今 ここに いる ということ

今 ここに いる
みつけた
出会った
感じた
伝えたい

レディンプトール会 ドモンティーニ師 帰天

2012年01月08日 10時26分55秒 | お知らせ

諏訪湖の畔の介護施設で 永い間 療養されていらっしゃいました

ドモンティーニ神父様が

1月7日 午前3時に 老衰のため 帰天されました

御年 97歳でした

お通夜は 9日 午後6時半

追悼ミサ 告別式は 10日正午

場所は 諏訪教会 司式は 横浜教区梅村司教さまです

どうぞ お祈りください

 

ドモンティーニ神父様は 

戦後すぐに 鎌倉の地に レディンプトール修道会の教会を建設されることに尽力され

70年近い年月 この東の果ての国に

キリストの教えを広めてくださいました

沢山の方々が

神父様から教えをいただき

神父様の背中を見て その信仰に励まされたことと 思います

 

ドモンティーニ神父様

長い間 ありがとうございました

今は キリストの み腕の中で 永遠の安息を 憩われていることと 信じます

どうぞ これからは 天の御国より

私たちを 導き お守りくださいませ

2010年7月 療養先の介護施設にて

御年95歳の頃


お久しぶり 一閑人

2012年01月06日 20時07分42秒 | グルメ

 仕事の昼休み

今日は 一緒に ランチする人が いなかったから 

自転車で すいーっと

六地蔵の一閑人に 行きました

久しぶりの 豆乳トントロチャーシュー麺

メンマが 大きい

クコの実が 身体に良さげ

トントロは 舌の上で とろけるよう

以前は お小皿に柚子胡椒が付いてたけど

今回はなし

メニューには 柚子風味と ありました

1050円なり

今日の一閑人さまは 赤い おべべの しゃいな子

入り口の 豚の貯金箱も パチリ

反対側からも もう一枚

美味しかったよ

ありがとう

 


4日から仕事

2012年01月04日 00時00分00秒 | 日記

年末年始は 風邪でダウン

親戚の集まりにも出られなかった

4日から仕事 

3日に 久しぶりに街へ

帰りに 海を通る

大島が くっきり

もう 陽も沈む

渋滞中の 運転席から パチリ


聖霊における祈り6

2012年01月03日 10時10分59秒 | カンタラメッサ師

聖書の中の祈りの人の心は

神の心と 一つに結ばれていて

いかなるものも 誰も引き離すことは出来ない

たとえ 

神のなさり方の神秘が続き 

苦しみに満ちた「なぜ」や狼狽が あったとしても

神が 何をなさっても

祈りの人が 神に対して

或いは 神が 祈りの人に対して 怒っているときでさえ

祈りの人の心は

神が正しいと 常に 認めている

聖書の中の祈りの人と 神との 関係は

人の親子関係 に似ている

親子は

喧嘩をしても 

たとえ

口汚く 罵り合ったとしても

心の奥深くでは

互いが互いを知っている という信頼感がある

血は水よりも濃い 

親子は 人間だから

絶対的な「正しさ」ということは あり得ない

罪も 間違いも 犯す

だから 赦す という行為が 必要となる

 

祈りの人は 

神とも 人の親子関係のような 関係を築いている

だから 

なぜ?

と 泣きながら祈り

神のなさりように狼狽し

神に対して怒り

神が 自分に対して怒っているかのように 感じることがあっても

神は 常に 正しい と 知っている

心の中では 絶対の服従 絶対の忠実 絶対の信頼 を 持っている

 

わたしに聞け ヤコブの家よ

イスラエルの家の残りの者よ 共に

あなたたちは 生まれた時から負われ

胎を出た時から 担われてきた

同じように

わたしは あなたたちの老いる日まで

白髪になるまで 背負って行こう

わたしは あなたたちを造った

わたしが担い 背負い 救い出す

イザヤ46:3-4

 


聖霊における祈り5

2012年01月02日 20時41分59秒 | カンタラメッサ師

聖書の中の祈りの人は

神の尊厳と 聖性の 感覚で 

心底から 満たされていて

神に 完全に 服従しており

神は 彼にとって 

完全に “神”であられるので

この事実が 土台になっている限り

他のすべては 大丈夫なのです

旧約時代の 祈りの人の本質は

新約以降の 聖人たちにも 受け継がれている

聖人たちにとって

神は 完全に 神であり

愛 そのものである 神 を 思う時

霊も魂も心も体も

憧憬と感謝・賛美の思いに 満ち溢れてゆく

神のみ前に 服従以外の選択肢はなく

服従することが 最上の喜びとなる

それ以外は 何もいらない

何の価値も見いだせない

彼は 隠されていた宝を見つけたのだから