九里 【九里】を探して三千里

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額田冠者 季範 と 季範の母

2020-06-17 | 雑記




額田冠者 母熱田神主眞基女 とある。


新家康公検定に出された問題がwebに載っていた。

問題11
家康公を生んだ三河国 額田郡(現在の岡崎市と額田郡幸田町を中心とした地域)は、鎌倉幕府を開いた源 頼朝と深い関係があり、鎌倉幕府の直轄地でもありました。額田郡と源 頼朝とはどのような関係があったでしょうか?
(1) 源 頼朝の生誕地が額田郡であった。
(2)源 頼朝が平家打倒の兵を挙げたのが額田郡であった。
(3)源 頼朝の父が、もともと額田郡を含む三河国の国司であった。
(4)源 頼朝の祖父(母の父)が、額田冠者(額田郡の領主)であった。

解説
源 頼朝の母は熱田神宮大宮司 藤原季範の娘(由良御前)です。
この季範には従四位下の官位の他に「額田冠者」の名が載せられており、額田地域と深い関係を意味していると考えられます。
事実、季範の子である祐範が「額田法橋」として、孫の寛伝が「額田僧都」として瀧山寺の僧になっていました。
頼朝にとっては叔父、従兄弟に当たる人物です。祐範は頼朝が伊豆に流された時、従者を付け経済援助も行ったと伝えられます。頼朝と額田、とりわけ瀧山寺との関係を表しています。


この従者、長田資経の息、藤七資家のことではないだろうか?
つまり、熱田神宮の藤原季範の家司が長田氏であったのではないだろうか?



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