阿蘇内牧温泉、山王閣、漱石が熊本の第五高等学校(現熊大)の同僚と共に訪れ、二百十日を書いた舞台。
今も現存しているとの事で黒川温泉への途中で立ち寄って観た。
ビックリした事に宿泊客でなくても簡単に無料で見学出来る、
旅館のフロントでお願いすると気安く承諾してくれた。
宿泊した部屋は旅館の庭の離れに有り、2階建ての至って実に簡素な作り、手入れも行き届いていない、本当に簡素との言葉がぴったり、
今。ここに泊まれと言われたら、絶対嫌だぁ~、夜とか怖いだろうなぁ~。
『ビールは無かですが、恵比寿なら有ります、』
『え!、恵比寿はビールではないの?』
こんな感じの会話だったかなぁ~
阿蘇の山の中の人はビールの中の銘柄が恵比寿と云う事すら知らなかった時代』
ここで女中さんが運んで来たビールではない恵比寿を飲み、阿蘇五山を眺めたのだろうなぁ~、この場所に何泊しかたは不明だが15の俳句を残した。
ついでに温泉だけ入らせて頂いた、無色透明、結構熱めの純粋な温泉。
漱石が『純透明な湯』と称した湯!
内牧温泉、山王閣の人達、穏やかでとてもいい感じでした。
有難うございました。
その後、内牧散策、質素だがいい感じ、薬膳料理のお店で昼食、とても野菜の味が濃厚で、美味しい、
町並み穏やか、時間がゆっくり過ぎて行く、
黒川への道のりも車の窓を開け、新鮮な空気が美味しい、体の中を風が吹き抜けてゆく感覚、
考えてみたら、漱石はこの阿蘇で多くの俳句を残しているし、漱石は熊本の事を『杜の都』と初めてよんだ人物でも有る。熊本に5年弱漱石はいた、『三四郎』の出身高も第五高等学校だし、『我輩は猫』の書生も五校の生徒で有った。『草枕』も熊本が舞台だし、熊本と漱石を語ればきりがなく、漱石と熊本はゆかりが深い筈なのに、熊本には漱石に関するお土産が無い。
(一部、小天温泉の玉名市が漱石が通った温泉として『草枕』云々でやってはいるが、)
何故だぁ~、何故もっと全体でやらないのかなぁ~
何故もっと漱石を出して観光誘致につなげるとか、文化向上につなげないのか?
阿蘇の街々にしても温泉地にしても、例えば、三四郎ラーメンとか?三四郎オコシ、草枕団子、温泉水二百十日とか、我輩は猫のストラップ、熊本漱石文学賞とか、いくらでも考えられる、何故やらないのか?不思議としか言いようがない。
経済効果は計り知れない埋蔵量なにになぁ~
参考までにネットで出ている漱石と熊本
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/kumabun.html
逆に、
四国の松山行けば、どこもかしこも『坊ちゃん』、『坊ちゃん』、
坊ちゃん団子は小説坊ちゃんの中で道後温泉に入浴の後、近くの評判の団子屋に立ち寄った話が有る。
確かに、だが美味しいとは一言も言っていない、
温泉だけは素晴らしいと言っているが、それはまあいいとして、坊ちゃん饅頭、坊ちゃん煎餅から坊ちゃんを冠したお土産ばかり、まあ何でもかんでも夏目漱石にあやかり、地名さえも、伊予鉄道も坊ちゃん列車、劇場も坊ちゃん劇場、最近でも球場の名称も『坊ちゃん球場』、漱石自身松山にいた時期は短い、但し正岡子規と漱石が仲良くその縁で松山を訪ねているが、漱石は理由はよくわからないが、松山の人々を小馬鹿にしている、小説『坊ちゃん』の中で松山の事、散々悪く書かれているのに、漱石から小馬鹿にされても松山の人々は漱石に強烈な片想いでもしているかのような観が松山の商店街を覆っているように感じられた。
松山の商魂なのか?、伊予人の寛容なのか?
わからんです。
小説の中でアレだけ小馬鹿に散々な事を言われても怒らない。何故?!?
小馬鹿とは少し失礼な言葉。漱石の言葉を借りるともっと失礼になる。適当な言葉を今度、捜そう。
松山尋常中学からすぐに熊本の第五高等学校に赴任して、いきなり熊本、肥後人の気質が気に入ってしまったのか、熊本題材の小説でも熊本の人達の事を良いように書いているのは確かな事実。
もう一つ漱石が散々に言っている都市がロンドン、ロンドンみたいな都市になってはならない、文明がもたらす不幸を警告してるのですが、
続は今度、