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混凝土に咲く花のように


海外旅行記や国内旅行記など、数々の旅行記を連載中!
        HP『我道旅人』で更新内容をまとめて掲載

ペルー旅行記 チチカカ湖

2007年02月18日 | ペルー旅行記
2006年 8月31日

早朝プーノに到着する。
寒くて痺れた足を動かしバスの外へ出ると、冷たい空気に震え上がる。
外は更に寒かった。

まだ辺りは暗くて、動きようがない。
バックパックを受け取ると、建物の中へ入る。

6時頃になれば明るくなるだろう。
それまでベンチに座り待つことにした。

建物の中であっても、寒くて敵わない。
近くに売店があり、温かいスープを売っていたので、体を温めようと立ち上がる。

「あっ!!」

なんと目の前にノビタくんがいたのだ。
本当に偶然だ。

彼はこの後すぐにバスを乗り換えて、ラパスへ向かうらしい。
少し時間があるようなので、一緒に外へ出てチチカカ湖を見に行くことにした。


チチカカ湖周辺は太陽が昇る前のオレンジ色の光で包まれていた。
通り沿いには露店を出す人達が朝の準備に追われていた。

俺たちは通りの端まで歩き、チチカカ湖から昇る太陽を眺めた。
とても眩しく目がくらんだ。

ノビタくんはこれからボリビアに向かうため、防寒着を買おうと露店へと消えていった。
俺は通りに出て、タクシーを捕まえることにした。

さて今日の宿を探さなければ。

ペルー旅行記 クイ料理食す

2007年02月15日 | ペルー旅行記
少し郊外まで出ることにした。
クスコのベストレストランに選ばれたことがある店へと出向く。
店は空いていたが開いているようだった。

メニューを見て、アルパカやクイのバーベキューセットを頼むことに決めた。
せっかくクイを食べるのだから写真も撮らねば勿体無い。
ショウが得意のスペイン語で女性店員に話しかけ、クイの丸焼きの写真を撮らせてもらうことになった。

空いたレストランに俺たち3人が歩き回り厨房の前まで歩く。

「うぉぉぉ!!!」

想像よりもクイはすごかった。
本当にモルモットだ。
食欲が沸くというよりも下がる一方だが、テンションが自ずと上がる。

調子に乗ってペルー人の美人店員と、写真を撮ってもらえることになりテンションは上がる一方だ。

そしてついにバーベキューセットが俺たちの目の前に運ばれてきた。
アルパカは相変わらず美味かったが、クイは小骨ばかりで食べずらく美味しくない…

2人前を3人で分け合っているのだが、かなり残してしまった。
旅に出ると少食になるのだが、こんなに肉ばかり食べられねーよ。。

宿に戻り、みんなと握手をして別れた。
ショウはマチュピチュに行った時からの付き合いだからと、タクシーに乗るまで見送ってくれた。

クスコの街はとても温かい人達で一杯だった。
少し寂しくもあったが、次の街に向けて気合が入る。

夜行バスは2階の一番前の席だった。
フリースを着ていたのだが、夜はとても寒く全く眠ることができない。
寒さに耐え震えながら到着するのを今かと待ちわびていた。

ペルー旅行記 クイ料理を食べに…

2007年02月14日 | ペルー旅行記
14角の石や土産物屋に寄った後、夜行バスの予約をするため、ショウと別れ一人バスターミナルへと向かった。
思いの他大きなバスターミナルで、現地の人達で賑わっていた。

夜行バスなのでゆっくり眠れるよう贅沢にデラックスバスを予約した。
普通のマイクロバスなどに比べ、2階建てだし豪華ではあるが、わずか30ソルなのだ。
こんなところでケチケチする必要はない。

ネットカフェやアルマス広場で時間を潰した後、宿に戻った。

宿の共同場所には今日の朝俺らの部屋に来たサイトウくんとショウがいた。
今日で俺はクスコを出るので、最後に俺が食べたいものを食べに行こうと彼らは言った。

「じゃあクイが食べたい!」

クイとはモルモットのことで、アンデスの伝統料理にもあるほど昔から食べられているものである。
今朝カテドラルを訪れた時にも、その城壁に最後の晩餐としてクイ料理が描かれていた。

歩き方を見てクイを食べさせてくれる店を探す。

しかし今日は聖女ロサの祭のため、祝日である。
訪れた2件は閉まっていた。

俺の我がままにつき合わせてしまって、申し訳ない…

ペルー旅行記 乗馬

2007年02月13日 | ペルー旅行記
前方にパラソルが2つ開いているのが見える。
そのパラソルの下にはジュースやおかしが並べられていた。
丁度水が切れていたところだ。
ちょっと休んで行こう。

ペットボトルを買いベンチで休んでいると、紙を手に持った男が声を掛けてきた。

「お前たち馬に乗らないか?」

男が言うには、サクサイワマン周辺を馬で回わるらしい。
2人で25ソルと安かった。
特別やることもないので、快く了解した。

男に連れられ、降りてきた道とは別の道を登る。
登山道のようになっていて、車は入ることができない。

かなり歩かされたのだが、今度はサクサイワマンの内部に簡単に進入することができた。
結局歩けばタダで入れるんだな。

馬がいる広場に到着すると、毛並みが乱れた葦毛の馬を貸してくれた。
俺は乗馬などやったことがなく、せいぜい言葉どおりに高校の修学旅行で馬に乗った程度だった。
その時は1頭につき、1人の係員がついたものだったが、今回はペルーである。
そんなに丁重に扱ってくれる訳などない。

馬の乗り方を教えてくれただけで、あとは手綱を引っ張り自分でコントロールするのである。
当然のことながら、馬は全く俺の言うことなど聞いてくれない。

ただ馬は道を覚えているようで、コースどおりに気ままに歩き回る。
ユーカリの木々の間を、人間が背中に乗っていることなど全く気にせず歩く。
時々男が近づいてきて、早く歩けとケツを小枝で叩く。

大自然の中をのんびりと回ることができ、とても楽しかった。

ペルー旅行記 サクサイワマン

2007年02月07日 | ペルー旅行記
今日は昼にプーノ行きの列車にでも乗れればと思っていたが、想像していたよりもクスコ市内は街並みが綺麗だし、居心地がいい。
それに今日は祭のようだし、列車は諦めて夜行バスの時間まで居座ることにしようか。

そういえば宿にいた時、長いことクスコにいるおばちゃんの話では、今日はサクサイワマンで大きな式典をやっていると言ってたな。
せっかくだから行ってみようか。

ショウと共にタクシーで山の上にあるサクサイワマン目指して出発した。


広場の前に到着すると、すかさず係員が近づいてきた。
この中に入るには入場料が掛かるらしい。

「クスコの遺跡周遊券が70ソル、サクサイワマンだけなら40ソル。」

10ソルでコース料理が食べられることを考えると、あまりに高い値段だ。
外からでも中の様子は見えるし、それに祭をやっている様子は明らかにない。

入る必要性が感じられないため、外から数枚写真を撮って帰ろう。
柵の外を歩き回っていると、係員が入場料の値引きを始めた。

「しょうがない20ソルでいいよ。」

入るタイミングを失ってしまったので、もう入る気もしない。
確かこの遺跡は周遊券を持っていないと入れないから、入場券というものはただの賄賂のことなのだろう。

ここまで来て帰る奴もいるのだろうかと思うのだが、坂道を歩いて帰ることにした。

ペルー旅行記 カテドラル

2007年02月05日 | ペルー旅行記
8月30日

昨晩は疲れが溜まっていたため、ぐっすりと眠ることができた。
ショウはまだ眠っている様子なので、一人で朝飯でも食べに行くか。

ベッドから起き上がり、何処に行こうか考えていると部屋をノックする音に気づく。
マッキーがドアの隙間からひょっこり顔を出した。

「おはよう。これから私たちプーノに向かうことにした。」

昨日の夜、みんなで中華料理を食べに行った時、今日プーノに向かうと言っていたのだが、それにしてもこんなに早朝から行くことにしたとは知らなかった。

女の子にしては比較的大きなバックパックを背負った彼女らを、大通りに出てタクシーに乗るまで見送った。

今日は聖女ロサの祭典らしい。
カテドラル周辺には軍隊が列を成して立っている。

カテドラルの中にタダで入れるようなので、入ってみることにした。
中には修道服を着た教徒達が整然と座っていた。
朝のぼんやりとした頭に、透き通った空気が新鮮に感じる。
しばらくするとミサが始まった。

ペルー旅行記 マチュピチュ

2007年01月26日 | ペルー旅行記
ワイナピチュを下山すると、屋根がある建物の下で雨宿りをする。
数分前からポツリポツリと雨が降り始めたのだ。
下山途中ノビタくんは月の神殿に行くので別れた。
雨具を持っていないだろうから冷たい雨に打たれているだろう。

俺たちは少し雨宿りをすると、マチュピチュを歩き回ることにした。

天気が回復してくると、俺とショウはマチュピチュの定番の写真スポットに行くことにした。
マッキーとアユちゃんは昨日行ったので、このままアグアスカリエンテスに戻ってゆっくりすると言う。

「じゃあまたクスコで。」

手を振り、別れた。
確かにワイナピチュに登ったり、雨で停滞したりと少し疲れた。
俺もこのまま帰りたかったのだが、肝心の最も見たい風景を見れてないので、どうしてもこのまま帰る訳にはいかなかった。

まだ少し雲が掛かっているので、近くの小屋で晴れるのを待った。

40分くらい待っただろうか。
ようやく雲がなくなり、マチュピチュとワイナピチュがあらわになった。

さすがに晴れて眩しい太陽光までは拝めなかったが、これで十分満足だ。
数枚写真を撮るとバスに乗り麓町へと下山した。

昔はアグアスカリエンテスとマチュピチュの間のバスはグッバイボーイという少年達が現れたというのだが、チップ目当てに学校に行かなくなるのを食い止めるため、規制されてしまったそうだ。

ただクスコで会った日本人は自らグッバイボーイをやったという話をしていた。
これは誰にも規制できない。
というか観光客で普通やる奴はいないのだろうが…
俺もやれば良かったと悔いた。

アグアスカリエンテスに戻った後、急いで昼食を取り、電車でクスコへと向かった。
混雑した電車内は足を伸ばすことができないくらい窮屈だった。
しかし時差ボケと疲れが溜まっていたのだろう。
クスコに到着するまで一回も起きることなく熟睡していた。

ペルー旅行記 ワイナピチュ山頂から

2007年01月23日 | ペルー旅行記
風に乗り流れ去る雲達。
その後ろに薄っすらと佇む靄。
時折現れるマチュピチュの遺跡群。

ここワイナピチュの山頂からは一目で全てを眺めることができた。
ただ少し靄が多いため、景観としては満足できない。
せっかく苦労して登ったのだから、ガスが晴れるまで待つことにした。

山頂には多くの人達がマチュピチュの全容が現れるのを待っていた。
リマで一緒だった大学生やアグアスカリエンテスで知り合った日本人達もいた。
みんな考えていることは同じなんだな。

マチュピチュはワイナピチュから眺めるとコンドルの形をしていると言われている。
そのミステリアスであり神秘的なコンドルが雲の間から飛び立つのをただただ待ち続けた。

一時間近く待っただろうか、ほんの数分間だけマチュピチュは全容を現したのだった。

大自然に包まれているマチュピチュを見ると、なぜこんな場所にこんな遺跡があるのか不思議でならない。
もしビンガムが発見しなければ、ずっと誰にも知られることなく孤独にこの場にいたのであろう。

大自然の前に遺跡は無力で、なすがままであるように感じる。
その切なさから壮大なロマンを感じることができるのであろう。
束の間の出会いに感謝をしながら、その場を後にした。

ペルー旅行記 ワイナピチュ登山

2007年01月19日 | ペルー旅行記
入場ゲートでチェックを受けると、ワイナピチュの麓へと向かう。
小高い山を迂回し、麓に到着するといきなり急斜面がお出迎えする。
ここからがワイナピチュで、本当の登山の始まりだ。

降りてくる人達と道上ですれ違うことができないくらい細い道を一目散に山頂目指し登り続ける。
後ろから続々と人が続くため、なかなか一息付くこともできない。
後ろから追われるプレッシャーを受けながら黙々と登った。

寒いと感じていたのに、気づけばフリースと長袖Tシャツを脱いでいた。
空気はひんやりしているのだが暑いし、息切れして喉が痛い。

頭上に段々畑のような石垣が見え始め、山頂が近いことを知る。
あと少しだ。
岩のトンネルを抜けると山頂に到着した。

ペルー旅行記 マチュピチュ到着

2007年01月14日 | ペルー旅行記
張り詰めた凍える冷気が体を包む。
朝靄で数十メートル先が見渡せないほど視界は悪い。

だけれどもそれはある程度予想できたこと、むしろそれを心から望んでいた。

世界の七不思議に選ばれるほど、ミステリアスなマチュピチュとは衝撃的な出会いをしたかった。
太陽が昇るのと同時に、靄が消えていくマチュピチュの姿を見たかったのだ。

石でできた階段を急いで登る。
息をする度に口の中に飛び込んだ冷たい空気が肺に染み渡る。

マチュピチュを一望できる比較的高い場所へ着くと、靄が晴れるのを座って待つことにした。

時折濃い靄の塊が流れ去ると薄っすら遺跡の一部が現れる。
その度にすごいと歓声を上げるのだが、一向に霧は晴れずにその全容を見せてくれなかった。

その場で30分ほど待ったのだが、しばらくは靄は晴れそうにない。
そこで先にワイナピチュへ行くことにした。

マチュピチュはインカの言語であったケチュア語で「老いた峰」という意味を表すのに対して、ワイナピチュは「若い峰」という意味を表す。
マチュピチュの背後にそびえ立つ急勾配の峰がワイナピチュである。
混雑時には入場制限されるというので、今のうちに行く必要があった。