愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

長男の話し そこからの今の自分

2023-08-26 01:43:00 | 日記
四人の子供を育てさせてもらいまして、一人一人、個性が強くて、カラフルな育児体験でございました

長男は、私が21才のとき、できちゃった姻をしまして、父親は19才でした

前の夫は、わたしより、学年では二学年下の夫でありまして、板前をしていたのです

東京で、若い夫婦が、3年で経済的に困窮し、なくなく、私の実家を頼って、岩手に越してきました

本当は、離婚したくて、私は長男を連れて、実家に家出したのでした

でも、私の父親の貢は、
人間心底悪い人はいないから、
といって、血のつながらない、天涯孤独の当時の私の夫だった人を、岩手の自分の家に呼び込みました

でも、人間かわることはできなくて、なんだかんだ、ありまして

長男が小学校6年のころ、

父親からのパワハラに耐えかねて、
父親を殺したい、そういいながら、泣いていました

自分のことをいじめるとかは、たえてましたが、自分の大事にしているうさぎの、キキのことを、父親が、

うさぎを、山に捨てるぞ!とか。言っておどしたり、威嚇したりするのが、いたたまれない気持ちになってました

表面的には普通の子供にみえますが、その頃は火遊びを隠れてしていました

何度があぶないことだから、やめなさい、と、注意しました
すると、長男は素直に、わかった、というのです。

私の親からも注意されてました

障子がこげてたこともあったからです

大人に叱られても叱られても、火遊びはなおりませんでした

ある時、父親にみつかったので、おもいっきり、父親から、殴られました

男の大人の力で、思いっきり、頬をたぐられました

たくさん鼻血が出ました

父親は、床が汚れたぞ!
綺麗にしろ

そう言いましだ

私は助けることは、毎回できないのです

わたしが止めれば、エスカレートするから、黙ってるしかないのです

長男が、一人部屋に行きベッドの中にいたとき、私がそばにいきました

長男は、一人で、泣いて堪えていました
お父さんいやだ、殺してやりたい

そう言って声を殺して泣いていました

2歳の頃からです。布団のなかで、長男とこっそり手をしっかり繋いで、二人で静かに嵐が去るのをたえていたのを今もおもいだします

私は布団の中で一人泣いている長男を、夜中静かに起こしました

そして、外で飼っているウサギのキキを連れてこさせました

そして、長女、当時一才の次女、0歳の三女を静かに、車に乗せて、新築の自宅の家から、家出して、私の実姉夫婦の家に、逃げ込みました

長男が一人で苦しんでいるのを、解決したくて、今度こそ、離婚しようと決意して、親族を巻き込んで、たくさんの人間に本当に迷惑をかけながら、やっと、前の夫から、離れて生活することができました

怖い夫、長男にしたら父親が、いなくなりましたから、私は長男の心のケアに専念できました

火遊びは、理屈ではないのは、わかっていました

強いストレスがそうさせていましたから、長男には、それから、おもちゃならカードゲームの、かーどなり、できる範囲でですが、買い与えました

マシンガンは二万円しました。でも、欲しいと言うのを、確認したので、飼ってあげました
すると、ニコニコして本当に嬉しそうにして、大事にしてくれていました

幼いうちに、欲しいものを与えて与えて、頑張ってお金を注ぎ込みました

大人になる前にやらなければいけなかったのです

大人になってからですと、金額は桁違いになります

毎日宿題もせず、友達と遊ばせるだけ遊ばせて、おもちゃも買ってあげて、満足感をあたえました
そうしたら、中学卒業までには、火遊びが全くなくなりました

神経が回復したと思いました

高校は私立に行きたい、と、長男がいうから、それだけは無理だよ、といいました

子供四人抱えたシングルマザーには、とても、通わせるお金は生まれてこないわけでした

そうしたら、しかたなし、初めて家で、勉強し始めて、見事水産高校の食物科にトップで合格して、入学式の挨拶をしたのがうちの子でした

高校にはいってからは、また、さぼりはじめて、勉強はひどい成績でしたし、やんちゃなので、なんどか、学校に私が呼ばれました

頭を下げるだけ下げて、長男には、別に叱ることはあまりしませんでした

信じてましたから。人間性を

勉強ができる子供に育てるつもりでそだててませんでしたから、学校の先生には、ひどい親だとおもわれてきたはずです

でも、きにしませんでした

長男が楽しく生活してくれて。友達を、たくさん作れる子でいられる環境にさせていました

長男は、愚痴を言わない子でした

なぜだかわかったのです

強いから人に何を言われても、あまり、気にしないのですね

なので、いま、料理の仕事をしてますが、先輩にボロッカスに、言われることもたくさんあったようです

わたしなら、落ち込んだり、愚痴をいいますが、長男は、口の悪い先輩にでも、はーい!わかりましたー!と、元気に対応して、軽くかわすようです

妹らに長男がアドバイスしてました

友達に。愚痴とか、言わないほうがいいぞ、楽しくなくなるからな

あー。こいつ。マジで強いんだな。

親ながらそうおもいました

震災があった年、長男が東京に就職したのですが、私はお金を大してあげられず、裸一貫で、東京に行かせた様なものです

盛岡ヘアメイク専門学校を卒業して、美容師免許と、調理師免許だけを持って東京にいき、

親父の様にはならない!と、きめていたのに、

なぜか、親父と同じ料理人になっていて、
長男曰く、親父に似ない様にと、思ってたのに、似たのかなー?と、残念がっていた

でも、自信持って料理人になって生活してくれている

コミニュケーションは、抜群に良いから、三女が、まねしたがっているが、敵わない

男の様に気の強い三女だが、長男と長女には、ヘコヘコして、従っている

敵わないとしっているみたいだ

親の言うことはまったくきかないけど、長男の言葉には従うので、何度か私は長男に、手の負えない学生時代の次女、三女に、おまえから、こう言って欲しい、ああ言って欲しい、だの、まるで、父親代わりにたよっていた

そうしたら、こまったことに、長男は、下にいる、3人の妹たちが、大好きなようで、長女が、結婚したとき、なぜか?
落ち込んだらしい😆笑える😆

彼女よりも。妹たちを、大事にしてるみたいで、彼女さんに、本当に申し訳ないです、本当に

なんだかんだ、私も傷ついた過去がありましたが
やっと過去があっての、今

あの地獄の生活から抜け出した奇跡
子供たちがみんな、仕事して自立してくれている奇跡
長女が鬱の淵から、無力感の淵から、生き延びて日々生きてきたこと
毎日、あれから何回朝をむかえたか?何日すごしたか
サポートの、力、たくさん積み重なって、私のハートが、いっぱいになった

なんて幸せな日々をたくさん与えられてきたんだろうか
今日も日常を過ごさせてもらえました
もらってもらってもらって、愛が溢れ出してきてます

ハートで生きるってこと、すこし、わかりはじめてます
あれもこれも、全て奇跡でした
私は本当に幸せ者だと実感してしまったから、昨日の夫の、許し難い仕打ちも、
あれ??
気にならなくなりました

なぜなら、私のハートはいま、感謝と愛で満たされてますから

これがオリンがいう、ハートで生きる

でしたね

頭でなくハートがいつも中心なら、誰にでも優しくなれるかも

今夜も感謝と幸せを味わいながらおやすみなさい🌙
皆さんにもたくさんの愛が届きます様に
どんとはれ


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