千葉の方よりの有益情報があったので、ココに記載しておく。
「盛綱は上野・多胡庄を義仲に代わり領有していた時期があり磯部(温泉)がその中心です。その後、越後・加治荘に移ります。」
「1106年の浅間山の大爆発により田畑がほぼ壊滅した。
この地域の復興に取り組んだのが、多胡庄( 源義賢(義仲の父))、新田荘(新田義国 義重)、高山御厨(源義朝)、この周辺の復興事業を源氏が指導したということの様です。」
初めて知る事ばかり!
しかも片岡氏との接点もあり、佐々木氏との接点(亀井氏)があり、と、重要であった。
多胡氏を調べてみると、大江氏の裔かもしれないとのことである。
また、下記のweb情報によると大中臣氏との婚姻関係があるとのことで、それが片岡氏であった可能性も感じる。
源義賢・義仲が領していたのが【多胡荘】そこに磯部(温泉)があった!
中原氏が義仲の乳父母であった。
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/siro/yosii/tago/tagoyakata.htm
武家家伝多胡氏 大江氏の裔かもしれない!
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tago_kz.html
多胡家家訓 今でも役に立ちますネ!
https://ohnan.saloon.jp/takokekakun.htm
クスペディア クスリと笑える?
https://www.kusuya.net/%E5%A4%9A%E8%83%A1%E5%A4%96%E8%A8%9
多胡碑の「羊」と羊太夫伝承 さんのページよりの情報
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin10/hitujika.html
「多胡氏は、西上州の名門であったとみえ、摂関家流藤原氏の流れをくむ大中臣氏と婚姻関係を結んでいる。大中臣氏は、中世中期頃までに作成された「大中臣氏略系図」(桐村家所蔵)によると、常陸国中軍荘、那珂東西郡の地頭である。」
磯部は割りと近いので、今度遊びに行こうかな?
昨日、拙句集わくらばで、九里様でご登場いただきました。事後承諾?願います。歴史話題の俳句の掛け合いで、皆様の評判が高いですよ😃
今日のネタは、三十六歌仙の大中臣能宣?😁多胡氏、大中臣氏でシンクロしましたね(o´エ`o)b❗️
ひぐらしの鳴き始め頃のみだして
磯部温泉もあるそうです♨️
https://www.isobeonsen.com
湯けむりに霞む武将は義賢か
ちょっと亡霊風で怖いですね。。
比奈が離縁させられ、源具親と再婚した事はカットでしたね😃
源具親は、無名抄によると、具親は「蹴鞠ばかり熱中して!」と寂蓮が評していました。
蹴鞠と言えば、飛鳥井雅経!源頼朝に気に入られ、大江広元の婿となった者ですね😃
つまり、姫の前が絶世の美女だと知っていたはずです。
行き先の無くなった姫の前と具親を仲介したのは、歌人、蹴鞠友達である雅経では?姑の広元の依頼で。
根拠は、何もないです😉
サッカーで恋の仲立ち夏の恋
飛鳥井雅経が紹介説、賛成です。
テレビでは、京に行き何年かで亡くなった、と、ありましたね。
源具親、調べてみます!
コメントありがとうございました😊
また、返事が遅くなりまして、失礼致しました!