高知のくらし

高知での暮らしを楽しく、快適にするための情報ブログ

森ときのこを愛する会

2008-11-29 | 高知のくらし
平成8年10月15日に「森ときのこを愛する会」としてきのこ会が発足しました。当初はアマチュア無線仲間の十数名の予定でしたが、事前に行った小檜曽山でのキノコ狩りの様子が高知新聞に掲載されたため読者の参加者も加わり、いきなり約40名の大所帯での船出となりました。 

 いきさつは、二十数年前高知県では野生キノコに手を出す人はほとんどいなかったので、今から始めたらきっと独壇場だろう、よし独り占めにしてやろうとよこしまな発想がきっかけでした。図鑑を丸暗記してこれで完璧と決め込み、採って来たキノコを図鑑とにらめっこで絵合わせするのですが、これがさっぱり分からない。遅々として進まない知識にやきもきしながらも、ひとつ、またひとつと覚えていき食用なら当然ながら試食するのですが、なにしろうろ覚えでおっかなびっくりの試食は旨いどころか、翌日無事に目覚めるだろうかの心配が先にたち味見どころの騒ぎではないのです。

 こんな調子だから失敗談をひとつ・・・始めて間もない頃、筒上山の登山道で見つけたキノコをタマウラベニタケと同定して仲間3人で油炒めにして食べた。食後2時間くらいしてから、暑くもないのに首や脇の下にやたら汗をかき、唾がでる。あとの2人も同じ症状という、これはてっきりキノコ中毒と分かったが手の打ちようがない、これと言った処置もしなかったが10時間くらいで何とか治まり事なきを得ました。少し知識がついてきてから考えると、多分ムスカリンという自律神経に作用する毒成分のキノコだったと思われます。以来、約200種類くらいのキノコを食べましたが、これが教訓となったのか幸い中毒はこの一度だけでした。

 爾来、当初の目的とは裏腹に「きのこ会」を作ってみたらどうだろうの思いが芽生え、やがて機は熟して会が誕生しました。当初、仲間とのキノコ狩りはブナ林ばかりで、自分で採取した野趣溢れるキノコ鍋は不安も適度な香辛料になるのか、テンションが上がって誰しも「おいしい」の連発でした。

 喜色満面のイベントも回を重ねるとあるパターンが見えてきます。マンネリと高齢化です。絶品キノコ鍋もやがてマンネリ、わずか12年でも40~50代には「されど12年」なのです。かくいう僕も還暦を過ぎました。

 今、当会は中四国、九州を含め9県の「西日本きのこ同好会」に参加しています。毎年持ち回りで交流会を開催しています。他県は大変キノコの研究に熱心ですが、さすがの高知は「お酒」の研究?に熱心です。きのこ会が存続するには会員の特色が反映されるのも一法かと、登山会と寒ラン会もできました。

 年間行事は、観察会5回、定例会6回、きのこ祭り、春山登山、花登山、キャンプ、会報発行(現在32号)、など多分野に亘っています。会員は約70名(男女の比率7:3)、年会費は一家族3000円です。詳細は「森ときのこを愛する会」で検索して下さい。

森ときのこを愛する会 会長 島崎俊弘


友人が県展無鑑査に! の続報です

2008-11-29 | こだわりの一品高知
10月16日投稿、友人が県展無鑑査に!の続報を投稿させていただきます。


頼まれて「高知短大学友会」の広報誌?に書いたという原稿を見せてもらい、是非ともこのブログでも紹介したいと言って、本人より作品の写真とあわせてコピーをもらったので、紹介させていただきます。



県展の無鑑査になって
川村雄二

十月一日、高知新聞朝刊を開くと、「川村雄二さん無鑑査に」という大きな活字がいきなり目に入った。思わずひとり歓声を上げてしまった。

窯から取り出した作品を見て、妻は「今年は特選がとれる」と希望的評価をしていたが、私には制作者ならではの出来の不満もあったし、三回目の特選はハードルが高くなるから、なかなか難しいだろうと思っていた。

ところが、蓋をあけた後の新聞の審査評では「特選作はすぐ決まった」とか、「完品」とか、これ以上ないほどの讃辞があって私には感激の県展となった。

作品を作り始めるまでには、準備にかなりの時間を要した。形はすんなり決めたものの、装飾をどうするか、大いに迷った。

三作、作る予定のうちの第一作目ということもあって、単純な縦線模様にすることにしたが、土台の色はどの色にするか、装飾のための縦線の色、幅、並べ方、間隔等に画帳一冊分描いた。

それを元にこれまで作っている数百の色土のテストピースを参考にしたり、新たなテストもした。工具も自作しながらの作業だった。


私のアトリエならぬ作業小屋は夏には三十五~六度になるが、粘土の乾燥を防ぐためエアコンも扇風機も使わない。

そのなかで休みの日は一日十時間、時には十一時間、十二時間と作業した。仕事の日も夜間、二、三時間した。

下着シャツ一枚での作業だったが、それが常時、汗でグッショリの毎日だった。いくら好きなことをしているとはいえ、倒れたらいやだなと時々思った。


三回の特選を取るため努力を傾注してきて、やっと一つの踊り場に達したが、自分は未熟という意識は常にある。

無鑑査になっても自分の手がいきなりゴットハンドになるわけでも、優れたセンスの脳みそに変化するわけでも当然ない。

したがって、これからもこれまでどおり、本を読み他人の作品に学び、ひたすらこつこつと創意工夫と修練を重ねていくしかない。

ここで満足することはあり得ず、さらに作品を発展させ、中央展などへの出品を目指したい。また、これからは地域文化の向上に、少しでも貢献ができればと思っている。


【お礼】審査発表があってから、多くの方々からお祝いの電話や手紙をいただきました。

紙上を借りてお礼を申し上げます。



   HN: 龍馬