九里 【九里】を探して三千里

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大江久家と中原久家、同世代である。 西浅井町阿弥陀寺の胎内納入文書には中原吉弘の名が!

2024-02-07 | 九里【只今の状況・まとめ】
この大江久家は【山城江次久家】となって文書に登場する。
(久兼は山城介であった。)
下記の文書では【若宮陪従江右近将監久家】とある。







【多好方】コトバンクより
1130-1211 平安後期-鎌倉時代の雅楽家。
大治(たいじ)5年生まれ。多近方(ちかかた)の子。建久2年源頼朝にまねかれて鶴岡八幡宮の楽人らに秘曲を伝授し,飛騨(ひだ)(岐阜県)荒木郷をあたえられた。一者(いちのもの)を22年間つとめた。建暦(けんりゃく)元年6月5日死去。82歳。

*****

一方、延応元年(1239年)に譲り状を書き、その後、朝厳法師が亡くなる。
その嫡子が1247年に
能登国高畠荘加納小柴村(こくぬぎ・むら)の地頭職を相伝したという。【中原久家】という。







中原久家の父は【朝厳】という。中原には親厳・基厳がいるため、つながりがあるかもしれないが、系図には見えない。





そして、太政官使 中原吉弘が気になって調べてみると、近江国の人物らしい。

以下の胎内納入文書の中にその名が残されていた。もと伊香郡であった西浅井町である。


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