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混凝土に咲く花のように


海外旅行記や国内旅行記など、数々の旅行記を連載中!
        HP『我道旅人』で更新内容をまとめて掲載

ベトナム旅行記 列車その2

2007年08月08日 | ベトナム旅行記
ご飯を食べ終わると車窓から見える風景をただ眺めていた。
目前に広がるのは見渡す限りの田んぼで、農機の代わりに牛が耕耘作業を担っていた。
また合鴨農法なのか知らないが、鴨の親子が歩いていたりと見ていて飽きない風景だ。

大阪人姉妹が各車両を回って帰ってきた。
前車両にはシート席があったというので、俺も散歩しにちょっと行ってみるか。

先頭車両に辿り付くとそこにはソフトシートが並んでいた。
思ったよりも広く悪くなさそうだ。
フエから先寝台を取らなくても十分寝れそうに思えた。
コンパートメントに戻ろうと思っていたところ、後ろから名前を呼ぶ声が聞こえた。

振り返るとソーヘイともう一人中国系の顔立ちのベトナム人が座っていた。
このベトナム人はソーヘイの隣のベッドの人で仲良くなったようだ。
ビールを奢ってもらい二人で飲んでいた。
しばらくソーヘイと話した後掛け声を掛けて別れた。

「じゃあダナンで会おう!」

そう俺はこの時ようやくホイアンに行くことを決めたのだった。

ベトナム旅行記 お釣

2007年08月07日 | ベトナム旅行記
コンパートメントに戻り寛いでいると、コーヒー売りが前を通りかかった。
大阪人の妹さんが紅茶を飲もうと売り子を呼び止める。
料金は5000ドンだと言っているのだが、その言葉が理解できなかったのだろうかお札を広げ売り子に選ばせていた。

俺も1杯頼むことにした。
10000ドンを渡しおつりを貰おうと思ったのだが、お金を受け取るとそのまま売り子は立ち去ってしまった。

「ちょっと待てよ!!」

間髪付かずに日本語で叫ぶ。
しかし2段ベッドの上段からでは声が届かず売り子は消えてしまった。
すぐさまベッドから飛び降りると走って追いかける。

「釣りをよこせ!」

しかし売り子はスマイルを見せてごまかそうとしている。
若い娘ならともかくオバサンのスマイルには騙されることはない。
舐められてたまるか。

寝起きだが声を張り上げ起こっている雰囲気を出すことにした。
すると本気だということが伝わったのだろう嫌々5000ドンのお釣をよこしたのだった。

ホーチミンにいた時はベトナム人は皆良い人で騙す人などいないと思っていたのだが、ここまで粘り強い奴がいたとはな…。
お釣を取り返した満足感とベトナム人に対する失望感を感じながらコンパートメントへと戻る。

それにしてもなぜそこまで抵抗してお釣をくれなかったのだろう…。

ふと妹がコーヒーを頼んだ時いくら取られたのだろうかという疑問が頭をよぎった。
おそらく10000ドン取られたのではないだろうか。
そこで売り子は鴨にするにはいい相手だと、俺に対しても10000ドン取ったのではないだろうか。

たかが5000ドンつまり40円程度のお金なのだが、こういったやり取りでは俺は絶対に負けたくない。
お金の面というよりも相手との騙し合いのゲームに負けるのが嫌なのだ。
ジャパニーズ魂を舐めるなよ!

ベトナム旅行記 電車

2007年08月06日 | ベトナム旅行記
2005年9月21日

電車内は2段ベッドになっていてコンパートメント内はベトナム人のお爺さんと大阪人の姉妹と一緒だった。
この旅ではよく日本人に出会うのだがその中でも俺が訪れた他の国と違うのは女性の個人旅行者が比較的多い。
ベトナムは治安が良く、またアオザイを始めとする鮮やかな衣装や生春巻きなどの料理が美味しいのが理由なのだろう。
彼女らはこの電車でフエまで行くと言っていた。


朝になると朝食を配る声で目が覚める。
あまり良い寝床ではなかったのだが、ぐっすりと眠ってしまったようだ。
2段ベッドから降りて入り口に置かれたカップラーメンを手にした。
お湯はどうするのだろう。

皆カップラーメンを持って歩いて行くので、つられて付いて行くことにした。
すると車両の連結部に湯沸かし器が置かれているのを見つけた。

ベトナム旅行記 ホーチミン出発

2007年07月26日 | ベトナム旅行記
昼飯を食べていた時から話題になっていたプリンが美味しいという喫茶店に入ることにした。
喫茶店といってもコジャレタものではなく、誰でも気軽に休憩できるような実に庶民的な雰囲気の店であった。
俺はプリンが好きなのでプリンと、食後には独特のドリップカップで入れられたベトナムコーヒーを飲んでみることにした。
とても甘ったるいが味は悪くない。

「フエに行ったらチェーが美味いから食べてみな。」

ツクダニはベトナム国内のスウィーツを食べ歩いたらしく、スウィーツ情報を色々と知っていた。
旅先でスウィーツはあまり食べないからなんだか軽い違和感を覚えたが、楽しそうに話すツクダニを見ていたら最後にはそれも面白いかもしれないと思うようになっていた。


外に出ると日がもう暮れていた。
フエ行きの列車の時間が近づいてきたのでGHに戻り荷物を整理することにした。
ドミはほとんど人がいなく、お世話になったタカシさんもいなかった。

このドミはあまりいい宿とは言えなかったけれど、それでも色々と楽しかったな。
ベトナム笠が付いたザックを持ち上げるとツクダニに別れの挨拶をしに行った。

ツクダニは部屋にいたのだがテツガクは見当たらなかった。
部屋に戻ってすぐにどこかへ行ってしまったのだろうか。

電車の時間が近づいてきたので、ソーヘイと簡単な夕食を食べに行くことにした。
トーストにフライドエッグを挟み食べていると、丁度外にテツガクが通りかかった。

「テツガク!」

ソーヘイが叫びながら外へと駆け出す。
その様子を見ていた店員が食い逃げかと思い慌てて外へ飛び出そうとする。
しかし俺と目が合った瞬間逃げられた訳ではないことを理解したのだろう苦笑いしていた。

テツガクとツクダニは明日日本へと、俺とソーヘイは今から北に向けて出発する。
そしてドミで一緒だったタカシさんは明日北へと、そしてツアーで知り合った人達は昨日北へと旅立っていた。

今回の旅の出発点であるホーチミンを発つのは寂しかったが、旅人の習性とでもいうものなのか、旅する人は皆縦断してみたくなるベトナムの魅力に胸を躍らせていた。

ベトナム旅行記 中央郵便局

2007年07月14日 | ベトナム旅行記
中央郵便局は19世紀末フランスの占領下にあった時代に建設されたものらしい。
黄色で縁取られたお洒落な概観は郵便局にしては綺麗すぎるものだった。
テツガクと合流してから、せっかくなので中へと入ってみることにした。

ソファに座り休んでいるとツクダニがホイアンで知り合った日本人の大学生が通りかかった。
彼女は卒論でベトナムについて書こうとしているようで俺達にアンケートをやってくれないかと言う。

紙と鉛筆を受け取り設問を眺めた。
ベトナムの歴史から観光業まで様々な設問だったが、それぞれの設問にはベトナム戦争がその背景にあると感じさせた。
設問に答えようと思うのだがすんなりと答えることができない。
ベトナムについて何も知らない自分に気づかされることになった。

『Q.サイゴンとホーチミンの名前の印象について答えなさい。』

サイゴンて昔のホーチミンの名前だっけか。
印象なんて何もないよな…

そんなチンプンカンプンな思考を繰り返し、アンケートの参考になったか分からない解答で全て記入を終えた。
今思えば訪れる国について何も知らないのはとても恥ずべきことである。
ガイドブックに記載されている簡単な歴史的背景くらい勉強してくればよかったと深く反省させられた。

ベトナム旅行記 戦争証跡博物館

2007年07月10日 | ベトナム旅行記
観光客も割りと多いのでここが戦争証跡博物館で間違いないだろう。
もし違ってたとしてももう他の場所に向かう時間はない。
恐る恐るチケットを購入して内部に入った。

館内にはガイドブックで見た写真や展示物があった。
息切れが激しく、ゆっくり立ち止まってみることができない。
体の回りに絡みついた熱気で噴出す汗を拭きながら写真の周りをグルグルと歩き回った。

戦争証跡博物館で一番印象に残っているものはホルマリン漬けされた奇形児だった。
お腹でくっついている双子や口が裂けている子供など現物として残された戦争の悲劇的な姿を見ていると悲しい気持ちにさせられる。
アメリカ軍の無差別攻撃である枯葉剤によりこのような子供が生まれたのだろう。
戦争は時に人間の心をも蝕んでしまう。
枯葉剤を巻いたらどのようになるかなど後先考えず、いやむしろ始めから何も考えていないのかもしれない。
相手を思いやる気持ちが少しでもあったらそもそも戦争自体起こっていなかったのだろう。
燃え滾る暑さの中、呆然とその子供の姿を見つめた。

「閉館時間なので外へと出てくれ。」

閉館2分前になり係員が来場者の退場を促し始めた。
わずか30分の見学時間であったが、汗だくで落ち着かなかったこともあり結局全部見るだけ見てしまった。

博物館の外へと出ると急いでテツガクと待ち合わせをしている郵便局へと向かった。

ベトナム旅行記 全力ダッシュ

2006年09月20日 | ベトナム旅行記
ここは戦争博物館ではなく、ホーチミン市博物館であるということは変えようがない事実。
チケットを買ってしまったけれど、ゆっくりとホーチミン市について勉強している時間は全くなかった。
すぐにでも戦争博物館へと向かわねばならない。
幸いなことに戦争博物館までそれほど遠くない。
入り口で180度反転し、猛然と戦争博物館へと向かった。

ソーヘイが先頭で俺が2番目、後ろにツクダニが付いてくる。
時間がないので全力で走り続ける。
ベトナムの夏はとても暑くすぐに汗が噴出す。

カラビナで腰に付けたペットボトルを押さえる。
通りではバイタクが乗った方が早いよと笑っている。
今更乗る訳にも行かない。
もう時間がないのだ、これ以上間違えられては困る。
16時半、つまり閉館30分前に戦争博物館に到着した。

タクシー

2006年09月15日 | ベトナム旅行記
タクシーは門を通り抜け、建物の前に停まった。
見学時間があまりないため、すぐさま運転手に運賃を払うと、走ってチケットカウンターへと向かう。
入場券の半券を握り締め建物の中をうろつく。
何だか展示されているものや周囲の状況に違和感を感じ始めた。

戦争博物館なのに鍬や鋤などが並んでいるのだ。
まさかこれがベトコンの武器だというのか…
何だか建物も小奇麗で全然戦争の雰囲気を出していない。

ひょっとしてここは戦争博物館ではないのだろうか…
不吉なことを考えてしまった…いかんいかん。
恐る恐る入り口の係員に尋ねると、彼の口からとんでもない事実が語られた。

「ここはホーチミン市博物館だ。」

「な・な・なんだってー!!」

どおりで観光客が少なく、ガランとしているわけだよ…
タクシーのやつ間違えやがったな。。

ベトナム旅行記 ヤンシン市場

2006年09月10日 | ベトナム旅行記
ヤンシン市場にはミリタリーグッズ専門の店がずらりと通りを塞ぐように並んでいた。
実は俺とテツガクはクチトンネルで見たあのベトコンサンダルを買わなかったことをすごく後悔していた。
そこでこのヤンシン市場を訪れることにしたのだ。

市場は確かにミリタリーグッズの店が多かったのだが、どこの店も売っている商品自体変わり映えなく、サンダルがあったとしても、小さいサイズばかりで俺の足に合うサイズはついに見つからなかった。


これから戦争博物館に向かおうと思うのだが、よくよく考えてみれば戦争博物館は17時に閉館してしまう。
閉館時間まで残り一時間しかなかった。
歩いて行っては見る時間がほとんどなくなってしまう。

タクシーに乗ることにした。
大通りに立ちタクシーを捕まえ、地球の歩き方の戦争博物館のページをタクシーの運転手に見せるとOKと言った。

昼飯

2006年09月09日 | ベトナム旅行記
旅行会社の前にバスは停まった。
このツアーは半日なので、まだお昼の時間帯。
みんなで昼飯でも食べに行けたらいいなと考えていたのだが、バスを降りるとすぐに解散となりバラバラになってしまった。

このままだと一人で食べることになってしまう…。
それはあまりに寂しすぎる…。

ツアーで一緒だったテツガクとツクダニは俺と同じGHに泊まっているようで、帰り際声を掛け飯を一緒に食べることにした。
GHでソーヘイを加え、テツガクのお気に入りの店で昼飯を食べた。

テツガクとツクダニはホーチミンにしばらく滞在した後、日本に帰ると言う。
ソーヘイはこれからベトナムを北上すると言うのでどこへ行くのか尋ねた。

「これから電車でダナンまで行き、ホイアンに入ろうと思う。」

俺と日程的にそれほど変わらないのだが、ホイアンに寄り道するらしい。
そんなにゆっくりしている時間があるのだろうか。
確かに切り詰めれば行けない事はないのだが…

周りの奴等もホイアンは最高だよとしきりに語りかけてくる。
まぁ今決めなくても、明日の朝ダナンに到着したときまでに考えておけばいいことだな。

飯を食い終わると、みんなでヤンシン市場と戦争博物館に行くことにした。