創作されたストーリーではなくて著者の方の人生がかかれた自伝だし、人の人生に対して私が感想を書くって何だろう?と思ったけど、エピローグで「この本に書かれた私の人生は、読者によってそれぞれの価値観でジャッジされていくのだろう」と書かれているので、この本を読んで感じたり考えたりしたことがあるので書いておこうと思う。
この本を見つけた時、私の頭の中浮かんだのは映画の「海を飛ぶ夢」だった。
見たのはだいぶ前になるけど、確かスペインの映画で、ジャーナリストの女性が安楽死を望み準備をすすめる脊椎損傷の男性を取材しに訪れることで始まる物語だった。
2人の間には恋愛(と言っていいと思う)感情が芽生えて、心の交流も行われるけど、男性は最後は安楽死を成功させて終わる。
(正確には介助自殺、私はこの本を読むまでその違いを知らなかった。)
見終わった直後は「彼女と出会えたのに死んでしまうなんて」と思ったけど、もしも自分を受け入れてくれる人間が現れたら生きることを選択するならば、安楽死とはなんだろうとなってしまうから、ラブロマンスではなく安楽死にまつわる物語として完成させるならこの結末しかないんだなと少し時間が経ってから思った。
状況や周りとの関係性が変わることで生を選ぶならば、明日状況は変わるかもしれないんだから生きた方が良いとなるだろう。
この本のくらんけさんが残される家族(主に両親)のことを考えて直前で決行せずに帰国したように、人間はいくら自律を望んでも周りに影響をされずにいることは不可能だと思うから、(そしてそういったものは自分の意志とは関係なく存在したり変わったりするから)まったくの独立した人間として決断をすることは難しいと思ってしまった。
そういう意味では取り返しのつかない死を選んでしまうことは本当に良いんだろうかと思う。
未来が常に不定である以上、現在は治療が難しいどの病気も治療法が見つかる可能性はゼロではないんだろうし。
ただ見つからない可能性もあるから、本人の尊厳はもちろん痛みとか疲れとかをひたすら我慢して、見つかるほうの可能性にかけて生きなくてはいけないと強制されるのもおかしいとも思う。
結論として、やっぱり選択肢として安楽死制度はあったほうが良いのではないかとは思っている。
それを選ばない人がいるのは勿論当たり前として、社会が選択肢として許すことすらしないのはしんどいな、と。
ただこの本を読んで、正直安楽死をするのってすごく難しいとも思った。
くらんけさんは頭が良い方のようなのでこなしているけど、もし自分だったら病を抱えた状態でこれをできるかな?
海外へ行くしかないからというのも勿論あるだろうけど、国内で認められたとしても書類関係の準備は難易度高めのままになるような‥
かといって、本人の意思確認は慎重にすすめるべきだと思うから簡素化すればいいってものではない気がするし‥
でもこれをこなせないと実行ができないんだったら、知的にハードルがあったり脳がクリアじゃない状況だったりしたらまず無理だなと思う。
本人が主導的に行うんじゃなければ「安楽死を選ぶ」とは言えないだろうし‥
でも選択できることを権利として考えるんなら、それを行使できない人が当たり前にいるのもおかしいし‥
そもそも、病態等もそれぞれだから、どんな状態なら安楽死を選ぶ権利があるのかという線引きも難しい。
死に方は生き方というけれど、多様性とか謳うまでもなく人間が色々すぎて、全員に適用される法制度として存在させるのはとても難しいんだろうなと思った。