ユグドラ旅情

方向性が見えない

グングニル ―魔槍の軍神と英雄戦争―に見る今回の販売戦略

2011-04-29 22:03:26 | グングニル
 一般に広告投下量が多ければ販売量も期待できるが、単純な一次関数で表すことができるほどは単純ではない。投下量を増やしていくと最初のうちは目に見えた効果が出てくるだろうが、多くなるにつれ効果が薄まる。逓減が見られるというわけだ。また、広告や宣伝と云うのはどうしても費用が生じる。販売したい製品の期待販売量を基に逆算をすると広告投下量も変化してくるだろう。

 ゲームの場合で云うと、ネット環境が整っていない時代に於いては、雑誌かTVCMかぐらいしか手はなかったし、ナローバンドの時代に於いてもHTMLベースのサイトを設置するぐらいであった。PSPが出て7年だが、最初から大容量の体験版をDLできるようになっていたわけではない。ユグドラ・ユニオンPSP版は最初UMDで体験版のキャンペーンを行っていたが、体験版を配信できる環境がまだ整っていなかったから行われたのでって、配信環境があるのならネットワーク利用料を取られたとしてもUMD生産費用より安上がりだったはずである。

 ゲーム体験版は、ゲームと云う商品の特異性を表したもののように思う。体験するという言葉からわかるとおり、五感を使うのが体験だ。食品なら試食・試飲となるし、音楽ならば試聴となる。車ならば試乗だ。これらは各々の性質により意味合いが異なってくるだろう。

 どういうことかと云うと、食品ならば体験した時点で消費してしまうが少量で構わないと云う性質があるし、一回きりの購買よりも継続的な購買を期待するタイプの商品だ。車の場合は、燃料やタイヤなどの消費物はあるが根本的に耐久消費財であるので使いまわしが可能である。これらは体験することは目的となるが、体験自体は商品ではない。一方、コンテンツの場合は体験することそのものが商品となる点が違ってくる。

 本ならば紙が、CDならばディスクがあるではないか、と思うかもしれないがこれらはメディアすなわち媒体なのである。勿論、CDのデザインなどを愛でる人もいるかもしれない。その場合は目的はCDそのものだが、基本的には本やCDは体験した時点で価値が消費されてしまう。それいて媒体は殆ど消費されないのが厄介だ。だから、本屋は立ち読みを嫌うし、音楽の視聴は制限を設ける必要がある。

 これらは概して時間的長さに縛られるものであるから、一部を切り出して提示することは可能だ。同時に、一部を切り出して体験させるため、消費者が期待する内容と全体像が異なってしまうこともしばしばある。分かりやすい喩で云うなら、OPの歌とフルの歌のイメージが全然違う、映画のPVと内容が全く違って期待外れだった、などだろうか。

 ゲームは映像や音楽などを総合した作品である以上は、それらと同じように一部を切り出して提示するほかはない。だから齟齬が生まれる余地がある。体験版の内容で想像した全体像と製品版の内容が異なっている、と云うことは少なからずあるようだ。

 しかし、ゲームには単なる映像コンテンツや音楽コンテンツなどと異なる要素がある。それは何かと云うと、ゲームシステムだ。ゲームで映像美やBGMを楽しむことはできるし、ストーリーやキャラクターも大事である。だが、ゲームで何が根本にあるかと云えば結局のところはシステムではないだろうか。システムは構造だ。構造はなかなか目に見えない。言葉で表しづらい。それ故、システムを体験させることができれば、多くの労力を割いて雑誌で説明するよりは効果的なのだ。

 グングニル ―魔槍の軍神と英雄戦争―と同じDHEシリーズであるナイツ・イン・ザ・ナイトメアはまさに体験版向きのタイトルだった。と云うよりも体験版を出さねばいけないタイトルだった。しかし、発売日を延期してチュートリアルを入れるまでは良かったが、体験版を配信開始したのは、実質ゲーム発売日であった。はっきり云って愚策である。DHEシリーズと云う概念を作ったところで所詮は言葉、感じ入るものが居なければ只の音声にすぎなかった。それどころか、新規のユーザーを遠ざけるような形にすらなっていたと云っても良い。結果的に蛇足な「発明」と云えた。

 ナイツ・イン・ザ・ナイトメアが従来通りの宣伝だったというのは、雑誌記事の投下量からも分かる。量に関しては発表から発売までの期間が長めであったことも関係しているが、それにしても多かった。多さに関しては、このブログで特集を組んだことがあるのでわかると思う。

 これに対し、グングニル ―魔槍の軍神と英雄戦争―はネット環境に依存した宣伝を行っている。雑誌よりも公式ブログを重視、ファンサイトキットの配布、そして体験版だ。4月になってからは雑誌記事も出てきたが、ナイツ・イン・ザ・ナイトメアの時よりも雑誌に力を入れていないように感じる。

 ネット環境重視の宣伝はPSP版ナイツ・イン・ザ・ナイトメアのころから見られる。アトラスと提携してから段々と変化してきたわけだが、体験会をやるのに体験版を出さなかったり、キャラクターなりきりtwitterアカウントを作ったりと若干迷走気味だった。今回はこなれてきたのか、公式ブログは製作者が真面目に内容を語るようになっているし、何度も触れているように体験版をゲーム発売1月前に配信開始している。しかも、セーブが可能なうえにセーブデータを製品版に流用できる、と時流に乗っていさえする。大きな成長だ。

 一方で、twitterを使ったキャンペーンが今一つよく解らないキャンペーンである。何らかのプレゼントでユーザーを釣るという手は昔からあるものの、予算がないのだかどうだかは分からないが、プレゼント内容が正直微妙だ。実用的と云えば実用的だが、ゲームとの関連性が見いだせないものが多く、かつてドカポンでの金貨プレゼントキャンペーンを想起させるような内容だ。冗談だろうが、伊藤氏から「ゲーム制作日に金を回してくれ」と突込みが入る始末である。

 この辺りはスティングの味と云えば味だが、こういったキャンペーンを行うのならば、例えばきゆづきさとこ氏のサイン色紙をプレゼントすると云った方が喜ばれると思う。これはナイツ・イン・ザ・ナイトメア発売時にAmazonで購入すると4名にプレゼントされるキャンペーンに近いが、そのままでは当選人数が少なすぎて効果が低い。かといって、きゆづきさとこ氏も忙しいので、何十枚も描けない。そこで、複製原画を100名にプレゼントするとか特製テレフォンカードをプレゼントするとかと云う手が挙がってくるだろう。変にばらまきを行うよりは注目度も大きかったのではないか。

 ゲーム体験版をプレイしても予算の厳しさはうかがえるのだが、効果的な宣伝はまだまだ模索できるはずである。

 ゲーム雑誌に記事を載せてもらうだけでも結構な費用が掛かる。多くの費用を投じて説明するよりは、ゲーム体験版を配信する方が費用と労力が掛かるにしてもリターンは大きいだろう。そういった思惑が現れているのがグングニル ―魔槍の軍神と英雄戦争―の宣伝の現状だろうか。しかし、肝心のゲーム体験版を配信するPSNが個人情報流出問題で休止中である。この間の悪さはスティングらしいと云えばスティングらしいが、笑っている場合でもない。下手をすれば、ゲーム発売日まで問題が長引く恐れもある。

 ゲームそのものはメディアインストール機能付きなのでPSP版ナイツ・イン・ザ・ナイトメアのようにDL版一択、と云った状況にはなりにくいだろうが、せっかくの体験版の意味が薄れつつある現状は辛いところだろう。期間限定で公式サイトでも配信する、と云う手もあるだろうが、これもまた手続きなどが面倒なので難しいと思われる。体験版と雑誌、両方を積極的に使えればよいのだが、予算上そうもいかないのが現状だろうか。

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2 Comments

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Unknown (Unknown)
2011-04-30 01:16:59
PSP版インザナの販促活動はわりと力入ってたけど、あれDS版の時にやっとくべきでしたね
とにかく実際に遊んでもらわないとどうにもならないってゲームだったし
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Unknown (畦道@管理人)
2011-04-30 07:38:06
 ナイツ・イン・ザ・ナイトメアこそ百聞一見でした。特に体験版は重視すべきだったと思います。

 体験版という観点に絞るならば、DSは不向きな設計ですね。容量や配信方法はPSPに比べると制限が厳しい。
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