ユグドラ旅情

方向性が見えない

ユグドラ・ユニオンの主人公はだれなのか

2011-05-02 03:21:46 | ユグドラ・ユニオン
 私としては、ユグドラ・ユニオンの雑誌記事での扱いでは、ミラノが主人公扱いだったから彼こそがこの物語の主人公だと思っているが、諸般の理由によりユグドラが主人公扱いされることも多々ある。そこで、今回はミラノとユグドラのどちらが主人公なのかと云うことについて、つらつらと述べていきたいと思う。

システム面では

 ゲームで一番最初に登場するのはユグドラである。彼女がミラノたちのアジトへ逃げ込むことから物語は始まるのだ。しかし、プレイヤーが最初に実際に操作するのはミラノである。基本的に彼を最後まで操作し続けるのがユグドラ・ユニオンと云うゲームだ。Chapter4ではユグドラは一切操作できない。基本的に彼女は守られる存在だ。

 だが、Chpter6で戴冠した後の彼女は一回り強くなる。指揮官としての強さを兼ね備えて文字通り一騎当千の働きをすることができる。ジハードと云う攻撃面では最強のスキルを手にすることができる。一方、ミラノは同じであり続ける。もともとの強さはあるものの、ロックフォールやメデューサアイなどの攻撃スキルを敵が使ってくることもない。彼は荒野で強いという特徴を残すだけだ。

 システム的には前半がミラノ、後半がユグドラが主人公だと云える。

シナリオ面では

 BF3で王国軍のデュランと合流するまでは導き手はミラノだ。そして王国解放軍を結成してそのトップにユグドラを据えても実質の計画はデュランを参謀に於いているミラノである。戦争と云う題材に於いては、形式的なトップと実質的なトップは変わってくる。ミラノは冷静であり続け、ヴァーレンヒルズでは薔薇家のどちらかを滅ぼす決定を出す。判断はユグドラに委ねているが、これはいずれ国のトップとなるユグドラがやらねばならない仕事だった。

 その時点でエンベリア公国を滅亡させているが、この時の判断は異種族との戦いにある。そもそも人種が異なるのだ。それ故ウンディーネに対する扱いは軽い。BF7を超えてしまうとウンディーネそのものの登場が激減する。根本的に「人間」とは違う。本人たちの思惑はどうであれ、異種族に対する扱いはどうしても軽くなるのだ。しかし、薔薇両家どちらかを滅ぼすかの判断は初めての「人間」対する扱いだ。それ故滅ぼされた方の当主はChapter6で再登場してくる。

 ミラノの導きのまま、ユグドラは祖国を奪還する。そして自らの立場を忘れて暴走をしてしまうのである。怒りに任せて仇を追う。結果は言うまでもないが罠にかかって挙句拉致されてしまうのだ。その後救出されるまで彼女が描写されることは一切ない。この点からもユグドラは主人公ではない。

 しかし、シナリオ面でもChapter6からユグドラは変化をする。Chapter6は短いながらも多くの要素を持っている。前半では自らが血に染めた過去との対峙。相手にも言い分があるとここで悟る。これはのちの民兵虐殺にもつながる。そして、実姉との対決。本人は最後まで分からなかったが、ユグドラは名実ともに選ばれた人間である。単に一国の王家の人間であるだけではない。愛情も資格も一手に受け、ストーリーというメタ要素すら彼女が一手に引き受ける。Chapter6でユグドラは物語の主人公として生まれ変わるのだ。

 だからこそ、彼女は悩む。守るべき立場に近い民兵を殺していいものか、と。ミラノとデュランはそんな彼女を支え見守るしか他ない。王となったと同時にユグドラは悩み成長する主人公となった。この時、ミラノは一歩先に居て主人公の枠を超えてしまっている。


キャラクター面では

 ミラノとユグドラは年が近いがそれまでに歩んできた人生はまるで異なる。ミラノは闇の世界で、ユグドラは光り輝く表の世界で生きてきた。だからミラノは精神的に強い。只強いだけでなく義賊として評されるほどの強さを持つ。人間の裏側を知っているのに自分を一定のところで踏みとどまらせている。学は無いが、彼はゲーム開始時から完成されている。

 逆に表の世界から転落したユグドラは世間知らずだ。識字はできるが浄化された知識しか持ち合わせていない。長い間そうであったために理解力も乏しい。それ故、ゲーム前半では自らが何をやっているか理解しておらず、エンベリア公国や薔薇家などを滅ぼすことに苦痛をあまり感じなかった。視野が狭く自らの行動がどのような影響を与えるか考えが及ばなかった。

 拉致から救出されChapter6を経た彼女は成長を始める。大きな転機を迎えたのは結局民兵虐殺だろう。これによって彼女は視点を複数持つことを覚える。だからこそガルカーサに対する考えも変化した。両親の敵としての憎しみと帝国が持つ視点を共用しようとする。結果的にはガルカーサに拒まれるが、これは大きな成長だろう。だが、ユグドラは危うい。導き手によっては大変なことになる。

 このころになるとミラノは軍事面での役割のみを演ずることとなるが、彼の人柄を出す出来事が発生する。キリエの特攻だ。長年連れ添った幼馴染を失うことになる。しかし、ミラノの強さはここで出る。悲しみはするもののすぐさま克服し、戦局の変化を認識し昇華するのだ。ゾンビと成り果てたキリエを前にしてもミラノは強い。多少悩みはするものの過去に対する姿勢をすぐ確立できるのだ。だから彼はユグドラの導き手として大きな役割を演ずることとなるのだ。

 ここが、ミラノとユグドラの違いだろう。ミラノは全くぶれない。それこそゲーム開始時から最後までぶれない。だが、ユグドラは揺れ動く。一つの視点しか持っていなかった状態から複数の視点を持つようになる。そしてその視点のうち、どれを重視するかの判断力は最後まで備わらなかった。その結果がAエンドとC(D)エンドだ。

 マリエッタを打ち倒すかどうかでユグドラの性格は大きく変わっているように見える。正史のAエンドでは酸いも甘いも知った聖女。Cエンドでは利害を見据えた権力者として自らを演じる。まるで別人のように映るが、これは彼女の持つ複数の視点のうちどれを重視したかに他ならない。あらゆる視点を持つように努めるのがAなら、Cはもともと彼女が持っていた視点、つまり物語の前半で持っていた視点を強大化したに過ぎない。成長はしたのだが、過去の状態に戻ってしまっているのだ。

 Cは(政治的に何が正しいかは置いておくとして)退化に走っている。ゲーム後半で主人公はミラノからユグドラへ譲渡されてきたのに、こうであっては主人公はいなくなってしまう。

 だからこそ、BF48以降ではユグドラとミラノの戦死は敗北条件にならないのだ。







 まとめると、前半はミラノ、後半はユグドラが主人公。ただし、C・Dルートに進んだ場合は主人公不在、といったところか。深夜の精神状態で書いたので内容がおかしいだろうし、私が感じたことであって、製作者側がどういう意図をもってユグドラ・ユニオンを製作したのだとかとは全く別であるし、各プレイヤーの考えることともたぶん違うだろう。

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4 Comments

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Unknown (Feral Phoenix)
2011-05-02 04:55:46
クラシカルな物語ー面もありますがね。

物語の主人公とは、プレイヤーや観客と一緒に変化しなくてはいけない存在と言われます。物語そのものは、主人公の変化を記録することですし。

物語の流れには、ミラノはユグドラを支える仲間の一人です。キャラクターたちの立場からデュランたちとあまり違ってません。BF03の時から、ユグドラはリーダーになってミラノはサブリーダーとなっており、Chapter4の場合しかミラノは王国軍をリードしません。そしてBF18とChapter4はユグドラの成長に必要な流れなのです。怒りに我を忘れちゃ駄目だと気付かなければ、エメローネやガルカーサのように国を守れる王になれません。

ミラノは大事なキリエとエレナなどのサイドキャラのストーリーに彼女たちの変化を起こすが、それ以上彼の役割は「ユグドラを支えること」しかなくて、物語の流れにミラノ自身は全く変化しません。最初から最後まで彼自身も彼の遠近法は小さく変わりしかしませえん。そのため、ミラノは主人公であるわけにはありません。

自分の推量だったら…。まだゲームは主に男性向けなものだと思われてるんでしょう?でも、ゲームにはプレイヤーは主人公となり主人公の目からゲームの世界を経験します。多くのゲーム会社は「女性キャラを主人公にすれば、主にプレイヤーになる男性を違和感をさせてしまう」的な考えがあると言われます。違和感をさせないため、二人の主人公にして、男性キャラは物語のフォーカスではなくて男性プレイヤーの目となり、「女性主人公になる」ではなくて「このキャラになって女性主人公と一緒に物語を経験する」的なものとなってます。

…と、いう件が多いのでミラノの件もそうでしょうか、と思う自分です。

(これよりここまでのユニオンシリーズの主人公ユグドラかガルカーサかっていう問題の方が面白いだと思いますがね←)
Unknown (畦道@管理人)
2011-05-02 06:25:27
 「主人公」という言葉は簡単なようで難しい言葉です。辞書的には物語の中心人物が主人公になりますが、物語を描く手法に大きく依存します。定義があいまいなのですね。

 私としては、主人公は成長しなければならないものとは考えていません。あらゆる意味で中心に置かれているかどうか、これが大事だと思います。それ故の本文です。結局のところ物語の目的がどうなっているかが大事となります。

 プレイヤーが男性か女性かどうかは、私は男性だから女性の考え方は死ぬまで分かり得ませんが、これも物語の描き方によるでしょう。何も物語で必ず感情移入をしなければならないというわけではないのです。勿論、これは個人差があるでしょう。

 暴論ですが、各個人が主人公だと思うキャラクターが主人公なのです。統一見解と云うのは無くても良い。最終的にはマジョリティな意見が正しいとなるでしょう。

 私は、別に様々な根拠をもって誰が主人公化と云うことを強く主張したいのではない。あくまで、こういった視点を持ってはどうか、と云う提案にすぎないのです。要はきっかけ作りですね。
Unknown (eks1500)
2011-05-07 23:42:49
どうも、時々拝見させて頂いてます。

あまりストーリーからユグドラを考えた事がなかったので、面白い見方ですね。
特にC・Dルートは主人公不在という辺り。

あの面はEXTRAてこともあるんでしょうが、敗北条件しかり、物語感が希薄で純粋に隠しボス面って感じがしました。
ラストもドライな終わり方だったし。

個人的には、天界戦だしせっかくここまで来たんだからもっと盛り上げてくれよー!って感じでしたが、あのルートを選んだ時点でこの物語に主人公はいなくなったと考えるとBF48以降もまた違って見えますね。

興味深いです。
Unknown (畦道@管理人)
2011-05-09 21:09:00
 製作側としては、ただのおまけステージだとしか考えていないのでしょうけど、こういった見方もできなくもないということで。

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