泊したベルジェール・オペラ・オテル(HÔTEL BERGÈRE OPÉRA)の最寄りのリュ・モンマルトル(RUE MONTMARTRE)駅で、8号線(LIGNE 8)に乗り、2つ目のオペラ(OPÉRA)駅で7号線に乗り換えて、南へ1つ目のピラミッド(PYRAMIDES)で降りた。そしてオペラ大通り(AVENUE DE L’OPÉRA)から、チュイルリー公園(JARDIN DES TUILERIES)
へ抜けるピラミッド通り(RUE DES PYRAMIDES)に入り、200メートル程行ったところに、マイ・バス社があった。

パリに来て地下鉄に乗らない手はなく、“庶民の足”としての機能を充分に果たしている。駅自体も面白く、オペラ(OPÉRA)駅では 、芸術の駅らしく、アンサンブルで演奏している人々がいるし、ロダン美術館(Musée Rodin)へ行くために降りたヴァレンヌ(VARENNE)駅では、ロダン の「考える人」の彫刻がしっかりと旅人を迎えてくれるし、モンマルトルのサクレ・クール寺院(La Basilique du Sacré-Cœur)に行くために降りたアベス(ABBESSES)駅では、美しい壁画で彩られているなど充分にパリらしさを感じさせてくれる。

そして、地下鉄だとパリの様々な人の表情が間近で見れる。フランス人形のような少女がお母さんと一緒に会話を交わしていたり、アコーディオン弾きのおじさんが哀愁あふれる曲を弾いていて、その曲にうっとりしたり、時にはアフリカ系の黒人が大声で演説したりと、悲喜こもごもといった感じである。

また、パリの人って、意外と親切で礼儀正しいと思う場面も幾つかあった。置き忘れた傘のそばにたまたま座っていて、そのまま立ち去ろうとすると、美しいマダムが《Pardon, Monsieur!》と傘を指 さして、注意を促してくれたり、女子学生が数人で急いで乗り込んできて、私の足を踏みかけると、やはり《Pardon, Monsieur!》と爽やかに謝ってくれ、その一人が私が降りるのを知り、手動扉のボタンを押して開けてくれたりした。
また、地下鉄のエスカレーターの左側についうっかり立っていると、先を急ぐ粋なパリジェンヌがこれまた《Pardon, Monsieur!》と小声で言われたりした。とにかく、《Pardon, Monsieur!》という言い回しはパリ滞在中によく耳にした。  

そして、日本人がフランス語を話すことはやはり珍しいみたいで、フランス語を話す日本人には少し親しみのある笑顔で応えてくれるということが、パリでの新たな発見であった。外国人がパリに住むと違った感想を抱くのかもしれないが、少なくとも観光客にはパリという街は優しい所であった。フランス人は個人主義で冷たいと一般に言われているが、心優しいフランス人気質の一端も今回の旅を通じて知った。

また、様々な人と会話を交わせるのも地下鉄のいい所で、ラ・デファンス(LA DÉFENSE)で見かけたアメリカの女子学生が、東駅(GARE DE L’EST)まで行くというので、乗り換えはシャトレ(CHÂTELET)でポルト・ド・クリニャンクール(PORTE DE CLINGANCOURT)行きの4号線(LIGNE 4)に乗れば行けることを教えてあげたのも、1号線の地下鉄に乗っている時であった。アメリカの若者は、地下鉄でもよく見かけ、男子学生などは身の丈もありそうなリュックをもって2人で旅していたりしていたが、その子も大きなカバンを2個も持って移動していた。大変そうだなと思って、その子を見ていると、突然、話しかけてきた。こちらは地下鉄の路線図をその日の朝ホテルのコンシェルジュ(Concierge)からもらっていたので、丁寧に教えてあげた。これが役立ったのである。

地下鉄も終着駅、乗り換え(CORRESPONDANCE)、SORTIEという出口の紺色の看板さえ押さえておけば、上手に乗りこなせることがわかり、大変重宝する移動手段だと納得し、大いに活用し、楽しんだ。今度フランスを旅をする機会があれば、パリ市内なら、誰かを案内してあげられる自信ができた。“迷”案内役になるかもしれないが。
また、カルト・ミュゼ(Carte Musées)というパス券を購入して、主に美術館・博物館を中心に訪ねてみた。パリの代表的な美術館であるルーヴル美術館(Musée du Louvre)、オルセー美術館(Musée d’Orsay)は、是非とも見たい美術館だったので、第1日目に訪れた。行く前から、是非見たい作品~「モナ・リザ」(Portrait de Lisa Gherardini del Giocondo, dit La Joconde ou Monna Lisa, Florence, vers 1503-1506)、「ミロのヴィーナス」(Vénus de Milo)、「サモトラケのニケ」(Victoire de Samothrace)など~をリスト・アップして、ドノン翼2階(L'aile Denon, Premier étage)を中心に1時間ぐらいで見終えようと計画を立てていった。それでも、思惑通りには行かなかった。ドノン翼は、ルーヴル美術館の南側の翼、つまりセーヌ川沿いの翼(Côté quais de la Seine)であることを頭ではわかっていても、いざ美術館の中に入ると、勝手がちがう。ルーヴル美術館は、やはり広大すぎて、絵を見て回っているうちに、迷路に入り込んだような感覚である。ただ、方位磁石を持っていったのは役立った(またパリの街、とくに路地裏などを歩く際にこれがあったために救われたことが多々あった。必須アイテムである)。

ドノン翼2階のフランス絵画の大作~「ナポレオン1世の戴冠式」(Le Sacre de l’Empereur Napoléon 1er à Notre-Dame de Paris, 1805-1807)、「カナの婚礼」(Les Noces de Cana,1563)、「メデューズ号の筏」(Le Radeau de la Méduse, 1818-1819)、「民衆を導く自由の女神」(La Liberté guidant le people, 1830)~は、いまだかつて、こんな大きな絵画は見たことがない大きさで、呆然とした。絵そのものの純粋な美しさという点では、やはりドノン翼2階にあるラファエロ(Raphaël, 1483-1520) の「聖母子と幼児ヨハネ」(別名、「美しき女庭師」)(La Vierge et l'Enfant avec saint Jean-Baptiste, dit La Belle Jardinière, 1507)には、立ち尽くして、見入っしまった。構図といい、色使いといい、ため息が出るほど美しい。また、通俗的に「ルイ15世の王冠」(Couronne du Sacre de Louis XV, 1722)、 140カラットのダイヤの「ル・レジャン」(Le Régent)も珍しかった。

ロマン派画家ウージェーヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix, 1798-1863)の「ショパンの肖像」(Portrait de Frédéric Chopin, 1838)を静かに模写する女流画家の卵の姿と真剣な眼差しも、心に深く残っている。この絵を選んでいるのは、何か意味深長なのかな、などと想像したりして・・・

そして、オルセー美術館は、入館の際、手荷物のチェックが厳しく少々閉口した。シャルル・ド・ゴール空港(Aéroport Charles de Gaulle=CDG, 愛称はロワシーRoissy)の入国時のチェックと対照的だった。旧駅舎を改装して、美術館にした建物はやはり独特であった。また、アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres, 1780-1867)の「泉」(La Source, 1820-1856)、ミレー(Jean-François Millet, 1814-1875)の「晩鐘」(L’Angélus du soir, 1857)、印象派の絵画、カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux, 1827-1875)の「ダンス」(La Danse, 1863-1868)など、名作鑑賞を満喫した。 

その他、2日目以降、ロダン美術館(Musée Rodin)、ポンピドゥー芸術文化センター(Centre National l’Art et de Culture Georges Pompidou)にも足を運んだ。歴史を学ぶ者として、特に興味深かったものは、次の観光地であった。すなわち、
①アンリ4世からベル・エポック時代までのパリの歴史を紹介しており、中でも、ポリフィルと呼ばれた社交家セヴィニエ侯爵夫人(marquise de Sévigné, 1626-1696)と、ジェラール(François Gérard, 1770-1837)の描いた「レカミエ夫人の肖像」(Portrait de Madame Récamier, 1805)の美しさにみとれたカルナヴァレ歴史博物館(Musée Carnavalet)。師匠のダヴィッド(Jacques-Louis David, 1748-1825)も、5年前の1800年に同じく「レカミエ夫人の肖像」を描いていて、こちらはルーヴル美術館にある。美術的評価は、ダヴィッドの絵の方が高いが、レカミエ夫人(Juliette Récamier, 1777-1849)自身は、ジェラールの描いた方を気に入ったという。
②ルイ16世やマリー・アントワネットらが処刑されて、オベリスクの立つコンコルド広場(Place de la Concorde)、
③プロイセンとの普仏戦争の敗北と、パリ・コミューンの騒乱によって亡くなった兵士・市民を悼んで建てられた、眩しいほどの白亜のサクレ・クール寺院(La Basilique du Sacré-Cœur)、
④東洋人が全くいなかったけど、ステンドグラスのこの上ない美しさを味わったゴシックの雄であるサント・シャペル(Sainte-Chapelle)、
⑤ナポレオンが眠る荘厳な棺が置かれ、フランスのナショナリズムを感じたアンヴァリッド(Invalides)である。
⑥そしてラ・デファンスにある凱旋門の2倍の大きさの近代的な建築物ラ・グランド・アルシュ(La Grande Arche)にも、パリのもう一つの顔を感じ取った。

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