加賀藩の九里氏の所に「小堀遠州」が訪ね、滞在していたことがあり、その時のお礼なのか、文書がある。
web情報によると、
※小堀氏 長政の弟に政治をあげて「小堀新九郎、小堀祖」とする系譜も見ますが、これも竄入のように思われます。
ちなみに、小堀氏については、苗字起源の地は近江国坂田郡小堀村で、藤原氏秀郷流と伝える。
左近将監光道のとき、小堀村を領して小堀氏を名乗り、子孫が相続してこの地に住した、と家譜にあると『姓氏家系大辞典』に見える。
秀郷流というのは、蒲生秀兼の弟・盛秀の子の盛道の子が左近将監光道だという系図があるが、一方、『姓氏家系大辞典』アサイ第5項に「藤原姓小堀氏の族、政尹、小堀をあらためて浅井を称し其子政栖がとき小堀に復すと云ふ」という記事も見える。
政尹は遠州正一の子であり、小堀氏が浅井氏といったのは、地理からいっても興味深く、おそらく、小堀氏は浅井一族に起こって蒲生一族から養嗣を取ったということではなかったのか。
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…これも坂田郡、山内一豊の母法秀尼が頼って来た長野氏も坂田郡米原である。
坂田郡は、九里との周辺を見まわすと、浅井氏・横山氏・朽木氏に関わりがある土地でもある。
ちなみに
小堀正房(1540-1604)の妻は浅井氏の娘である。
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そして今まで知らなかった「新庄氏」坂田郡新庄! ↓ web情報
藤原秀郷は一説に近江国栗太郡田原郷から出たというように近江と縁があり、近江北部には秀郷の後裔を称する武士が多い。 蒲生氏、今井氏、堀氏、泉氏、井戸村氏、小堀氏、そして新庄氏らは、すべて藤原秀郷の後裔季俊の末となっている。季俊 の兄にあたる行俊は内藤氏の祖で、その子孫からは丹波、周防、三河の内藤氏が出て、 三河内藤氏は近世大名として続いている。
さて、季俊の後裔俊綱は今井氏を名乗り、曾孫の遠俊は足利尊氏に従って功があった。その子俊名は足利二代将軍義詮に仕え 近江国坂田郡新庄に居住して新庄を称したのだという。以後、新庄氏の代々は足利幕府に仕えるが、本家筋にあたる今井氏 と比べるとその動向は詳らかではない。
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この坂田へ下向。という文書もあったはず。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/adef6bbc40a9e0c7359a8f597e288e46