整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は《自らが描いた世界を生きている》について書きます。
471)でも似たタイトルでアップしている。
同じ視点から考えてみる。
自らの価値観で世界を構成しているのだから、人の数だけ世界はある。
私の世界とあなたの世界は重なり合う部分もあるが、ぴったり同じではないだろう。
生きている時代や環境が同じなら重なる部分は多いかもしれない。
それでも微妙にずれているに違いない。
なぜなら、寸分違わぬ他者はいないから。
常識など多数の世界からの価値観で、ある他者の世界を判断したとしても、必ずしも正しくはないだろう。
私の喜怒哀楽は他者のそれではない。
例えそのように見えたとしても、それは私の世界から見た他者の世界でしかない。
他者に確かめてみるまでは、何も解らない。
人は自ら描く世界でしか生きていない。
他者の世界は生きられない。
良かれと思ってすることは他者にとって良いとは限らない。
それを確かめずに行動することはお節介以外の何ものでもない。
ここに対話が必要とされる。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は《自らが描いた世界を生きている》について書きます。
471)でも似たタイトルでアップしている。
同じ視点から考えてみる。
自らの価値観で世界を構成しているのだから、人の数だけ世界はある。
私の世界とあなたの世界は重なり合う部分もあるが、ぴったり同じではないだろう。
生きている時代や環境が同じなら重なる部分は多いかもしれない。
それでも微妙にずれているに違いない。
なぜなら、寸分違わぬ他者はいないから。
常識など多数の世界からの価値観で、ある他者の世界を判断したとしても、必ずしも正しくはないだろう。
私の喜怒哀楽は他者のそれではない。
例えそのように見えたとしても、それは私の世界から見た他者の世界でしかない。
他者に確かめてみるまでは、何も解らない。
人は自ら描く世界でしか生きていない。
他者の世界は生きられない。
良かれと思ってすることは他者にとって良いとは限らない。
それを確かめずに行動することはお節介以外の何ものでもない。
ここに対話が必要とされる。
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