ぐうたらの嵐

ぐうたら子(50代)のマンガ絵日記

猫の事(11)

2018-06-25 | ペット

死んでしまった 猫の話です。

悲しい話が 苦手な方は ここで、ご遠慮下さいニャ。




にほんブログ村 すみません、嵐の話は ありません。


4月5日(その2)


夕方、三女子が 帰って来た。


ちょうど、ワタシが トイレに入っていた時だった。

玄関で「ただいま」って、言ったから

ワタシは そのまま 「雅くん、死んだで!」と、叫んだ。



目から 涙が噴き出した。


もう、ダメだと、言われてからこの1週間、散々泣いたので、

雅クンが 死んでしまってから、ずーっと、泣いていた訳ではなかった。

思ったほどには、涙が出なかったぐらいだ。


だけど、どうも、「死んだ」と、言う ワードが、イケないらしい。


雅クンは 頑張って死んで、古い身体から 解放されて

この狭い家の「家ネコ」から やっと、自由になれた。

と、ワタシは 本気で そう思っているのに。




その夜の事は あんまり、覚えていない。

ダンナちゃんが 帰って来るまで 雅クンは

気に入っていたダンナちゃんのベットに 置いてあった。

でも、帰って来て、死んだ猫が、自分のベットに置かれているのは

やはり、気持ちのいいものでは ないかもしれない・・・(・_・) と、

雅クンのゲージの上に 移動した。

夜は 2階で、枕元に置いて、一緒に寝た。




4月6日(金)


今日は いよいよさよならの日だ。



パートは 午後からだったので、火葬場へは、そんなに急ぐ必要もなかった。

あれも、これもと、持たせたい物は たくさんあったが、

燃えないものは 入れてはいけないと、書いてあった。


ワタシは、紙コップに ドライフードを 詰めた。


たくさん残ってるウェットフードは 開けると 匂いがきついので、止めた。


雅クンは そんなもん喜ばないと、思ったけど、花も買って来て、入れた。

最後は、ネコ草だ。

ワタシが だらしないから、やっと、生えた時には

もう、雅クンは ネコ草を食べられなかった。


それを、束にして ネコ草でしばった。

どこに入れようかな?と、思案していたら、

固くなった雅クンの手が、上手い事、ネコ草を抱える事に 気が付いた。

ネコ草を 抱えさせた雅クンは とっても、可愛かった。

それは、もう、写真は撮らないでおこうと、思っていたのに、

思わず撮ってしまったぐらい、可愛かった。











そして、大学の授業がなかった次女子と一緒に、市の火葬場へ持って行った。

入口を入ると ちゃんと、安置台があり、受付のおじさんに、

「最後のお別れが終わったら、ガムテープでフタをして そのまま、置いておかえり下さい。」

と、しめやかに言われた。



ペットなので 窓口で事務的に 箱を渡して、終わりなのだろう。と、思っていた。




行政の施設なのに、ペットが「物」でなく、ちゃんと、「命」として、扱われていて、驚いた。

とても良い事だと思うが、なんだか、余計に、悲しい気持ちになった。







ワタシは 雅クンは 今度は 家ネコじゃない、人間でもない、

何にも束縛されない、自由なものに 生まれ変わったらいいな、と、思っていた。



でも、これで最後だと思ったら、


「いつでも、帰って来ていいんやで~。」と、口が、勝手に言っていた。


次女子は 「ありがとう」とか、言ってた。




雅クンは 家族に ちゃんと、さようならを 伝えて死んだ。(と、思う。)


おかげで、SNSやなんかで見かける

死期のせまった猫や犬の美談が、嘘じゃないんだ。と、わかった。


ワタシには 雅クンが、最期まで頑張って、一生懸命、死んで行ったように見えた。

ワタシは 雅クン、スゴイ!と、思った。

ただのネコだと、思っていた雅クンが とても、立派に思えた。


雅クンは 猫なので、いつも、寝てるか、食べてるかばっかりで、

雅クンが 一生懸命、生きてたかどうかは、さっぱり、わからなかったけれど、


生まれたから、生きる。そして、その「生」を全うする。



単純だけど、なんだかすごい。

死にゆく雅クンの姿を見て ワタシは 色々と、考えさせられた。





見栄とか 欲に惑わされて、日々、自分を甘やかし、文句ばっかり言って、

だらしな~く50年も生きてきた自分が、とても、とても、情けなく惨めに思えた。


(・・・だからと、言って、今もまだ、全然 何も出来てないんだけど… (^_^;)ゝ゛)









「雅クン」が、家から居なくなると、辛い悲しい1週間の記憶は 

さっきの事が 昨日のように

昨日の事は、もう、1週間も前の事のように思えた。




3日も経つと、それは、もう、1カ月も前の出来事のように感じた。




それは、楽し過ぎた 嵐のコンサートや、金爆の握手会が、

すさまじい勢いで、遠い記憶になって行った時に よく、似ていた。






だけど、雅クンは うちの猫だったので、時間が経つごとに

日々のほどんどを 寝て過ごしていただけの 雅クンに 

みんなが、どれほど癒されていたのかを どんどん、実感するはめになった。



そして、その、喪失感のあまりの大きさに みんな 戸惑い、

毎日、寂しく思いながら 過ごしてる。



でも、雅クンが 今日も どこかで幸せにしてる事、家族みんなで、祈ってる。









「ワタシは さよならなんて、言われてないけどな。」




・・・・なんと、長女子、雅クンにさよならを言われていないらしい。






でも、きっと、どこかで 言ってたと、思うよ~




だって、長女子が 雅クンを拾って来てんから。


  うちの雅クン☆の話を、長く読んで頂いて、本当にありがとうございました。m(_ _)m
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ワタシは、ずーっと、雅クンは 頑張って死んで行ったんだと、思っていました。
だって、ご飯を食べなかったから。
でも、このブログの11の文章を何回も書き直しているうちに、
もしかしたら 雅クンは、ご飯は 食べられなかったけど、頑張って最期まで生きた。のかな?
とも、思いました。
考え方の違いだけかも、しれませんけどね。(´_ゝ`)

コメント (4)
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