一休さんの三十三年忌が永正七年(1510年)にあった。
記載されている【大徳寺 真珠庵文書之一(出銭帳)】
臨岳寺の『宗忍』
江州津田『宗恩』
の名前がある。この江州津田の宗恩は、九里宗恩の可能性大である。1535年迄のご存命。
九里宗忍は大永五年に「六角定頼の兵と戰ひ敗死す。」とあるので1525年に亡くなっている。
ということは、宗忍またの名を宗恩ではなく、別人であり、宗恩は享徳4年までは確認できることとなる。
この宗恩が九里だとすると、なんと、浄椿が宗恩・宗忍と名乗っていたのではなく、全員別人であり、三人いたことになる!
http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/sho5.htm
一休さんに関しては、↑のページが面白かった。(連絡場所がわからずに無断でリンクすみません)