KU Outdoor Life

アウトドアおやじの日常冒険生活

追悼

2017年05月14日 | 沢登り
 これまで多くの沢や山に一緒に行ったタケちゃんこと弘田猛くんが突然逝ってしまった。
 「その空の下で」http://sonosoranoshitade.web.fc2.com/

 報せを受けたのは5月1日で、私はGW前半の小川山から帰ってきたばかりのことだった。
 家のPCでメールをチェックしていると、静岡のある山岳会の方から「弘田さんが」というタイトルでメールが届いていた。
 彼が単身、奈良まで遠征し、下多古川本谷「琵琶の滝」で滑落死したという内容だった。

 見つけてくれた方はこちら 「峰さんの山あるき」http://bisutari.exblog.jp/26637085/
 知らせてくれた方はこちら 「静岡の山と渓」http://sizuokanoyamatotani.blog58.fc2.com/

 「嘘だろ。」と思いながら強い衝撃を受け、その反面、ついにやっちゃったかという気持ちも正直なところあった。
 それは彼だからというわけではなく、自分だったかもしれない。山をやっている以上いつかは起こり得ること・・・と自分でも不思議なほど冷静に受け止めてしまっていた。
 山には、いや人生には「絶対というのは無い」と、この歳になってようやくわかってきたような気がする。

 彼と一緒に行ったのは、たしか2003年の上越・万太郎本谷が最初だった。(その時は三人だった)
 きっかけはお互いのHPを見て、どちらからともなく「今度一緒に行きませんか?」というやり取りから始まった。
 彼は基本的には沢指向だったが、付き合い始めてからは残雪期の北アルプスのバリエーションなども共にした。
 
 こうしたネット繋がりを安易なインスタント・パートナーと決めつけ非難する向きもあって、タケちゃんは少し気にしていた時もあったようだ。
 だが、それはあくまで最初のきっかけであって、それぞれのHPなど見れば大体の実力や経験、山に対する指向もうかがえて、クライミング・ジムで知り合い、一緒に外の岩場に行くのと何ら変わらない。
 非難する側の意見もわからないでもないが、最近では組織である山岳会でもけっこうお粗末な遭難事故があったりするのでどっちもどっちとも言える。脱線するので、話を元に戻そう。

 そんな出会いだったが、彼とは歳は違えど誕生日が一緒ということで、何かしらウマが合うところがあった(と自分で勝手に思っている。)
 思い出は数えきれない。
 
 毎週のように沢に行くので、GWの鹿島槍東尾根でもそのままザックに釣り竿をしまい込んでいたこと。そして夜中に寒いといきなり起き出し、ハイ松燃やして焚火を始めようとしたこと。
 そのすぐ後、秩父の和名倉沢では暑くて沢の水を飲みながら遡行していたら、すぐ上に大きな鹿の死体があって二人して大騒ぎしたこと。
 熊に襲われ、顔など十数針縫い、クッキリ歯形が残るほどふくらはぎを噛まれたにも関わらず、その二週間後には「沢、行きませんか」と声をかけてきたこと。
 越後の沢の帰りは、二人でいつも湯沢の「人参亭」で特大のロースカツ定食を食べるのが約束だったこと。
 焚火は最低でも1mの火柱を上げないと納得せず、食料は持ってもストーブは一切使わないというのが「タケシ流」であった。
 そして(こちらが年上のせいもあるかもしれないが)二人で大きな沢へ行っても核心のいわゆる「オイシイ所」はさり気なく「いやー、ここはお願いします!」と譲ってくれ、本当に危険を感じる所は「うーん、ちょっと行ってみますね。」と自らリードを買って出る優しさを持っていた。 
 
 葬儀は、GWの最終日に行われた。
 前日のお通夜には共通の友人であるjuqcho氏やかっきー、知人ではきのぽん氏が来られたようで、告別式の日は私の友人ではSakurai氏(あの悪絶な丹沢・西沢本棚沢を同行)と職場の上司であり沢を通じた仲である常吉さんが参列した。
 もちろん他にも沢を通じての友人はいたかもしれないが、遺族にとって山の友人というのはある意味「極道仲間」として見られてもいたしかたないので、はたしてどういった顔でお会いしたらよいのか正直戸惑うところもあった。
 ありがたかったのは最初の報せを受けて過去の計画書を頼りにまだ面識の無い奥様に連絡した時に、こちらの名前を告げたらすぐに奥様が理解してくれたことである。
 タケちゃんが「いやぁ、同じ誕生日でヘンな人がいてさぁ。」と今まで話してくれていたのかもしれない。

 

 会場には、棺に納まった彼の姿と、階下には彼の山の写真や装備が飾られていた。
 自分で買ったのか残置を抜いてきたのかわからない不揃いのハーケン、長年使い込んだサレワのハンマー。
 ヘルメットは最初に出会った頃はガリビエールの白だったが、たしか一緒に行った鹿島槍で落としてしまい(たぶん尻セードの時)、随分悔しがっていた。
 その後、BDの青色のを被っていたが、熊からの一撃で陥没していたのを覚えている。
 今回会場にあったカンプの黄色のメットは私には馴染みのないもので、それだけに「最後の双六谷からいつの間にか随分経ってしまっていたんだな。」と思ったりした。

 2003年から約十年にわたっていろいろな所へ出かけたが、彼は飽くなき沢の追求、私は下手の横好きへと、少しずつやりたい方向が違ってきて、また年齢と共に体力差も開き始めお互いに負担になるまいと感じてきたのも事実である。(もちろん自分の方が体力は無い)
 今回の事故でもし自分が同行していたらそれはそれでショックは大きかったと思うが、相方の一人として最後に一緒にいてやれなかったことはたいへん申し訳なく思う。
 
 霊感の強い友人から見てもらったところ彼には「強力な守護霊様」が憑いているそうで、それがこれまでの危機一髪を救ってきたと語っていた。
 それも2011年越後の小チョウナ沢で熊に襲われ、その後、吾妻連峰の大滝沢で滑落し前歯を折った頃から少しずつ霊力が薄れてきたようだった。
 本人もそれはかなり自覚していて、以降、安全には人一倍配慮し、けっして無茶はしなくなったように見受けられたのだが。

 棺の中の姿を見ても、自分にはまだ現実のものとして受け入れられなかった。
 おそらく生身の彼を知っている者なら、誰もがそう感じたのではなかろうか。
 ギョロッとした目をひんむき「マジでーっ?」と豪快に笑い飛ばす彼は、嘘みたいに静かに眠っていた。

 発見された時、彼は仰向けの姿だったらしい。
 何となく、落ちても滝に必死にしがみつくようにうつ伏せの姿を想像してしまったが、最後は自身のHPのタイトル通り「空」を見上げていたのかなぁと何とも切ない思いがした。
 今となってはそれも知る由もない。
 調べてみると、下多古川本谷は琵琶滝さえ巻いてしまえばけっして難しい沢でないと聞く。
 きっと癒し系だけでは満足できない彼の性分で、最後に立派な琵琶滝を見てムラムラと来てしまったんだろう。
 遺族の方の悲しみは計り知れないが、「まぁ好きなことやってこうなったんだから・・・。」とどこか達観された思いもあって、それは私も同感である。

 沢でも私よりたくさん彼と行動を共にした人はいるし、音楽関係でももっと親しかった人はいるだろう。
 いろいろと勝手なことを書いてしまったが、ご容赦願いたい。
 
 最後に、自分が一緒に行った山行を列記しておこう。
 どれも記憶に残るものばかりで、彼が相方でなければ成し得なかったものも多い。「今までありがとう。」と改めて言いたい。
(☆印は二人で行ったもの)

【上越】
2003年8月 魚野川・万太郎本谷
2004年8月 五十沢川・下ノ滝沢
2006年9月 マチガ沢~東南稜 ☆
2007年8月 湯檜曽川・白樺沢、抱き返り沢 ☆
2007年9月 魚野川万太郎谷・オタキノ沢 ☆
2007年10月 谷川・オジカ沢 ☆
2008年9月 谷川・鷹ノ巣A沢 ☆
2010年10月 一ノ倉沢本谷~四ルンゼ ☆

【越後】
2005年10月 三国川黒又沢・五竜沢 ☆
2007年9月 水無川・オツルミズ沢 ☆

【北ア】
2004年4月 鹿島槍ケ岳・東尾根 ☆
2005年4月 槍ケ岳・北鎌尾根
2006年5月 前穂高岳・北尾根~明神岳主稜 ☆
2007年5月 剱岳・八ツ峰
2014年9月 金木戸川・双六谷

【中ア】
2012年9月 正沢川支流・幸ノ川

【南ア】
2008年8月 赤石沢
2010年8月 大武川・篠沢 ☆
2011年6月 大武川・一ノ沢~石空川・北沢下降 ☆

【八ヶ岳】
2003年12月 赤岳・西壁主稜 ☆

【秩父】
2004年5月 大洞川・和名倉沢~市ノ沢下降 ☆
2005年6月 滝川・豆焼沢
2005年10月 笛吹川・東のナメ沢 ☆

【丹沢】
2005年8月 中川川・西沢本棚沢
2009年5月 中川川・下棚沢

※記録は旧サイトのものもあるので、改めて「たけしアーカイブ」としてリンク張って整理する予定です。


  

 


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2 コメント

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静岡の山と渓 (片山 充孝)
2017-05-17 20:13:54
現場監督さん、今晩は。
広田さん、上野さん達のHPを見始めて何年になるのか忘れてしまいましたが、皆さんの記録を見ながら自分も行った気にさせて頂いていました。 大事な山友を亡くすのはとても辛いものです。
実は私の友人も広田さんの翌日4/30に、剣源次郎尾根で雪崩にあい逝ってしまいました。 この5年で3人目です。 最近は家内から「危なくない?」の言葉がしょっちゅう出るように。 自分では細心の注意を払っているつもりでも、何が起こるか分からないのが山。 上野さんも、どんな山行でも家に帰れるよう、お気を付け下さい。
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Unknown (現場監督)
2017-05-18 00:16:08
片山さん、こんにちは。
今回の件はいち早く御連絡くださり、ありがとうございました。残念ながら本人は逝ってしまいましたが、おかげさまで最後の見送りに間に合いました。
片山さんが教えてくれなければ、いつものように山だけでGWが終わり、後で事の次第を知ったかもしれません。
源次郎尾根でやはり御友人を失ったとのこと。お悔やみ申し上げます。もしやS山岳会の方でしょうか。
実はその方と私がちょくちょく一緒に登っているM田師匠とはやはり一緒に登られた間柄で、「山の世界は狭い」と言ったらそれまでですが、何か不思議な繋がりを感じてしまいます。
まだ気持ち的に引退するまでには至っていませんが、今回の件で自分もだいぶ山に対する考え方が変わってきました。はっきりした答えは出せませんが、今しばらく故人を思い出しながら山に行こうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
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