テレビ朝日系報道番組「報道ステーション」の古舘伊知郎氏は24日、東京都港区の同社で記者団の取材に応じ、来年3月末で番組を降板することについて、「不自由な12年間だった」などと語った。主なやり取りは次の通り。
「お忙しい中、ありがとうございます。『報道ステーション』という番組タイトルや番組はしっかりと残るので、私のみが去るということ。これはこれでいいと思う」
「できれば、MCが変わるわけですから、今までの『報道ステーション』を『エピソード1』と言ってもらい、来年4月からは『フォースの覚醒』とか言ってくれれば、ちょうどよかったと思いますが(笑)。これもよし、と思っている」
「1つ、言わせていただきたいのは、1977年、学びやであるテレビ朝日に入れていただき、育てていただき、フリーになってやってきた。『報道ステーション』は2004年からだが、その3年くらい前から、『古舘プロジェクト』の会長と(テレ朝現会長の)早河(洋)さんが会って、『ニュースステーショ ン』の後に(報道番組のキャスターを)やってくれないか、という交渉があったやに聞いている」
「でも、ずっと固辞していた。エンターテインメントという言葉があるが、僕は、テレビというものは僕は『娯楽の箱』だと思っている。スポーツ実況、バラエティーなど、(自分は)娯楽もので行きたいと思っていた。だが、早河さんがうまくて、『(報道番組で)自由に絵を描いて』というんですね。それでコロッ とだまされて」
「不自由な12年間だった。言っていっていいことと、いけないこと…大変な綱渡り状態でやってきた。10年を一つの区切りとして、また、別な挑戦をさせていただきたいと、早河さんにお願いした」
「でも、あと2年ということで慰留され、頑張ってきた。今年の夏くらいでしょうか、12年を一つの区切りに、辞めさせていただきたいといって、慰留してくれたのは本当に感謝です」
「でも、堅く、区切りだと思ったので、(テレ朝に)了解していただいた次第です。『卒業』という都合のいい言葉はありますが、もし卒業なら、相当留年しているだろうと。卒業というよりも、辞めたい、と言って辞めるのが正直なところです」
番組の打ち合わせ時に「あれを言っちゃ、駄目とか。これも駄目とか。」あったのでしょうね(´・ω・`)
これからは自由に。楽しみです。