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日々の雑記

日々思いつくままに書いていくだけのブログ。
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骨折シリーズ番外編。入院中の思い出

2025-03-11 01:00:00 | 骨折シリーズ
以前書いた骨折シリーズの番外編みたいな話。
骨折シリーズについてはカテゴリー分け
しましたのでカテゴリーの骨折シリーズから
読んでない方はどうぞ。その中で入院は人生2回目
と書きましたが1回目は幼少期だったので、ほぼ
覚えてないのです。なので実質この骨折の入院が
初めてみたいな感じでした。今日はその入院の話。

1ヶ月ほど入院して色々大変だったことはありますが、
一番大変だったのは生活リズムが自分で決めれず
病院の決めたのに従わないといけなかったこと。
私の入院した病院では朝6時起床、7時朝食、12時
昼食、18時夕食、21時就寝でした。なんて規則正しい
生活。でもそれまで不規則な生活をしていた私には、
この生活リズムに適応するのに相当苦労しました。

特に寝る時間。21時に寝れるわけが無い。小学生の
子供か?普段ならまだ職場で働いていることがある
時間です。結局日付変わるまで寝れない。でも
起きる時間は決まってるので睡眠時間が極端に短くなる。
まあ1日することが無かったので昼寝はしてましたが。

朝起きると看護師さんが「よく寝れましたか?」
「全然寝れなかったです」「そうですか」いや、
そうですか。で済ますなら聞いてこないでくれ。

次に食事。病院食です。内容に関しては栄養バランス
第一で作られているので味も含めて妥協するしかない。
問題は時間。私は看護師さんに聞きました。
「食事の終わりの時間って決まってるんですか?」
「2時間ぐらいです」2時間。それだけあれば十分だな。と
安心しました。ところが…食事が始まって20分。私は早食い
ではないのでまだ食べています。すると食べ終わった食器を
回収する人が来るではないですか。私の部屋を除くと、
こいつまだ食べてるのか…みたいな顔をして去っていく。

いやいや、まだ20分だよ。1時間過ぎてるとかなら私が遅い
のかもしれないけど。ちなみに看護師さんに「まだ食べて
るんですか?」と言われたこともありました。いや、だから
まだ30分程度しか経ってないよ。病院が早食い推奨して
どうするんだよ。老人が食べ物詰まらせたら誰が責任
取るんだよ。食事くらいゆっくりさせろ。と思いました。

最後に。夜勤の時間帯に痛み止めの点滴が無くなったので
ナースコールを押しました。が、全然看護師さんが来ない。
結局10分ぐらい経ってようやく来ました。私は
「点滴が空ですけど」と伝えました。すると看護師さんは
点滴を見つめて「何だコレ?」みたいな顔でしばらく
考え込んでから出ていきました。

新しい点滴を持って戻って来るまで20分ぐらいかかりました。
いやいや、日勤から引き継ぎとかされてないの?痛み止め
だったから良かったけど切らしたらいけない点滴だったら、
この対応の遅さは駄目だろ。少人数の夜勤で忙しいのは
分かるけど。その割に雑談の楽しそうな話し声が病室まで
丸聞こえなんだけど

というわけで今日は入院で色々な体験が出来たという話。
文句みたいな内容になってしまいましたが、この病院が
無ければ私は一生自分の足で歩けなくなっていたので、
今でも本当に感謝しています。同時に病院で働いている
人々は全員が人間です。ロボットではありません。

看護師に関わらず病院関係者の仕事はどれも過酷です。
ゆえに入院している患者側も多少は寛大な気持ちを
持たないと、お互いにストレスがたまるだけだと
学びました。もっとも向こうに落ち度が明確に
あるならハッキリ言った方が良いと思いますが。

今となっては全部良い経験になりました。
とはいえ、願わくばまた入院することに
ならないようにしたいです。重い病気とかは
仕方ない部分がありますが、今回のような
怪我は二度と勘弁。

そう思って日々運動をしています。

ふくらはぎの腓骨を複雑骨折した話 最終回

2025-02-04 01:00:00 | 骨折シリーズ
リハビリ中に理学療法士の方から色々な
話を聞いて、それが凄く勉強になったので
最後に紹介したいなと。

「最近は君より若い人でも骨折する人は多い。
若いのに足腰が弱っているから。
その理由はバリアフリーの場所、あと洋室が
増えているから。バリアフリーや洋室は身体に
負荷がかからないからお年寄りには優しいが、
若い人には身体を衰えさせるだけのもの。君の
田舎の家は和室でしょ?下に座るでしょ?
段差も多いでしょ?ベッドじゃなくて敷布団でしょ。
でもそれが良いんだよ」

「例えば敷布団の場合、起きるあがるのもベッドより
遥かに足腰を使う。そして布団を畳んで押入れにしまう。
この動作も足腰を使う。下に座るのも椅子に座るより
足腰を使う。段差を乗り越えるのにも足腰を使う。
足腰はね、使わないと衰えるんだよ。それに年齢は
関係無い」

「エレベーターやエスカレーターの普及も足腰が
弱くなる人を増やしている。ちゃんと階段を使えば
そう簡単に弱らない。現代社会は身体に優しくなって
いるが、言い方を変えれば身体に甘くなっている。
それは足腰にかかわらず身体全体を衰えさせる。
普段から運動が習慣の人はともかく、そうでない人
はどんどん身体が弱っていく。その結果、どこかで
転倒して簡単に骨折する」

「身体を鍛えるというのはね、身体をいじめること
なんだよ。逆に身体は甘やかすほど衰えていく。
いじめすぎはよくないけど定期的にいじめて衰え
を防ぐことが肝心」

「職業病だけど駅とかで階段を降りる人をつい
観察してしまう。1段、1段、しっかり降りている人
は足腰がしっかりしている証拠。逆に不安定だったり
若い人に多いけど凄い勢いで降りていくのは駄目。
ちなみに上る時は勢いでなんとかなるから参考に
ならない」 

「最近若い子の不良が少ないよね。良いことだけど、
不良ってヤンキー座りで座ってるよね。あれ足腰を
凄く使うポーズで、たぶんあれが出来る子が減ってる
んじゃないかな?」

「女性のヒールは論外だよ。足首の柔軟性は凄く
大事。その足首を固定する履物で転倒しても
驚きが無いね。だから足首のストレッチ、色々
教えたでしょ?ヒールじゃなくても足首が
固いと転倒する確立は跳ね上がるよ」 

最後に。私のリハビリを担当してくれたのは
リハビリ科のトップの人だった。年齢は不明だが
頭は白髪で真っ白。髪の量もだいぶ少なかった。
50代後半は間違いなかっただろう。その代わり
身体は筋骨隆々。私が何かメニューをこなして
いる間、隣でずっと片足スクワットをやっている
鉄人だった(片足スクワットとは片足を真っ直ぐ
伸ばした状態でもう片方の足だけでスクワット
すること。数あるスクワットの中で最も負荷が
高いと言われる。それを私に話しかけながら
ずっとやっていた)歩く姿は身体の上下左右の
ブレがほとんど無く、歩いている。というより
スベっているように錯覚させた。あの歩き方だと
関節に負担がほとんどかからないだろう

理学療法士として何十年と積み重ねてきた経験
のおかげで私は元通り歩けるようになった。
本当に感謝しかない。

長いシリーズのお付き合い。
ありがとうございました。

最後にみなさんも私のように
なりたくなければ日頃から足腰の
ストレッチと運動をかかさないように。
冗談抜きでリハビリが上手くいかなかった
ら二度と歩けない身体になっていたので。

ふくらはぎの腓骨を複雑骨折した話 その5

2025-02-03 01:00:00 | 骨折シリーズ
いよいよリハビリ卒業の最終試験の日がやって
来ました。出来ることはやり準備も万端。
まずはカーフレイズ片足で30回ずつ。きっちり
こなしました。続いて昇降台40cmの上り下り
20回ずつ。思ったより高さがありましたがなんとか
クリア。これで終わった!と思ったのもつかの間、
理学療法士の人が

「なんかあっさりクリアされてつまらないな」 
「え?」 
「確か50cmの昇降台があったはず」 
「日常で50cmの高さを昇り降りすること
あります?」 
「田舎にいくと玄関の段差が凄く高くてそれくらい
無い?」 
「いや確かに田舎の玄関は凄く高いですけど…」 
「後はバスの降り口が凄く高いこととか…」 
「分かりましたよ。やりますよ」 

さて50cm。この高さになると、もはや上るだけで
足を思い切り上げないといけない。それでも確実に
ゆっくりしっかりやりました。なんとかクリア。
これには理学療法士の人も両手を挙げて

「白旗。降参だよ。リハビリはこれで終わり。
最後に歩く姿だけ見せて」 
私は軽く廊下を歩きました 
「うん、もうどっちの足を骨折したのか分からない
レベルだね」 
リハビリを初めて約5ヶ月。ようやく終わりました。

さて肝心の骨の方ですがちょうど骨折して1年で
骨が完全にくっついているのを確認しました。
問題はここからで本来なら骨が治ったのだから
固定のために入れた金属を抜く手術を再度する
のですが…気づけば世の中はコロナ禍真っ只中。
とても手術出来る状態ではないと言われ、おさまる
まで様子見ということになりました。が、みなさん
ご存知のように今もおさまったわけではありません。

結局足の金属は入れたままになっています。別に
それでも問題は無いらしいです。主治医いわく世界
でも治ったら抜くのは日本だけらしいです。何故
他国は抜かないのか?理由は単純でお金が凄くかかる
からです。入れる時は治すためなので仕方ないですが、
抜くのにまた大金を使うつもりはない。というのが
世界の常識らしいです。日本の医療制度に感謝
ですね。

さて最終回の予定でしたがこの骨折で色々なことを
学んだのでそれを明日書こうと思います。もう少し
お付き合いを。

ふくらはぎの腓骨を複雑骨折した話 その4

2025-02-01 01:00:00 | 骨折シリーズ
ようやく体重をかけてリハビリ出来る日がやって
きました。とはいえいきなり全体重とはいきません。
最初は1/3、次に1/2。そして最後に全体重といった
段階を踏みます。それでもようやくの両足接地。
嬉しかったですね。が、喜びもつかの間でした。
長い間松葉杖で歩いていました。それがようやく
元の足で歩けるようになると思ったら…歩けない!
自然に足が動かないのです。リハビリの理学療法士
の方曰く、脳が歩き方を忘れてしまっているとの
こと。そんなことあるのか?取り戻すにはひたすら
歩くしかありません。なのでひたすら歩きました。

全体重かけれるようになってからも最初は20分程度
歩くのが限界でした。毎日積み重ねて少しずつ時間が
伸びていったし本来の歩き方も思い出してきた。そんな
感じでした。

さて、骨折した足の筋力は相変わらず衰えたまま。
なのでリハビリでは全体重がかけれるようになったので
本格的に筋トレが取り入れられました。といっても
ふくらはぎなのでカーフレイズ(かかとの上げ下げ)と
スクワット。この2つが基本です。とくにカーフレイズ
はひたすらやりました。1日300回はやりましたよ。
なので日々のリハビリはストレッチ→筋トレ→外を
歩く。これの繰り返しでした。骨もレントゲン取るたび
に修復されてきているのが分かって嬉しかったです。

さて一番気になったのはリハビリのゴールです。
どこまで行ったらリハビリ終了なのか?その質問を
すると意外な答えが帰ってきました。「昇降台を
しっかり上り下り出来るようになったらそこで終わりかな」
昇降台?歩けるようにとかじゃなくて?そしてもう1つ。
「片足でのカーフレイズが30回出来るようになったら」
健康な人は転倒しないように気をつけてやってみて欲しい
ですが骨折してなくても片足でかかとの上げ下げ30回は
相当きついです。そして昇降台。この昇降台が実に高さ
40cm。だいたい椅子ぐらいの高さの上り下りです。
これを20回ずつ繰り返す。この2つがリハビリのゴール。
果てしなく遠く感じました。これを聞いた時、
片足カーフレイズは5回が限界&昇降台は20cmぐらいが
限界でしたから。

次回最終回

ふくらはぎの腓骨を複雑骨折した話 その3

2025-01-31 01:00:00 | 骨折シリーズ
骨折というのは単純だろうが複雑だろうが、
基本的にギプスが取れた時点で後はひたすら
リハビリしていくだけです。これが結構不思議
ですが骨は当然まだまだ元に戻っていません。
ただ骨は周囲の筋肉で支えられいる。私の場合
は骨の中に固定した金属で支えられているので、
リハビリ自体はもう出来るのです。というか早め
にリハビリして、骨が完全にくっつくまでにリハビリ
を完了させないと元のように歩けるようにはなり
ません。

とはいえ松葉杖状態で出来るリハビリは限られて
います。折れた方の足はひたすら曲げ伸ばしや
上げ下ろしの運動です。これしとかないと細く
なった筋肉が戻らないですし、むくみも一向に
取れません。あとは松葉杖でひたすら歩きます。
これは折れてない方の足の運動というより、
松葉杖を使って歩くことによる全身運動です。
なにせ1ヶ月以上ベッドで寝ていたわけですから。
運動不足をまずは解消しないといけません。
松葉杖で1日1時間とか歩いてました。

さて定期的に病院にいって主治医はレントゲン
見て骨の状態の経過を見るのと可動域の確認を
するぐらいです。本番はその後でリハビリ室に
行ってリハビリをします。とはいえ具体的には
ストレッチがほとんどです。運動不足の解消も
大事ですがそれより大事なのは身体の柔軟性を
上げることです。そうしないとしっかりとした
運動も出来ないので。なので数々のストレッチ
方法を学びました。まだ骨がくっついてない足
も容赦なく伸ばしたりしていきます。そう
しないと、むくみが治りません。折れた足に
体重をかけていいのは主治医からOKが出てから
です。正確には忘れましたが体重をかけれるよう
になるまで結構かかりました。その頃にはもう
車椅子も松葉杖も自在に使えてましたし、車椅子
はもう必要無いレベルでした。外も移動出来て
ましたし生活もほぼ普通に出来るまでになって
いました。もちろん折れた足の骨はまだまだで
したが、片足でもなんとかやれるものだな。
と思いました。気づけば足の痛みもほぼゼロに
なっていました。

続きは明日