一宮(宇倍神社)の公文職元冨とは、どなたのこと?なのか。
ともかく、宇倍神社の公文元富と冨城氏のもとで働いていた人との関係である。
蓮忍と共に常忍も東国へ移っていたために、因幡国にまで目が行き届かず、働いていた人が何名か公文元富のもとに行ってしまい、そこで働くようになってしまった…というようなことらしい。
つまり、冨城氏の誰も因幡国には残っていなかったという事なのではないだろうか?
それで、おろそかにしていたところ、公文元富がその人たちに仕事をしてもらっていた。
土地も荒れ放題になり、穀物も収穫できなくなっていたのかもしれない。
常忍は千葉頼胤の家司的な仕事があったが、千葉氏はかなりの財政困難に陥っておりその立て直しのためによばれていたようなのでお給料をいただくわけにはいかず(想像)、頼みの綱であった「冨城庄」も人手がなく、収益が無いという清貧の生活であったようで、豊かではないことを日蓮も言及しているくらいなのだ。
詳しいことはわからないようで、この件は後に回し、伊福部氏の系図に戻り、詳しく見ていきたい。