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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

聖書から見る科学(13) - パラダイス3

2011年03月27日 23時51分29秒 | Weblog
[個人史]: 日記 思想・信条・(宗教 聖書) 終末観
※ 【非宗教学的】 天地創造 罪と罰 契約の民
日米崩壊 Sequence( 8th Stage )実行中 - ヒト/サル属分離 大陸再構築 Sequence 実行 「 人造崩壊物質 」
これは 聖書解説 などではない。 

私の視覚を含め 身体上の健全(健康)な状態がどんなだったか忘れてしまった。
四六時中違和感の中にあれば ”健全”と置き換わってしまう。
アタマの中が重く 痛い状態と健康な時との違いが分からなくなってきたのだ。
慣れたのではない。 現在進行中のマヒ感である。


<パラダイスの ”心格(精神)”>
天国の前哨である「パラダイス」 と、地獄の前哨である「獄屋(ひとや)」。
この二つのことばが キリスト教界以外の宗教にも有るか?は知らない。

だがパラダイスには、 現世で キリスト教徒であった霊は勿論、 仏教徒の霊も、ユダヤ教徒もイスラム教徒も、その他あらゆる信仰で人生を生きた霊たちが居る。
仏教で云う 「大乗」 なのではない。 むしろ 「小乗」の極み であると云って良い。

私は 30年近くの間 人々に対し勧めてきた。
『徳を高める為にも信仰(宗教)を持って生きるのが良い。ただし、欲望や暴力を容認し、犯罪行為を助長する組織・団体には関わるな!』 と..。

信仰は 良心に従って生きる習慣と至高者を拝し従う習慣を養える上、 組織・団体に属することで 私心を捨て互いに愛し合う(助け合う)習慣を養うのに都合が良い。
徳が高まるほど 謙遜・柔和が高まり 感謝と親切心にあふれて たとえ宗教が異なっても 互いの信仰をも認め合うことができるのである。

信仰者が互いに ”徳を高めている宗教の違い” を認め合う(尊重し合う)のは特別なコトではない。
過去記事にも残したように 宗教は政治や思想と同様。 隣人の生きざま(方法)は異なっても目指すゴールは同じ「幸せな暮らし」。
そしてその違いを認め合うことが 互いの徳をさらに高めることにも繋がるのである。

それだからごらん、
ひとが死を迎えて後 パラダイスの霊から 『良心はキリストのひかりだった』 と聞いて受け入れる霊は天国に入る準備をし、あくまで 「いいやキリストではなく、自分が信じてきた 神仏 の光だ」 と言い張る霊は 与えられる地属の世界で自分たちの天国・極楽を作ればよい。
彼らは互いに 徳を高める習性を有して信仰の違いを否定しないから 確かにそこも 天国・極楽のようだ。


注) 前の記事で 「地獄は無い と云っても間違いではない」 と云いながら、 ”地獄の前哨” とは何ぞや!? と、気づいたものは 見込みがある。 後述する


(続)

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