にゃんこの置き文

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

小説執筆中

2017年02月03日 | 日記
 ここのところ、ずっとHPもブログもほったらしていた。ブログ巡りもせず、コメントにも気づかず、不義理をしてしまったわけは、小説書きに夢中になってしまってそれに没頭していたから。
 元々本はよく読むほうだったけど、科学本やドキュメンタリーばかりで、小説なんぞ手に取ったこともなかったのに、どうして自ら書くようになってしまったのか。

 最初のきっかけはグレの見送りだったと思う。
 山の中のペット専用火葬場で焼き上がりを待つ間、その場の吸い込まれるような静けさにいたく感動した。
 この感覚を何らかの手段で表現したいという欲求に駆られたのだけど、忙しさに紛れてそのまま。
 その2年後、いきなり喀血。
 一応大事には至らず治ったけど、この時「私の人生は、自分が思っているほど長くないかもしれない」と痛感し、やりたいことを後回しにしているばあいではないぞと思い直した。

 やりたいことの一つは創作。
 あの静けさを表現すること。
 手段は何でもよかったんだけど、マンガは二十代半ばに「これ以上は描けない」という自信作を賞に応募したところ「努力賞」どまり。これで限界を悟った。
 俳句は「岩にしみいる蝉の声」ならぬ、「山に吸われる鳥の声」しか思い浮かばなかったので却下。
 で、残ったのが小説だった。

 これもマンが同様落選続きになるかなと思っていたら、2作目で某賞の1次を通過。
 それで完全にハマッた。
 1000作以上の応募作の中の50位内に残ったのだから、ハマらないほうがおかしい。
 で、それ以後マーちゃんの近況報告以外の書き込みは一切ストップした次第。

 3年前マーちゃんがいなくなってからは、ブログだけでなくSNSもご無沙汰してひたすら書いてた。
 創作って、本当に楽しいよね。
 時間を忘れるどころか、自分が誰かということすら忘れる。書いている間は、その作品の主人公と完全に同化してる。
 「ガラスの仮面」のセリフじゃないけど、「千も万もの(そんなに書いてないけど)人生を生きられる」という感じ?
 時にはシャブ中の若い女の子になり、時には強姦殺人犯になり、時には騙されて外国の娼窟に売られる女になる。(・・・と書いていると、あまり生きたい人生じゃないな)

 まだ2次通過が最高記録だけど、10年は頑張って応募し続けると決めたのであと5年、悔いが残らないように書き続けるつもり。
 それで駄目だったとしても、書くことはやめない。
 賞も読み手のことも気にせず、自分の好みを丸出しにした作品を書き続けていくつもり。

 さあて、納得のいく作品を書き上げるのが先か、それとも寿命がくるのが先か。
 最近同僚が60歳で癌死しちゃったから、人生の有限性をますます突きつけられてる。
 ・・・と言いながらタバコはやめてないんだよね。
 そのうちまた血を吐くぞ。
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