おおかたの系図に書かれている 義通の註「母は藤原師綱女」
師綱は私が考えているよりももっと年上で、娘は義通の母に合う年代だったのだろうか?
義通は、1107年生まれ。師綱の娘が母親という説だと、どう少なく見積もっても30年前には師綱は生まれていたことになる。1077年生まれ。(仮定)
佐藤基治は、師綱の息かもしれないという。
基治は1113年生まれで「師綱36歳の時の息」となる。
師綱娘が義通の母となったのが15歳となる。(仮定)
1172年迄生きていた師綱は、95歳で歿したことになる。
が、違和感が残る。
「実ハさんえいの女」がその鍵となるのではないだろうか?
義通と師綱が同母で、師綱の娘が義通の妹となったのではないだろうか?なので、この義通の兄弟姉妹の中では、跡を継ぐ…の意味になるのではないだろうか?
ありえないだろうか…