自転車について
劇中、ナツキとケンジが二人乗りするなどして印象深い自転車。自転車の二人乗りは青春の記号としてありふれていて鉄板とさえ言えるものだが、ただそれだけの解釈で済ませてしまうのはもったいない。そこで、今回は自転車をクローズアップして見ていきたい。
劇中、自転車に乗るのはナツキとケンジに限られる。ケンジの自転車は純粋に移動手段としての道具として見て構わないが、ナツキの場合は彼女の状況を象徴する存在となっている。ナツキが自転車を扱うのは劇中で2回。“夢”を見た後に泣きながら学校へ行くシーン、そして学校に復帰した日の放課後のシーン。この二つである。
これは言葉遊びなのだが、自転車は「自ら回転する車」であり、発展して考えるとこれは「他者に頼ることなく走る車」である。ナツキの心情に当てはめると、ケンジの隣にいることを諦め一人で走っていくことを意味する、と取れる。事実ナツキは東京の高校へ進学することを考え始めていた。ケンジからの独立が1回目の自転車の意味である。
2回目に自転車を取り扱うときにナツキは自転車に乗っていない。靴を隠されてしまったし自転車の空気も抜けてしまっていた。空気の抜けた自転車は走ることができない。タイヤは空気が入り張っていなければならないのである。これをナツキの状態と照らし合わせると、気丈にふるまっていた(=タイヤに空気が張っていた)ナツキは弱さを見せ(=空気が抜けてしまう)、一人で走ることは出来なくなってしまった。だから彼女はこの場面で自転車を捨てる。前日にケンジが自分にずっとに一緒にいたいと言ってくれたのを彼女は受け入れた、ということだ。
ナツキの自転車はこれ以降一切登場しない。普通パンクしたぐらいで自転車は廃棄しないのだが、なぜここで自転車がいなくなってしまったのかというとナツキが一人で走ることをやめたからだろう。
劇中、ナツキとケンジが二人乗りするなどして印象深い自転車。自転車の二人乗りは青春の記号としてありふれていて鉄板とさえ言えるものだが、ただそれだけの解釈で済ませてしまうのはもったいない。そこで、今回は自転車をクローズアップして見ていきたい。
劇中、自転車に乗るのはナツキとケンジに限られる。ケンジの自転車は純粋に移動手段としての道具として見て構わないが、ナツキの場合は彼女の状況を象徴する存在となっている。ナツキが自転車を扱うのは劇中で2回。“夢”を見た後に泣きながら学校へ行くシーン、そして学校に復帰した日の放課後のシーン。この二つである。
これは言葉遊びなのだが、自転車は「自ら回転する車」であり、発展して考えるとこれは「他者に頼ることなく走る車」である。ナツキの心情に当てはめると、ケンジの隣にいることを諦め一人で走っていくことを意味する、と取れる。事実ナツキは東京の高校へ進学することを考え始めていた。ケンジからの独立が1回目の自転車の意味である。
2回目に自転車を取り扱うときにナツキは自転車に乗っていない。靴を隠されてしまったし自転車の空気も抜けてしまっていた。空気の抜けた自転車は走ることができない。タイヤは空気が入り張っていなければならないのである。これをナツキの状態と照らし合わせると、気丈にふるまっていた(=タイヤに空気が張っていた)ナツキは弱さを見せ(=空気が抜けてしまう)、一人で走ることは出来なくなってしまった。だから彼女はこの場面で自転車を捨てる。前日にケンジが自分にずっとに一緒にいたいと言ってくれたのを彼女は受け入れた、ということだ。
ナツキの自転車はこれ以降一切登場しない。普通パンクしたぐらいで自転車は廃棄しないのだが、なぜここで自転車がいなくなってしまったのかというとナツキが一人で走ることをやめたからだろう。
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