武蔵小山 ちょっとバー 安心して飲めて、牡蠣シーズンは絶対美味しく、安く、満足

小さなお店 『ほっ!と』安心出来るお店、楽しいスタッフ、冬は牡蠣食べ放題も、美味しい、新鮮安さに驚愕

命日は浅草~~~

2016-05-03 22:06:16 | 池波正太郎
浅草は人だらけ、

池波正太郎 氏が眠るお墓へ向かう。

お供えはやはり日本酒、
27年。
もう。そうかあ

お墓参りにを終え、
遠回りをして、
浅草の中心街を避ける。


お好み焼き、
風流 染太郎~
この時期、
行列が出来てる~う~

どぜう(泥鰌)料理の飯田屋へ、行こうかあ~



故人が幼い頃行っていた
『蛇骨湯』

故人は 
オジさんに銭湯によく連れて行ってもらった
銭湯の後、
並木の藪蕎麦へ

何度も改装に改装を重ね、
今では綺麗な一戸建て、
今は禁煙、

懐かしい
故人の好きで飲んでいた
樽酒はしっかり
鎮座していた。

行列が出来て大変~



池波正太郎と司馬遼太郎

2015-07-17 21:25:58 | 池波正太郎

日本の大衆小説の大御所、
司馬遼太郎、
その小説は調査に調査を重ねて出来上がる、
酒も飲まない。
食べ物に余り関心がない。
真面目、超真剣、

反して、
池波さんは酒はガンガン、
食べ物にうるさい程に細かい、

小説に至っては、ヒラメキ派、
飲み屋の女子がモデルだったり、

そう言えば、
鬼平の細川同心が博打好きな物語の主人公として出てくるのがある。
アレのモデルは銀座のバーの若いバーテン、
ヤサオトコで博打好き、
物語の書き初めさえ入り込めば後は池波流。

さて池波正太郎が常々警鐘していた事、
戦後、
大切な物を置き去りにして、
経済優先、自由主義、民主主義と言う言葉に翻弄されつつも、
幻惑され、今そのツケを支払わなければならない時代になった。
戦後教育の欠陥と家族の崩壊分裂は政治をダメにしたばかりか、

日本の社会を蝕み、
治安悪化、
人間劣化が益々進む、
しかし、多くの若者はそれに気がつかない。
それは欠陥教育の二世代目だから、
どすりゃいいんだ

司馬遼太郎も池波正太郎も日本の将来を憂いていた。

池波正太郎が通ったお店

2015-07-17 21:07:54 | 池波正太郎
浅草、今は少なくなったボロイお店、
並木藪蕎麦もそうだが、
日本家屋がビルの間に、
こっそりと頑張って建っている風景がいい、
文化財的建物?

さて、お好み染太郎、
決して美味しいとは言わない、
しかし、中に入り、
傾いた畳、細い柱、古びた店内(屋内)、お客さんはいっぱい、
久しぶりでも全く変わらん、

先ず、サッポロビールの生、
あとは焼き物を1品、それとその日の気分のお好み焼き、
ココに来たらビールは一杯までと決めている。
さて、
ここのラドー(油)はホント昔のラドー、
超高カロリー 
池波正太郎は若い頃、
こんなんばかり食べてたから、
早くから痛風やら高血圧になったんじゃねえかぁ?
などと話しながら、
顔が何故か、綻ぶ
焼くのは面倒だから焼いてもらう。

旨いとは確かに言えないが、なんとなく、浮き浮きする。
確かに風流頂きました。

帰りに振り返ると、
ミカンの木?が染太郎の歴史を見続けて来たのだろうなぁ~~
『梅は匂い、人は心』・・・城山一郎の小説が思い出された、




池波正太郎とニューグランドホテル

2015-07-17 21:04:31 | 池波正太郎
日本のバーの中でも、有名なバー
横浜、山下公園前、
ニューグランドホテルに有る。

バー シーガディアンⅡ、

現代人にはサザンの歌で『シーガディアンで♫~』

戦後、マッカーサーのGHQの本営として、
このホテルの315室がマッカーサーの部屋で、
宴会場が本部として使われていた。

その後、

チャップリンが愛した料理の美味しいホテルとして著名人に愛されたホテル。


大佛次郎が宿泊し、小説を書き続けたホテル、
その大佛次郎の弟子、
池波正太郎も通った、

池波正太郎のグルメ本の中に登場してる
その影響で日本中から池波正太郎ファンが絶えないホテル
だった、

三島由紀夫も度々通った。、

そのバーがシーガディアン、

それが今ではお客さんが激減、
何故、何故、

そりゃ、池波正太郎の怨霊だわ、

池波先生は亡くなられてからも
池波先生の霊は夜な夜なこのバーが終わって、
誰も居なくなった頃、
飄々として現れ、
カウンターの隅に座り、
たばこを燻らす、
それが、愉しみだった先生の霊、

ところが、
横浜市の禁煙運動で、
このホテルでは吸えなくなってしまった

この方々の共通点はタバコ(葉巻も含め)





そう言えば、
思い出すのは池波先生が定宿で使っていた
『山の上ホテル』が禁煙になり、
その後火事になった。

その前にも、昔、禁煙になった、神田の藪蕎麦、
禁煙にしたら、
先生が怒った事が有る、
こんな店、火事になっちまえ
そして、先生が亡くなった後、火事になった、

なんか不思議な感覚


山の上ホテル

2015-07-17 20:50:27 | 池波正太郎
「山の上ホテル」で火災=宿泊客ら避難、けが人なし―東京(時事通信) - goo ニュース

山の上ホテル、
神田の比較的小高い丘の上、

池波正太郎ゆかりの宿、
今でも、
行くと当時の感じが出て、
そこに池波先生がタバコを咥え座っているような感覚を覚える、
いい感じだが、

違うところが有る、
禁煙
池波正太郎が聞いたら激怒する。

今でも池波先生の霊が漂っていて、
激怒して、
その怨念火か
川端康成、三島由紀夫もよく使っていた、
彼らはヘビースモーカー

因みにこの近くに火事になった
『神田藪蕎麦』が有る。

あそこも建物が木造で重要文化財みたいになった時、
禁煙になった、、

池波先生がその時、激怒して、
『もう二度と来てやんねえよ』
と捨て台詞を言ったとか、
言わないとか!

それから池波先生は神田藪蕎麦には行かなくなった。
その代わりに近くの蕎麦屋『まつや』
へ通い出した。

そう、
あそこも火事になった、
まだ、この世が大好きだった池波先生の霊が彷徨い、
席に座ってタバコを燻らせないから、

その怨念か!
これは失礼かも知れないが、

たまたま、
神田で池波正太郎ゆかりの場所が火事、

次はニューグランドホテルか?
あそこの『シーガデァイアン』も禁煙になったなあ~。



池波先生 子供との約束

2015-07-17 20:46:43 | 池波正太郎
子供達との約束はだいじだ、

昔、池波正太郎のエッセイで読んだ、、

池波正太郎は真田家にまつわる小説を数多く書いている。
その関係で長野には何度も足を運んでいた。

その池波先生、
初めて松代へ行った時、
通りがかりの小学生に道を尋ねた。
小学生は懸命に説明してくれる。
先生はその小学生がいたくお気に入りになられたのだろう。
写真を撮ってあげたそうだ、

もう40年以上も頃の話、
当時はカメラもねえ~~高価な頃、

先生は少年に、
『東京に帰ったら、送ってあげるよ』
と言って先生は別れた、

少年はその約束を皆に話しました。
ところが、誰も信じてくれません。
『行きすりの人の口約束なぞ、あてにならない』

しかし、少年は熱心に、楽しみに待っていた
『約束したんだ、必ず来る』
その時、
少年は勿論、
相手が小説家池波正太郎とは一切知らなかった。

写真が少年の手元に届いた。
少年は喜んだ

それからしばらくして、
池波先生の元に少年の父親からお礼の手紙が来た
『小さな者の為に、約束を守って頂き、
これは私の息子にとって写真以上の、
かけがえのないモノを頂きました』


良い話だ、
その後、
先生とその御家族は便り絶やさず、
先生は自分の家族を連れ
そのご家族の家にまで行った事もあるそうだ。

その少年の名前はここでは出せない。

復興支援で福島へ、

福島の子供達に、また来るね。
と言った。
その約束は口約束でも
守るのが正論。
約束を守りに行き続け、
既に40回近くになる、福島行き、

よく言われる。
『福島出身?』
違います。
『なんで、そんなんよく行くの?』
怪訝な顔をする人すらいる。
物資運び、それから話をしてるうちに、
『また来るね』
それが今まで~~