「レジ袋入りません」、「自家用車を持っていますが通勤などやむを得ないときに使っています」、「ごみの分別をしています」、「飛行機に乗る予定は今のところありません」、「地球の温暖化は二酸化炭素だけの原因ではないと思っています」、「電灯はこまめに消しています」。たぶん普通な私。
昨年から続く、子供たちからの環境問題への取り組みの遅さへの突っ込み。それに対する大人の反応。面白おかしく伝えるネット上。見ていると、両者のどちらにも与したくないです。
今回は環境活動家について。今は子供たちがその前面に出て活動しているように映っています。今、「大人の環境活動家」は何をしているのでしょうか。「子供の環境活動家」は彼らに突っ込み入れないのでしょうか。「何を今まで活動してきたのですか!あなたたちの運動が実を結ばないので、子供が出ていかざるを得なくなったのですよ!」それとも今大人に向かって突っ込みを入れている中には大人の環境活動家も含まれているのでしょうか?
こういう先鋭的な活動というのに素直に肩入れできないのは、問題をめぐる構図に不透明な部分があることと、今回に限ってはあの女の子の物言いが感情的で好きになれなかったことです。子供のやり方だと言ってしまえばそうなのかもしれませんが、それではただの駄々っ子作戦でしかありません。
運動はみんなから共感されてこそだと思います。