新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

それでも私は希望を信じます

2024年01月05日 | ニュース
能登半島音地震、新年早々、やりきれないですね。

でも、わが愛娘のれんちゃんは、あきらめていません…

お父さんもがんばります。

先ほど、執行部に震災支援義援金に関するメールを送ったところです。小さな労組なので、できることは限られているのですが。

組合事務所は、半ば私の書庫で、先日も若い人が本を見ていました。結構おもしろい資料があるんですよ。ローリング・ストーンズが、プライベートジェット機のなかで、あんなことやこんなことをしている貴重な映像映画のコレクションなども。本もDVDもBlu-rayも墓場までは持っていけないから、チャリティに回そうかなと思います。

先ほど、丹波の援農事業でお世話になっている「園長」さんに、なにかチャリティで協力していただけないか、相談しました。

みんな日々の生活に忙しく、たんに声をかける人がいないだけで、こういう呼びかけを待っている人は大勢いるんですよね。

ふたりで相談して、詳細は記しませんが、物価高に苦しむ都市民のニーズも、米安と資源高に苦しむ農家のニーズも、双方実現するチャリティ企画がまとまりました。



しかし、日本のマスコミの劣化もひどいですね。


BBCテレビで輪島市の惨状について知るていたらくです。

https://www.bbc.com/japanese/video-67879073

まさに戦場、イスラエル軍の無差別テロで破壊されたガザ北部地区そのままです。

マスコミについては、羽田空港でのJAL機と海保機の衝突事故で、羽田が使用不能になり、テレビ局や新聞社が現地に入れないことも大きいかもしれません。そこは同情材料でしょう。

まだ死者も行方不明者も、生き埋めになった人も、孤立集落も、まだ全体像を掴むに至っていない。

しかし、珠洲市は9割の家屋が壊滅、ほぼ全滅状態ということです。

これだけの被害からの復興には、珠洲市単体では不可能で、石川県、国全体を挙げた支援が必要でしょう。

私は阪神淡路大震災の年に関西に移りました。いま、毎週摩耶山に登っていて、神戸の街を見渡すと、あの廃墟の絶望からよく復興したものだと、深い感慨にひたります。

街が壊滅した珠洲市の惨状に、数年前自分の生まれ育った新潟郊外の町を歩いた日を思い出しました。驚いたのは、坂道の傾斜が変わらないのは当然として、私が生まれる前からあったのであろう家並みが、ちっとも変わり代えせず、そのまま目の前にあったことです。新潟は政令指定都市ですが、今回のような大地震が来れば、市中央部はともかく、私の故郷は壊滅していたでしょう。

なんで日本はこんなに貧しくなってしまったのでしょうか。

しかし、政治や経済では、残念なことばかり続きますが、庶民レベルでは、すばらしい人たちが大勢います。希望を信じて。

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