いや~ん。オヤジギャグ

2005年01月30日 | diary
花の金曜日の電車内。

座っているわたしの前に、ほろ酔い気分でつり革にぶら下がっている中年サラリーマンがふたり。
例のごとく会社の愚痴を言いあっている。

「うちの会社、やっとISO*#○×を取得したんだよ」
「へぇ、それはすごいなぁ。あれ取得するの大変だっていうじゃないか」
「いやぁ、あんなISO認証を苦労して取得したからって、なんの役に立つのか誰も全然理解して無いみたいだぜ。
俺だってわかんないよ。まったくアイエスオーじゃなくてユーエスオー800だな」

久しぶりに聞いたオヤジギャグ(笑)
わたしはつい言いそうになった。
「はい山田君。座布団一枚」
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ねむい、眠い、ねむい

2005年01月27日 | diary
眠くて仕方が無い。本当に眠くて眠くて。
コタツに入って、録りだめしたビデオをみていると知らないうちに眠っている。気を紛らせないと、気持ちがネガティブになりそうなのだ。やらなければならないことが、山積しているのだがそういうことは何もしたくない。
人は怖れるものを引き寄せると言うから、なるべく悪い事は考えないようにしなければ・・・・
でも異常に眠い。肉体が疲れているというより、脳が疲労している感じだ。
昨日は、父の介護保険の聞き取り調査だった。事業所の方の予想だと介護2くらいらしい。
父は歩けるようになるのだろうか。本人は早くリハビリを始めて歩きたいらしいが。意欲ばかりが先走って、勝手に動き出してまた転倒されたら元も子もない。前向きなのが救いなのだが、頭は以前より冴えている。

親友のhisaのように、「ねばならない」と義父の介護に頑張り過ぎて自分が壊れかけ、精神科や心療内科にに通院するのもつらすぎる。がんばらない介護が今は主流らしい。あと何年かで人口の四分の一が60歳以上とか。あ~~。いろいろ考えると暗くなる。しかし、父のことは元気な母が面倒を見ているので、わたしはサポートに徹しているが。まだ非日常なので疲れるのだろうか。
40をすぎた頃から、早い人は介護生活に入っていたし、友人が集まるとそんな話ばかり。
おまけに年上の友人は、親を送ったと思ったら次は夫の介護だとか・・・きゃぁ~。
hisaのお義父さんは暮れに終身介護の病院に入ったらしい。あれほど嫌がっていたのに静かに入院して行ったそうだ。そして彼女にも感謝をし、周囲の人にも「こんな良い嫁はいない」と言ったと聞いた。それを聞いて、わたしは彼女の今までのつらさを思い出し、複雑な感情も湧いたけれど嬉しかった。
逝った者が私達の胸にのしかかるのは、お互いに言えなかった事、言わなかった事があるからだという。
ちゃんと気持ちを伝えていけば、自分ばかりでなく相手も、そして深かった溝も埋められ癒されるのだと思う。
電話の向こうで「わたしに対するお義父さんの気持ちがわかって嬉しい」と涙ぐんでいたhisaに今まで御疲れ様でした、としか言えなかった。

人は怖れるものを引き寄せる。
そうだ!! 悪霊退散、悪霊退散。

でもこんな風にだらだら書いていたら、少し元気になった。



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死ぬ作法とは 山越阿弥陀来迎図

2005年01月26日 | art
五木寛之の百寺巡礼で、前回の京都永観堂禅林寺を録ったビデオを観る。
ここは「紅葉の永観堂」で一般に知られているらしいが、寺宝は見返り阿弥陀とわたしが好きな仏画の「山越阿弥陀如来来迎図」だ。

全国に山越阿弥陀図はあるのだが、以前何かの本で読んでから、わたしは永観堂禅林寺の山越阿弥陀に惹かれていた。だからこの来迎図を一度は目にしたいと思っているが、まだ永観堂を訪れる機会には恵まれていない。
山越阿弥陀来迎図は鎌倉時代の人が死に向かい合った時の、死ぬための装置…それは「死ぬ時の作法」とともいわれている。
当時の人は臨終を迎えようとする時その傍らに、山越阿弥陀来迎の図を掛けたらしい。
死に行く者を浄土へと導いていくのは阿弥陀如来だ。
だから死の床に横たわる人は、仏画の中の阿弥陀と直接繋がっている五色の糸を握り、白豪から出る光に注目をしながら、安心して極楽浄土への死出の旅に出るという。
白豪には水晶球がはまっているものもあるらしく、その背後から灯明などで光を当てると、まるで阿弥陀の白豪が本当に光を発して輝いているように見えたのだと思う。
光に注目をしながら念仏を唱え、心静かにあの世に旅立つ・・・それが当時の人たちの、死ぬための作法だったのだろう。
わたしも願わくばそんな穏やかな死が、わたしのうえに訪れて欲しいと思っているのだが・・・。
 
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憂鬱な季節

2005年01月24日 | diary
朝、いつものように我が家のわんこを呼ぶと、何故か右足を引きずっている。ちょっと触れただけでもひどく痛むのか、キューンと悲鳴をあげた。こんな事は初めて。かかりつけの獣医さんは日曜日も開院しているので早速連れて行く。レントゲンを撮り、詳しい説明と注射を打っていただき帰宅。犬は勿論保険が無いので(家族なのにぃ)1万2千円も支払う。あ~~~あ。大出費。

1,2月は毎年、何故か良い事がないのだ。今年は父が倒れ、わんこが痛む関節症を発症。
迷信や占いを信じないわたしだが、やはり毎年この時期は気になる。去年は県外の大学にいた息子が重いインフルエンザに罹った。わたしが駆けつけたものの中々病状が改善されず、アパートの大家さんに相談して日赤に駆け込み本当に心配だった。
そして今年は、金曜日に就職先から帰省した息子は、指に大怪我をして、仕事中にピペットが割れ、その破片が指を深く切り何針も縫った労災らしい。あ~、今年もついていない。
それに、この季節は受験時期で、受験生の健康管理もしなければならないし、結果が出るまで親としても不安な時期だ。そして結果に一喜一憂して…。そういう意味では心が落ち着かない嫌な季節。
しかし、春が訪れるとそれなりに流れていくのだけれど、今のようにその渦中にいるときは、やはり辛い。
まぁ、くよくよしていても仕方が無い。でも気持ちの中に、少し鬱がはいっている。
できることなら明るく暖かい春がくるまで、ずーっとぬくぬく冬眠していたい。


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サイコーだった!! STING 

2005年01月23日 | diary
STINGの武道館ライブへ行く。
わたしにとっては、本当に本当に久しぶりの武道館コンサート。やっと第二希望でゲットした2枚のチケットだった。
send your love で始まると興奮して、しばし体調の悪い父のことを忘れる。50過ぎとは思えない、スティングのエネルギーとセクシーさに圧倒される。アリーナ席は早々とスタンディング状態になっていた。
わたしの好きなナンバーばかり、後ろの関西から来たらしい姐ちゃんも(あら、わたくしとしたことがお下品)が「おっさん、かっこいい」って叫ぶ。20代からみたら、さすがのスティングもしっかりおっさんなんだ。でもSTINGは53とはいえ素敵だった。3、40代が多かったが、白髪交じりの50代以上もそれなりに……。joy roseとのwhenever i say your nameもご機嫌。こういう興奮も久しぶり。
だんだん出不精になりつつあるが、ほんもののおばさんにならないように、好奇心を持ち続け自分に刺激を与えなくては・・・ね。

最近気づいたのだが、わたしは誤解されているみたい。友人たちと忘年会をしたときに、マツケンサンバの話が出た。「憂鬱なときにこれを聴くと何か元気になるのよね」とわたしが言うと、Sさんに思いっきりヘェ~と呆れられた。「貴女がそういうの好きなんて知らなかった」って。
どうやら、わたしはオペラとクラシックコンサートしか行かないと思われているらしい。
ヘェ~。へェ~。ヘェ~。




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