武蔵小山 ちょっとバー 安心して飲めて、牡蠣シーズンは絶対美味しく、安く、満足

小さなお店 『ほっ!と』安心出来るお店、楽しいスタッフ、冬は牡蠣食べ放題も、美味しい、新鮮安さに驚愕

内山~~~泣き

2016-04-27 23:00:43 | プロスポーツ
内山が2回KO負け、12度目防衛に失敗=河野、田口は王座守る―トリプル世界戦

まさか、まさかの展開

絶対王者の内山、
渡辺ジムのエース、
12度の防衛で終わった。

これで終わるのかなぁ~

今日の試合
面白い試合が有った。

藤本京太郎がヘビー級で登場
8回戦、
完勝!


支援物資、薩摩街道より

2016-04-22 22:18:09 | 復興支援関連
津奈木太郎峠、
赤松太郎峠、
佐敷太郎峠、
総じて、
三太郎峠と呼ばれる熊本から薩摩への、
薩摩街道、

今回の熊本地震、
支援物資をこの三太郎峠を越えて運ばれた

話が逸れる。

くねくね、くねくね、
登る登る、下る下る、
回る、回る、目が回る、
昔の人はこれを一日で歩いたんだろうかな、

西南戦争では
この峠を越えて薩摩私学党が攻めて来た、
もし、あの時、
熊本鎮台の長官。谷干城が籠城に専念せず、
迎え打つ戦術を採用したなら、
第一の迎撃場所としては最適、
峠の上に大砲を据えて、
ドカンドカン、

出鼻を挫くには最高のロケーション
当時は道幅も狭かったろうし、

この3ヶ所の峠で先ずは足止めを喰らわせるが正解、

1ヶ月間持ち堪えたら、
その間に、
中央政府から大砲をどんどん運んで貰う、
迎え撃つ場所をどんどん引きながら、
次は
水俣、日奈久で、
そして、球磨川を防御線として、
迎え撃つ、
ストロング砲を並べ、
どかん、どかん、
川を超えさせない。

熊本鎮台長官、
谷干城は高知県出身、
この峠の事など思いもよらなかっただろうし、
当時世界一剽悍な薩摩武士、

もう、薩摩軍挙兵の一報で

『ビビリまくり』
難攻不落の熊本城に籠城と決め、
敵からの目印になる
天守閣を炎上させてしまった。

要はそんなに急いで炎上させる事は無かった。
徳川幕府は肥後熊本藩に特例として、
一国二城の許可をしている。
それは薩摩藩が挙兵した時の為に二城とした、

今回の熊本地震、
支援物資を
この三太郎峠を越えて運ばれた。

さつま揚げも美味しい、
届いた物資に
泣いて喜んで頂きました。

物資支援を提供して頂いた
鹿児島の人に感謝


因みに、
西南戦争の西郷さんは勝つ為に戦ったのではない。
皆と死ぬ為に、
日本を変える為に死んで行った。
その後、
中央政府では汚職が全くなくなった。

『せごさ~ん』
敬天愛人を座右の銘としたその一貫した人生観、
『素晴らしかあ』

地震落ち着いたらあの日奈久温泉へでも
種田山頭火の碑が有る、
『温泉はよいほんたうによい 
ここは山もよし海もよし出来ることなら滞在したいのだが 一生動きたくないのだが』と 刻まれてある。


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願い叶え賜え 鎮まらん事を祈願

2016-04-20 16:57:51 | 熊本いいとこ、あれこれ 行きましょう
熊本地震で皆さんには
ご迷惑、ご心配をお掛け致し申し訳がなか




大地鎮まり祈願

強く強く祈る事しか出来きませぬ、
沈思静祈



行きたいが、
今は我慢

邪魔になるだけ、




熊本のオナゴもみたかあ

きや~~恥ずかし、



まだ、行く時ではない~~
時が来たら、


佐賀県 有田嬉野PRビデオ

2016-04-07 22:26:52 | 大好き日本
これ、
面白~~

次々登場するユニークDJから目が離せない!
佐賀県有田町・嬉野市のアゲアゲすぎる観­光PRムービー!!
世界チャンピオンDJユニット「KIREEK」によるミュージックトラックにのせて、
­有田焼作家からスナックのママまで、
有田町・嬉野市の人々が「DJ」に変身!
https://youtu.be/Dat64OzGzNg


命日は浅草、お墓参り、

2016-04-07 20:56:35 | 名作の舞台を訪ねて
今、まさに真田太平記が大河ドラマで人気、

真田幸村を清々しい感じで表現し、
人間の敗者美をあれほど楽しく、美しく表現した
池波正太郎、

彼は戦中のど真ん中派、
勉強もままならない中、
戦後小説家をして名を馳せた。

池波文学の中核を成すものは、
人間の表裏一体、
悪い者が意外に良い事をしていたり、
善人顔した人間が裏では悪い奴だったり、

そして、江戸を懐かしみ、
昔の味を追ってみたり、

彼が過ごした浅草、下町、
今はその匂いがだいぶ少なくった、

彼が行ってお店もだいぶ少なくなったし、
変わった。

幼少の頃、

銭湯(蛇骨湯)も新しくなり、
マンションの1階、


叔父さんと銭湯行き、
帰りに並木の『並木蕎麦』で
蕎麦を食べた、

昔の味、
戦後浅草のお好み焼き
『風流・染太郎』

戦後、焼け残った民家で、
戦争に行って帰って来ない亭主を待つ、妻
何かせねば、
家でお好み焼きを出し、
生計を立てて生活していたお好み焼き屋さん、

5月3日 命日、
今まで、
何度も命日の頃、
足を運んだ浅草、

今年も行こう、
5月3日
先ずはお墓にお参り、

浄土真宗東本願寺大谷派のお寺、


そんで、蛇骨湯に浸かり、
その後、
あの、並木蕎麦で
蕎麦に樽酒を一杯、

そんで、昔ながらの『どぜう鍋』がいい、
『飯田屋』
いいなあ~
そうだ、飯田屋がいい、


池波正太郎が愛した街、
と云うよりも、
馴染みの街と言った方が正しい、
『浅草』
今は浅草も新しいお店がどんどん出来て、
時代の流れで仕方ないが、
中には今でも昔の面影を残し、
昭和の風情を醸してるお店も有る、
頑なに昔のままを残してるお店はいいなぁ~
並木藪、尾張屋、アンジェラス、甘味処のなんだったっけ??すぐに思い出せない。
お好み焼き屋さんや昔ながらの駄菓子屋、
裏通りに回ると結構まだ残っている。

浅草徘徊時はそのような店を回るのも結構面白いもののようで楽しい、
心強いばかり、頑張ってもらいたい、
今風のお店もダメとは言わないが、
やはり浅草行って落ち着くのは古びたお店でも昔の匂いがするお店がいいし、
新たに建て替えても昔の味を守ってるお店なんかも素敵な感じがする、

昼過ぎ、
浅草六区から道具屋筋に行く通り道に今半も有るが、
その先に、『どせう料理専門の飯田屋』が有る。

昼でも営業している、
昼下がりの空いた時間帯に行き、
藤畳の感触を感じて、ホッと一息、
えも云えぬ時間が過ぎて行く、
これが最高にいい、

ここの店員さんも昔ながらの風情を感じる、凄くいい人ばかり、、
まだ昭和の人情的風景がいい、

予定は昼に浅草待ち合わせ、
12:00~
池波正太郎記念館~西光寺~蛇骨湯

並木藪蕎麦~相談し、何処へ回るか?

どぜう鍋? 風流『染太郎』?

夏目漱石生誕150年・没後100年

2016-04-06 22:13:27 | 名作の舞台を訪ねて
これは行かねば、
じっくり~~

>明治・大正期の文学界の大家、

夏目漱石没後
100年
生誕150年。


神奈川近代文学館にて、

神奈川文学館HPより、

作家としての一歩を踏み出した1906年(明治39)、

漱石は
「余は吾文を以て百代の後に伝へんと欲するの野心家なり」

と述べています。

そしてこの言葉の通り、漱石が世を去ってから100年という長い歳月の中で、
多くの人びとが作品を繰り返し読み、
その魅力は、今日に至ってもなお語り尽くされることはありません。
漱石文学は読者にとってまさに
「飲んでも飲んでもまだある、一生枯れない泉」(奥泉光)なのです。

没後100年を記念して開催する本展は、
こうした作品世界と、
英文学者から作家に転身しわずか10数年の創作活動のなかで、
数々の名作を書き上げた苦闘の生涯を紹介します。
漱石と深いゆかりを持つ岩波書店、東北大学附属図書館の所蔵資料
そして、夏目家寄贈資料を中心とした当館所蔵の漱石コレクションをはじめ、
数々の貴重資料により展覧。作品・人間へのアプローチを通し、
漱石と現代の読者の新たな出会いの場の実現を目指します。

【会期】
2016年(平成28年)3月26日(土)~5月22日(日)
休館日は月曜日(5月2日は開館)

【開館時間】
午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
【会場】
神奈川近代文学館第1・2・3展示室
【観覧料】
一般700円(500円)、65歳以上/20歳未満及び学生300円(200円)、高校生100円、中学生以下無料
*(  )内は20名以上の団体料金
※東日本大震災の罹災証明書、被災証明書等の提示で無料
【編集委員】
奥泉光
【主催】
県立神奈川近代文学館・公益財団法人神奈川文学振興会、朝日新聞社
【特別協力】
岩波書店
【協力】
東北大学附属図書館
【後援】
NHK横浜放送局、FMヨコハマ、神奈川新聞社、tvk(テレビ神奈川)
【協賛】
集英社、京浜急行電鉄、相模鉄道、東京急行電鉄、神奈川近代文学館を支援(サポート)する会
【広報協力】
KAAT 神奈川芸術劇場

池波正太郎命日には、

2016-04-06 21:55:13 | 名作の舞台を訪ねて
今、まさに真田太平記が大河ドラマで人気、

真田幸村を清々しい感じで表現し、
人間の敗者美をあれほど楽しく、美しく表現した
池波正太郎、

彼は戦中のど真ん中派、
勉強もままならない中、
戦後小説家をして名を馳せた。

池波文学の中核を成すものは、
人間の表裏一体、
悪い者が意外に良い事をしていたり、
善人顔した人間が裏では悪い奴だったり、

そして、江戸を懐かしみ、
昔の味を追ってみたり、

彼が過ごした浅草、下町、
今はその匂いがだいぶ少なくった、

彼が行ってお店もだいぶ少なくなったし、
変わった。

幼少の頃、
銭湯(蛇骨湯)も新しくなり、
マンションの1階、


叔父さんと銭湯行き、
帰りに並木の『並木蕎麦』で
蕎麦を食べた、

昔の味、
戦後浅草のお好み焼き
『風流・染太郎』

戦後、焼け残った民家で、
戦争に行って帰って来ない亭主を待つ、妻
何かせねば、
家でお好み焼きを出し、
生計を立てて生活していたお好み焼き屋さん、

5月3日 命日、
今まで、
何度も命日の頃、
足を運んだ浅草、

今年も行こう、
5月3日
先ずはお墓にお参り、

浄土真宗東本願寺大谷派のお寺、


そんで、蛇骨湯に浸かり、
その後、
あの、並木蕎麦で
蕎麦に樽酒を一杯、

そんで、昔ながらの『どぜう鍋』がいい、
『飯田屋』
いいなあ~
そうだ、飯田屋がいい、


池波正太郎が愛した街、
と云うよりも、
馴染みの街と言った方が正しい、
『浅草』
今は浅草も新しいお店がどんどん出来て、
時代の流れで仕方ないが、
中には今でも昔の面影を残し、
昭和の風情を醸してるお店も有る、
頑なに昔のままを残してるお店はいいなぁ~
並木藪、尾張屋、アンジェラス、甘味処のなんだったっけ??すぐに思い出せない。
お好み焼き屋さんや昔ながらの駄菓子屋、
裏通りに回ると結構まだ残っている。

浅草徘徊時はそのような店を回るのも結構面白いもののようで楽しい、
心強いばかり、頑張ってもらいたい、
今風のお店もダメとは言わないが、
やはり浅草行って落ち着くのは古びたお店でも昔の匂いがするお店がいいし、
新たに建て替えても昔の味を守ってるお店なんかも素敵な感じがする、

昼過ぎ、
浅草六区から道具屋筋に行く通り道に今半も有るが、
その先に、『どせう料理専門の飯田屋』が有る。

昼でも営業している、
昼下がりの空いた時間帯に行き、
藤畳の感触を感じて、ホッと一息、
えも云えぬ時間が過ぎて行く、
これが最高にいい、

ここの店員さんも昔ながらの風情を感じる、凄くいい人ばかり、、
まだ昭和の人情的風景がいい、

予定は昼に浅草待ち合わせ、




夏目漱石 没後100年

2016-04-05 23:45:24 | 名作の舞台を訪ねて
これは行かねば、
じっくり~~

>明治・大正期の文学界の大家、

夏目漱石没後
100年
生誕150年。

神奈川近代文学館にて、

神奈川文学館HPより、

作家としての一歩を踏み出した1906年(明治39)、

漱石は
「余は吾文を以て百代の後に伝へんと欲するの野心家なり」

と述べています。

そしてこの言葉の通り、漱石が世を去ってから100年という長い歳月の中で、
多くの人びとが作品を繰り返し読み、
その魅力は、今日に至ってもなお語り尽くされることはありません。
漱石文学は読者にとってまさに
「飲んでも飲んでもまだある、一生枯れない泉」(奥泉光)なのです。

没後100年を記念して開催する本展は、こうした作品世界と、英文学者から作家に転身しわずか10数年の創作活動のなかで、数々の名作を書き上げた苦闘の生涯を紹介します。漱石と深いゆかりを持つ岩波書店、東北大学附属図書館の所蔵資料、そして、夏目家寄贈資料を中心とした当館所蔵の漱石コレクションをはじめ、数々の貴重資料により展覧。作品・人間へのアプローチを通し、漱石と現代の読者の新たな出会いの場の実現を目指します。

【会期】
2016年(平成28年)3月26日(土)~5月22日(日)
休館日は月曜日(5月2日は開館)

【開館時間】
午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
【会場】
神奈川近代文学館第1・2・3展示室
【観覧料】
一般700円(500円)、65歳以上/20歳未満及び学生300円(200円)、高校生100円、中学生以下無料
*(  )内は20名以上の団体料金
※東日本大震災の罹災証明書、被災証明書等の提示で無料
【編集委員】
奥泉光
【主催】
県立神奈川近代文学館・公益財団法人神奈川文学振興会、朝日新聞社
【特別協力】
岩波書店
【協力】
東北大学附属図書館
【後援】
NHK横浜放送局、FMヨコハマ、神奈川新聞社、tvk(テレビ神奈川)
【協賛】
集英社、京浜急行電鉄、相模鉄道、東京急行電鉄、神奈川近代文学館を支援(サポート)する会
【広報協力】
KAAT 神奈川芸術劇場

宇宙からいかにヒトは生まれたか2

2016-04-05 23:30:35 | 日記
2、
カンブリア紀
進化史上最大のカンブリア爆発が起こった。

動物を食べる動物が現れ、
食うか食われるか
『軍拡競争』
それが生じた事が原因で、
骨格が誕生し、多様なボディプランが確立され、
眼が出現した。

まだ、大多数の生物は海中で暮らしていた。

約6億年前、
酸素濃度が現在のレベルに達して、
オゾン層が形成され、
植物が海から上陸

3.6億年前から
ようやく生物が陸上に上がり
広がって行った。

その後、
恐竜時代、
隕石の衝突、
人類の誕生と続き、

10億年後に、
水が蒸発し、
地球の生命は終わると結論、

更科功、
『宇宙からいかにヒトは生まれたか』
より、


宇宙からヒトはいかにして生まれたか

2016-04-05 02:09:49 | 日記
『宇宙からいかにして
人は生まれたか』

更科功、著

何故ヒトは宇宙論や生物学に惹かれるのか?

それは僕たちの身体が星の欠片から出来、
ヒトが細菌のような生物から進化した事を自覚するからだ。

138億年史の1冊。
5部たて、
『宇宙の誕生』
『地球の形成』
『細菌の世界』
『複雑な生物の誕生』
『生物に満ちた惑星』

ビッグバンは138億年前に起こり、
太陽系が46億年前に形成された。

地球が45,5年億前に形成され、
月が45億年前後に前、

遅くとも、38億年前には海が出来た。

生物の誕生は約40億年前。

全ての生物の共通先祖は
『ルカ』
ルカは深海の好熱菌であったと言う。

30億年前、

磁場が出来、
太陽風(有害な放射能)がカットされ、

生物が浅い海に進出して、
光合成細菌が出現、

19億年前、
真核生物が誕生し、
多細胞生物へ、

6億年前頃から多細胞生物が大きくなり、
多様性が増す、

その引き金を引いたのが熱帯まで凍りついた氷河時代。

5.4億年前頃から始まる
カンブリア紀、

進化史上最大のカンブリア爆発が起きる。

続はまた、
因みに最後は地球は水が蒸発し、
地球の生命は終わると云う結論になる。













鍛冶舎監督 偉い~

2016-04-02 00:19:41 | 熊本いいとこ、あれこれ 行きましょう
64歳にして高校野球指導者に転身し、
甲子園初采配で、
秀岳館野球部創部初となる甲子園2勝目を刻んだだけでなく春4強。
鍛治舎巧監督の指導力は見事。

チルドレンの猛打だけなく、
オールドルーキーの“絶口調”も印象に残った。

 秀岳館(熊本)が優勝した際に披露する予定だったが…
ナインが
「一言、一言が心に染みる」という「鍛治舎語録」。
どうしても、紹介したい。

 「3年で日本一を目指す。長靴を買いなさい」。
14年4月に秀岳館に就任した際の第一声。

「雨でも外で練習する、休みはなしだ」

と付け加えたが、

毎週水曜日に完全休養日を設けるなど、
計画的に選手を鍛えてきた。

 「黄色は足が速く見えるから」。

14年4月の監督就任と
同時にアンダーソックスの色を以前までのグレーからイエローに変更。
パナソニック勤務時にグローバルブランド担当をやっていたため、
選手、関係者に対しても説得力あり。

「頑張って成果が出れば自信になる。頑張らず、
成果が出ないと悔いが残る。
頑張って成果が出なくても失敗が残る。
失敗は若者の特権だが、
このチームは失敗は少ない」。



秋の九州王者としてセンバツの出場が決まり、
春まで残りの期間の目標、

スキルアップ、スケールアップ、センスアップの「3S」

を掲げる際の一言。

「そこまでやるか、そこそこやるか。入り口でいいことを言っても出口が大事」。



春初戦までの練習量を問われた際の一言。

 「試合をすればするほど丸裸にされるのが高校野球。
目の前ではなく、先のことを見据えた監督は必ず、
そこで負ける。甲子園は甘くない」。

NHKの高校野球解説者として「2、3000試合は見た」という自負からの言葉。
甲子園練習では自慢の打撃を一切見せず、
守備練習のみ披露。

 「自主、自立、自治。台形なのか逆三角形なのか、早く対応しなさい」。

甲子園での主審のストライクゾーンを初打席に立った際に自らどの形かを考えて、
実践しなさいと指示。

 「感情は、押し殺さなくていい。
コントロールしろ。成功するまで辞めないこと」。


投手陣へのアドバイスを問われ一言。

 「うちのチームにカラーはない。カラフルに。無理しても無茶はさせない」。
先発完投型投手は作らず、
左右5枚看板で春登場。
「野球人生はまだ長い。
故障させたらかわいそう」との理由もあり。

 「日常生活でミスが出ると野球でもミスが出る。
素直さを失ったら成長は止まる。上に立つより役に立て」。
野球部のモットー「6S」
を掲げた。

頭文字がすべて「S」の整理、整頓、清潔、しつけ、清掃、スマイル。



 「最短より最速。腕ではなく軸回転で振れ」。
1回戦・花咲徳栄(埼玉)戦でプロ注目左腕・高橋昂也対策でのナインへのバットスイングの指示。

 「猛打のあとに貧打あり。春はノリ、夏は実力。ただ、ノリはいいです」。


2回戦・南陽工(山口)に16-0で快勝後のイケイケの一言。

 「素晴らしいゲームに感動しています。よく打ってくれた。
大したもん。データ以上に、もう気力です」。

準々決勝・木更津総合(千葉)戦での9回2死からの同点劇、
そして劇的サヨナラ勝ちを収めた「鍛治舎チルドレン」をたたえる試合終了後の第一声。
目は真っ赤で、声はうわずっていた。

 「気負いも高ぶりもない。
阿蘇山よりも燃えたぎる情熱を胸に力を出せば結果は出ます」。

4強入りを決めた翌日の練習前の一言。
泰然自若の構えの中にも熱い胸の内をちらつかせる。

 「甲子園で勝ちたい人は熊本を出る、甲子園に出たい人は熊本に残る」。

今年4月には新1年生28人が入部予定で、
うち3分の1は熊本出身者というが、熊本県の高校野球の現状を聞かれ、
ぴしゃりと一言。

 「バント練習もしとかなきゃなあ」。
準決勝・高松商(香川)戦に延長11回で2-4で敗退。
9回の犠打失敗を悔やみ一言。
練習の大半がバッティング練習のみで、
16年に入って、ほぼバント練習はしなかっただけに、ポツリ。

 「がっぷり四つで負けたら仕方ない。夏に向けてのスタートだ」。

準決勝・高松商(香川)戦に延長11回で敗退。
気落ちするナインに「何て声をかけてあげるんですか?」
と問われ、一言。

 当然、
夏に「聖地再登場」を狙う鍛治舎監督率いる秀岳館。聞けばなぜか心地良く、
頭に残る「語録」を地方大会のときから聞き逃すつもりは、ない