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中原兼遠は大江姓も持っていた? 卜部性も??

2022-04-12 | 木曽義仲 バラバラ情報

改めて調べてみると、面白いことが出てくる。

1155年に義仲を預かったと思われる中原兼遠だが、預かった後も木曽にいたわけではなく、働いている。(官吏補任 永井晋編)

1150年(久安6年)ー1151年(仁平元年) 

1118年(元永元年)ー1120年(保安元年)

1171年(承安元年)ー1174年(承安四年)

 

下記の文書 嘉応元年とあるので、1169年のこととなる。

 

この表を見ると、兼遠は、1000年位に生まれた人物のように思える。

源義仲が出陣したのを見届けて亡くなったそうである。治承五年(1181年)

1174年まで務めていたことがわかる。

【皇后宮大属】

卜部兼遠もいるが1300年代の人物。1364年に見える。が…

 

下記は1199年の卜部兼直(父は卜部兼貞)信濃権守  

兼遠の父は「右馬少兼経」 九男かもしれない。とすれば、兼遠の叔父あたりに信濃権守がいたかもしれない。

 

 

更に1165年(長寛三年)の記載も見つけた。山槐記  藤原(中山)忠親(1130~1195)の日記。

 

1232年(貞永元年)に登場する 卜部兼遠は別人なので、平安時代の兼遠は中原兼遠の可能性はあると思う。

大江を名乗っていた兼遠は、中原兼遠のことではないかと思う。(間違っているかもしれないが…)

 

つまり、始まりは 【大江兼遠】で、途中から【中原兼遠】となったのではないだろうか?

その後、信濃権守の中原氏のなかに「卜部」を称する人が出てきて、何度か名乗っていた?など、なにか事情があったのかもしれない。

 

いずれにせよ、今後の兼遠の解明に期待している!


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