新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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シリア・モナムール(2016年の映画)

2017年02月05日 | 映画/音楽
 「ハヴァロ(友よ)、もしあなたのカメラがシリアにあったら、何を撮る?」

 『シリア・モナムール』も、2016年に観た映画では忘れることができません。

 いまも続くシリア内戦。亡命先のパリで、故郷シリアの凄惨な現実に苦悩し続けていたの映画作家オサーマ・モハンメド。

 オーサマに、この作品を作ることを決意させたのは、YouTubeに投稿されたある動画でした。それはトラックの荷台に積まれたまま死んだ父親に抱きつき、空を見上げて身体を震わせながら泣いている少年の映像でした。

 闇に葬られようとするシリアの記憶を、命がけで記録し続ける名も知らぬ映像作家たち。自由を求めるデモの民衆たち。突然の銃声。次の画面に映るのは死体。拷問される男。虐殺された子供。悲しむ家族。尊厳を奪われた死体。顔を半分失った猫。

 やがてモハンメドは、SNSで「シマヴ」というクルド人女性に出会います。シリアの戦禍の中、あらゆる映像を撮り続けるシマヴは、監督オサーマの目や耳となり、カメラを廻します。カメラを持たない映画作家オサーマは、シリアの人々が記録した1001の映像を繋ぎ合わせ(千夜一夜物語へのオマージュのようです)、一つのストーリーへと紡ぎ、崇高で切実な祈りに満ちた。新次元のドキュメンタリー映画を誕生させたのです。

 「シマヴ」は、「千夜一夜物語」で、暴虐の王に物語を語ったシェラザードの立場にあたります。

 王は、不貞を犯した妻を処刑してからというもの、女性不信となり、街の娘たちを宮殿に呼び一夜を過ごしては、翌朝にはその首をはねて殺しました。王の暴虐に、側近は困り果てますが、この悪習をやめさせるため、王の元に嫁ぐのが、大臣の娘シェヘラザードです。
 
 明日をも知れぬ中、シェヘラザードは命がけで、毎夜、王の興味をひくような物語を語ります。そして、話が佳境に入った所で、「続きは、また明日」「明日はもっと面白いですよ」と話を打ち切のです。王は、話の続きが聞きたくてシェヘラザードを殺さずに生かし続けます。

 シェラザードのように、シマヴが語り、オーサマが綴ったこの1001の映像は、シリアの殺戮をやめさせることができるのか。

 『千夜一夜物語』の結末は、王が改心してこの悪習をやめるところで終わっていますが、これは後世のヨーロッパ人が加筆したものだそうです。原典に近い写本では、282の物語が確認されているだけです。283日めの夜に、シェラザードはついに命を落とした可能性もあります。映画でも、シマヴの周囲の子どもが死に、危険が迫っていることが伝えられます。

 私はこの映画を観ながら、なぜ自分があのスクリーンの中にいないのか、悔しくて無念で仕方ありませんでした。手を差し伸べて助けることも、励ましや慰めの言葉をかけることさえできない。しかしこの「見ている」ことしかできない無力さを知るとき、人は「他者」の存在を知り、「友」を見出し、決して自分がひとりだけでないことを知るのです。絶望は常に希望を開く扉です。

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