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≪整心療法研究所≫自己治癒力により心身が整っていく

自己治癒力により心身が整っていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。

224)交通事故多発者

2012年06月19日 | 事件・事故・ニュース

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「交通事故多発者」について書きたいと思います。
交通事故は誰しも起こしたくて起こしているわけじゃないですよね。
でも、毎日あちこちで起きています。
日頃の注意や努力、啓発にも関わらず、悲惨な事故は後を絶ちません。
今日は、特に
交通事故を頻繁に起こしてしまう人たちの特性を
「精神分析的」な観点から書こうと思います。

まず、
「事故」=「自己」という図式を考えてみてください。
生活するように運転する」というティルマンの言葉があります。
ティルマンは、その人の生き方の一つの表現に過ぎないと言っています。
では、どのような生き方、特性があるのでしょう?

1)共通しているのは、常に心的緊張が高いということ
例えば、
夫婦喧嘩や虐待などが日常的にある家庭環境の中に居ると、どうでしょうか?
常に緊張していなければなりません。
逆に、あまりにも厳格すぎる場合も同じです。
(「家庭」は緊張を緩和し、くつろぎと安らぎの場所のはずです。)
学校や職場が緊張の連続であった場合も然りでしょう。

2)極度に緊張に耐えられず、即座に緊張緩和をしようとする傾向がある
生きていると、何らかの緊張(不満・怒り・攻撃心など)があるのは否めないことです。
その緊張を、うまくコントロールできていれば、軽減、解消ができます。
ところが、その水路付けがうまくできない人の場合、
すぐに緊張を吐き出そうとする傾向があるようです。
(緊張の解消方法を知らないとも言えます)

3)極度に自己中心的で、他人の権利に無関心
感情爆発傾向が強く、愛情や支持の喪失を恐れる傾向が強いようです。

ひと言でいうと
≪常に緊張の中に居て、緊張をコントロールできずに一気に解消しようとする傾向がある≫
ということになるでしょうか。
また、
注意散漫、感情不安定、責任・権利・規制に対する態度、生活の乱などが
その根底にあると考えられています。

他にも、例えば
カン癖、ケンカ好き、ガキ大将だった幼児期があったり、
夜尿症、暗闇恐怖、水泳時の深みへの恐怖、極端な白昼夢のような
心理的不安症状があるとも言われています。

このように、交通事故多発者にはある共通の特性があるようです。
逆に、交通事故によく巻き込まれる人も同じような傾向があるかもしれません。
「事故」=「自己」と考えた場合
交通事故だけではなく、事故は自己を表現していると言えるのではないでしょうか?

(交通)事故を起こさない、合わないために
精神分析という方法で事故(自己)を紐解いてみませんか?

興味をもたれた方はシニフィアン研究所までどうぞ
http://signifiant-lab.com/


223) 高橋容疑者「本来の自分が分からない」長すぎた偽名生活

2012年06月18日 | 事件・事故・ニュース

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は、
先日の報道記事
『地下鉄サリン事件の殺人容疑などで15日に逮捕されたオウム真理教元信者高橋克也容疑者(54)』に関する
「逃走している時は本来の自分を変えて生活していた。(逮捕されて)本来の自分が分からなくなった」
について考えた事を書いてみたいと思います。
それは「名前を換えることの力」です。

『本来の自分』ってどういうことでしょうか?
「本来の自分」に対しては「偽りの自分」ということになるでしょうか。
「偽りの自分」とは、仮面の自分、演じている自分とも言えますよね。
これは、誰もが使っている姿でもあります。
例えば
「内面」と「外面」「家の中での自分」と「家の外(社会)での自分」
社会の中で生きるために、必要な仮面をつけて生きています。
それが適応することの一面でもあるとされています。
その仮面の代表が「名前」ではないでしょうか?
それに、
その時々の役職名(仕事、肩書きなど))や役割名(夫・妻、親・子・孫など)もあります。
それでも、「同じ一人の私」との認識をもっています。

ところが、高橋容疑者は、逃亡するために
自ら意識的に完全に他人になりすまし、別人になろうとしました。
その結果、17年という長い年月が
「本来の自分=高橋克也」と「偽りの自分=他人の名前」が
一体化してしまった、と考えられます。
それが
「逃走している時は本来の自分を変えて生活していた。(逮捕されて)本来の自分が分からなくなった」
という言葉ではないでしょうか?
(余談ですが、題名は忘れましたが、昔読んだ「仮面が張り付いて取れなくなった」というマンガを思い出しました)
高橋容疑者の場合は、完全に犯罪ですから、
名前を変えることの是非は議論にもなりません。

前置きがかなり長くなりましたが、
高橋容疑者のこれらの言葉から
「名前を換えることの力」を感じたのです。
「今までの自分を換えたい」
「新しい自分の生れ換わりたい」
と思ったなら
名前を換える」ことで、新しい自分の生まれ換わることができるのではないでしょうか?
逆に言うと
「新しい自分に生まれ換わりたい」と思った時
人は少なからず「名前を換えたい」と考えるのではないでしょうか?

生まれ換わりたいと思っておられる方は
精神分析によって無意識のシナリオに気付き、書き換えてみませんか?
シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
「私と精神分析」もご覧ください。http://agency-inc.com/analysis6/