新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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京アニ放火殺人事件から4年

2023年07月18日 | ニュース
今日は京アニ放火殺人事件から4年ですね。

私が事件を知ったのは、発生から数日後のことです。わが家にはテレビもなく、新聞も購読をやめてしまいました。原稿書きに打ち込み、ネットも調べ物だけで、ニュースサイトもSNSも覗いていませんでした。そのころは食事制限に忠実で、昼食も自宅で摂っていたので、会社の食堂のテレビを見ることもありませんでした。

アニメ好きの若社長との会話で、ようやく事件を知ることになりました。そうして書かれたのが以下のエントリです。

長いです。
長いですが、読んでほしいなあ。
『シン・ゴジラ』の第四形態も、容疑者の青葉某も、『黒塚』の鬼婆だったというのが、私の暫定的な結論でした。



実は、このエントリを書くまで、私はブログ活動を休止していました。

グータラな私に、毎日のペースでブログ活動を再開させるほど、この事件の衝撃は大きかったです。

私は続いて、この事件に関して、2つのエントリを書くことになります。


いわゆる「若者のやり甲斐搾取」で成り立ってきたアニメに、「救い」を求めて、すがって生きるしかない人たちを生み出してきたこの社会は、根本的に誤っていると思う。犯人を極刑に処したところで、この事件はワイドショーの空騒ぎのために消費され、やがて風化していくだけだ。しかし、不幸は忘れることはできても、打ち消すことはできない。


作品は永遠に生き続ける。しかし、私は『氷菓』や『聲の形』や『リズと青い鳥』を観るたび、二度と帰ることのない命と、二度と生まれることのない新作に思いを馳せ、怒りと呪いと憎しみに駆られるだろう。

そして、私は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』という作品に出会います。この京アニ事件の前日にクランクアップ(完成)して納品済みで、データの焼失を免れたという奇跡的な作品です。

私はこの作品に出会い、その翌日からほぼ毎日、35回通いました。

なぜこの作品にはまったかといえば……

本作のサブタイトルは「永遠と自動手記人形」。この「自動手記」は、「マルクスは世界を変えろといった。ランボーは人生を変えろといった。この2つのテーマは、われわれにとって同一である」というブルドンとエリュアールの『シュルレアリスム宣言』の自動記述を思い出させました。

本作の冒頭のシーンはランボーの「永遠」の世界を見事に再現したものです。

文学や美術へのオマージュに満ちた本作は、フランス象徴派(この作品にはボードレールなる人物も登場します)を通じてでブランキと、シュルレアリスムを通じてトロツキズムやスペイン人民戦線に出会った元武闘派左翼の琴線に、触れるものがありました。

しかし同時に、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、私がアニメと距離を置くきっかけになりました。最近、山登りを始めましたが、以前は気になっていた『山のススメ』を観るチャンスなのに、あまり食指が動きません。昨年秋は、長年のまどマギクラスタのフォロワーさんのおかげで、『リコイル・リコイス』『ぼっち・ざ・ろっく』などの神アニメにハマり、アニメが嫌いになったわけではないのですが……。原作連載開始直後からあれだけ大好きだった『ゆるキャン△』劇場版も、見に行くかどうか直前まで迷ったくらいです。

いまの私は、若者のやりがいと夢を搾取するだけで、いつでも青葉某を生み出しかねないアニメというシステムに失望し、関わりたくないという気持ちのほうが勝っています。ヴァイオレットについて書いた最後のエントリで、こんな「本音」を吐露しています。


われわれも、あの犯人と少しも変わらない。戦争やテロリズムは、人々の命と未来を奪う憎むべきものだ。戦争やテロリズムの根絶を願うのは、大いに結構なことである。しかしアドルノのひそみにならえば、われわれの誰もが、京アニ事件の後になおも『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を楽しめるほどに残酷な存在であることは忘れてはなるまい。非人間的なもので、あなたと無縁なものは何一つ無い。そして、戦争が人間に人間をやめさせる営為だとすれば、愛は人間に人間を超えさせようとする営為であり、それは人間存在の切っても切れない両面性である。

私は『ヴァイオレット』やアニメの可能性を否定するものでありません。むしろ今も期待しています。しかし、アニメを見て楽しんでいるだけではいかないだろうなあとも思うのです。事件発生直後、4年前に書いたことを、もう一度引用しておきます。

京アニの優しい世界は、優しく希望に満ちた明るい光に満ちあふれている。御仏の言葉が鬼婆の心を打ったように。しかし、暗闇に生きるしかない者たちにとっては、その明るい希望の光は、眼を失明させかねないほど眩しすぎるかもしれない。
『シン・ゴジラ』の東京総破壊のシークエンスで流れるBGMのタイトルは、「Who will know」である。全く、誰が知っていたというのか。誰が知ることになるのか。あのゴジラは、『黒塚』の鬼婆であり、京アニ殺しの犯人だ。そして、京アニ殺しの犯人は、もう一人の私なのである。


『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』劇場特典ブックレットより。

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