とね日記

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ブラックホール戦争:レオナルド・サスキンド

2018年09月29日 19時00分00秒 | 物理学、数学
ブラックホール戦争:レオナルド・サスキンド」(Kindle版
スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い

内容紹介:
「情報のパラドックス」という問題をめぐって、理論物理学者のレオナルド・サスキンドはスティーヴン・ホーキングと20年以上にわたって論争を続けた。本書はその理論的対決の物語だ。

「情報のパラドックス」とは、ブラックホールに落ち込む粒子の情報は永遠に失われるのかという問題である。ホーキングは一般相対論の立場からその情報は永遠に失われると論じた。それがサスキンドのいう「ブラックホール戦争」の始まりだった。

サスキンドによれば「情報の保存」は「物理法則の時間的な可逆性」という形で物理学に深く刻み込まれていて、ホーキングの主張は物理学の土台に爆弾を投下することに等しかった。サスキンドはホーキングの主張に抵抗し、ゲラルド・トフーフトとともに情報が失われることはないという論陣を張った。
この論争が重要であるのは、量子論と一般相対論をいかにして調和させるのかという問題に結びついていたからである。量子論と一般相対論は物理学のもっとも根本的な理論でありながら、互いに両立できないままだ。ブラックホール戦争は、ふたつの理論を調和させることを目指した新しい物理学の基本的な枠組みをめぐる、熾烈な格闘だった。

20年以上に及ぶ論争から「ブラックホールの相補性」や「ホログラフィック原理」といった新しいアイデアが生まれ、それらは今では世界中で盛んに研究されるにいたっている。ブラックホール戦争によって、物理学にパラダイム・シフトが起こったとサスキンドは断じている。
サスキンドは理論的な対決の物語を遊び心たっぷりの読み物に仕上げた。読者を楽しませるための仕掛けが本書にはたくさんちりばめられている。サスキンドは「エネルギーとは何か」「物理学でいう情報とは何か」「情報の保存とは何か」「エントロピーとは何か」といったもっとも基本的なことからていねいに説明しているので、本書を読むのに特別な知識はまったく必要ない。本書の隠れた主題は、物理の面白さを伝えることにある。本書は物理学への賛歌であり、物理の考え方の本当の面白さを心ゆくまで堪能できる一冊だ。
2009年10月刊行、560ページ。

著者について:
レオナルド・サスキンド: ウィキペディアの記事
スタンフォード大学理論物理学教授。1969年、南部陽一郎と同じ時期にひも理論を提唱した。ブラックホールに吸い込まれた量子の情報は失われると主張するスティーヴン・ホーキングに対抗して、ゲラルド・トフーフトとともに情報は失われないとする論陣を張った。それは物理学の原理をめぐる論争だった。サスキンドは量子論と重力の理論を調和させようとして20年以上苦闘した。論争の末にサスキンドたちが到達したのは空間と時間についてのまったく新しい考え方だった。

サスキンド博士の著書: 日本語版 英語版


理数系書籍のレビュー記事は本書で376冊目。

本書が刊行されたのは2009年10月のこと。英語版の刊行からわずか3ヶ月である。9年前の本ではあるが、ブラックホールの情報問題やホログラフィック原理は日本の物理学ファンにとってはホットな話題である。特に今年はこの分野に大きな貢献をしたポルチンスキー博士が2月に、そして3月にはホーキング博士が相次いで逝去されたので、お二人の先生のことを振り返ってみたいと思って読んでみたのだ。内容紹介には「本書を読むのに特別な知識はまったく必要ない。」と書かれているが、科学教養書としては中級者向けの本である。

2013年にNHKで放送された「神の数式」では、ホーキング博士が提示したブラックホールから発する謎の熱(ホーキング放射)の問題が、最終的にポルチンスキー博士のDブレーンのアイデアを使うことでバファ博士と彼の同僚により解明されたことが紹介されていた。

Dブレーンによってブラックホールから熱が発生する説明の図(解説記事


ホーキング放射は2016年に初観測されている。

7年かけて作った「人工ブラックホール」でホーキング放射を初観測。
https://japanese.engadget.com/2016/08/17/7/

ホーキング放射」(ブラックホールの蒸発)が提唱されたのは1974年、そして超弦理論(本書では「ひも理論」として表記)の「Dブレーン」によってその謎が解明されたのは20年後である。この20年の歴史をくわしく解説したのが本書だと言ってよい。相対性理論(特殊と一般)、熱力学(エントロピー)、量子物理学、情報理論のすべてが矛盾なく成り立たせるため、どのような試みが行われてきたかが、その真っ只中で研究されてきたサスキンド博士の口から、豊富なたとえ話を盛り込みながら熱く語られている。

D-ブレーンとブラックホールの関係
http://sonokininatte55.blog.fc2.com/blog-entry-128.html


科学教養書をたくさん読んでいる僕でも、本書は得るところが多かった。特に次のようなことだ。

ホーキング放射やその矛盾としての情報問題をとてもわかりやすく解説している

本書を読むいちばんの目的はまさにこれである。どのように解決されたかを理解する前に、まず何が問題になっているかを理解しなければならない。本書はこの点に多くのページを割いている。

ブラックホールに蓄えられる情報量はその体積ではなく表面積に比例することがわかる

これは大栗先生の科学教養書や科学雑誌Newtonでも紹介されていた。ヤコブ・ベッケンシュタイン (Jacob Bekenstein) は、事象の地平面の面積をプランク面積で割った値にブラックホールのエントロピーは比例するであろうと予想した(ウィキペディアの記事)というのが元になっているわけだが、本書では簡単な数式を使いながら、わかりやすく解説している。

「ブラックホールの相補性」を理解できる

ロケットでブラックホールに突入する人を外部から観測すると、ブラックホールの表面(事象の地平面)に到達する前に高温になりバラバラに破壊されるように見える。(ブラックホールの防火壁問題)しかし、ロケットに乗っている人は何も気がつかないうちに、やすやすと事象の地平面を通過してブラックホールの内部に入るように感じる。この2つの矛盾する現象が同時に成り立つというのが「ブラックホールの相補性」である。量子力学で光は波動であり、かつ粒子でもあるという「量子力学の相補性」になぞられて、このように呼ばれるようになった。本書刊行後に書かれた以下の記事や発表を参考にしていただきたい。

ブラックホール防火壁仮説I:プロローグ1(堀田先生のブログ)
http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/13/115916

ブラックホール防火壁仮説Ⅱ:量子情報理論的なブラックホールの年齢 (ペイジ時間の考え方)
http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/15/112849

ブラックホールの防火壁(大栗先生のブログ)
https://planck.exblog.jp/19026474/

量子のもつれによってブラックホールの"firewall paradox"を払拭(2013年3月)
http://blog.livedoor.jp/dogon23/archives/24270438.html

東北大、ブラックホールにおける量子もつれが既知の「限界」より強い可能性を解明(2018年5月):プレスリリースPDF
https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP478852_X00C18A5000000/

ホーキング放射がDブレーンの物理学でどのように説明できるかがわかる

9次元空間中のD5ブレーンを使うことでホーキング放射が計算できるのだ。(参考:ウィキペディアの記事)定性的な説明にとどまるが、このことが詳しく説明されているのは本書だけかもしれない。(ただし、それはわれわれの宇宙で観測されるシュヴァルツシルドブラックホールのような場合に直接適用する事はできない。)

AdS/CFTやホログラフィック原理について詳しく解説している

これまで読んだ科学教養書の中で、AdS/CFTやホログラフィック原理をこれほど詳しく解説しているものはなかった。AdS/CFTとは反ド・ジッター空間(AdS)と共形場(CFT)との間の対応関係のことで、マルダセナ双対やゲージ/重力双対とも呼ばれる。ホログラフィ原理とは「4次元の量子色力学=5次元の量子重力理論」の等価性のことである。

超弦理論の検証を実験で示せることが理解できる

超弦理論は超ミクロのプランクスケールの物理学であり、数学的にはモデル化されつつあるものの、現代の実験装置ではというてい検証できないはずだ。(実験するためには銀河系全体の質量に匹敵するエネルギーが必要である。)

しかし「大栗先生の超弦理論入門」の第9章「空間は幻想である」の「検証された予言」で紹介されているように「クォーク・グルーオン・プラズマ」の物理学(QCD:量子色力学)と超弦理論が関係していることがホログラフィー原理によって明らかになった。具体的には「重イオン衝突実験」として行われる原子核内部を探る実験により超弦理論が検証されることになる。

原子核がいかに小さいとはいえ、プランクスケールと比べればはるかに大きい。なぜ、このようにスケールの違う世界で物理法則に類似する法則があるのか、本書ではとても詳しく解説されている。

本書ではプランクスケールの(超)弦理論と原子核(QCD)レベルの弦理論を区別しているので注意が必要だ。著者のサスキンド博士は原子核(QCD)レベルの弦理論の創始者のひとりである。なお、本書では弦理論ではなく「ひも理論」という表記が使われている。スケールの違う2つのひも理論はきちんと区別できるように書かれているのでご安心いただきたい。

「空間は幻想である。」が理解できる

「重力のホログラフィー原理」により「空間が幻想である」ことが導かれる。これについても本書で詳しく理解することができる。そのためにはブラックホールと情報(エントロピー)の問題解決が不可欠であるわけだ。本書刊行後の2015年には、ホログラフィー原理をもとにした次の論文が発表されている。

量子もつれが時空を形成する仕組みを解明~重力を含む究極の統一理論への新しい視点~(2015年6月)
https://www.ipmu.jp/ja/node/2175

先月開催された「AI(人工知能)と物理学」」という講演会で大阪大学の橋本幸士先生は「深層学習と時空」という講演をされていたし、これを受けて「Newton(ニュートン)2018年10月号」(詳細)では「空間は幻なのか!?「ホログラフィー原理」が示す新しい宇宙観」という記事でホログラフィー原理や時空の創発が特集されたばかりだ。

阪大・橋本幸士教授、超弦理論を語る。 ? 世界を記述する数式はなぜ美しいのか
https://academist-cf.com/journal/?p=6005

橋本先生の論文(共著)もArXivに『深層学習とホログラフィックQCD』として昨日投稿されたばかりである。

Deep Learning and Holographic QCD
https://arxiv.org/abs/1809.10536

また、これに関して橋本先生は次のような一般人向けの講演を行なった。

深層学習と時空:橋本幸士先生 #MathPower
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/bf7e7e661246866943c765bdd371248f


ノーベル物理学賞の発表は来週火曜日の夕方だ。昨年は「重力波の初観測」に対して授与されたが、これはブラックホールの存在が公に認められたことでもある。来週の発表を心待ちにしながら、「量子重力」や「ホログラフィック原理」、「超弦理論」などに対して物理学賞が授与されるのは何年先になるかなと思うわけだ。案外それは近い将来のことなのかもしれない。


翻訳の元になった英語版はこちら。2009年7月に刊行された。Kindle版はとても安く買える。

The Black Hole War: Leonard Susskind」(Kindle版
My Battle with Stephen Hawking to Make the World Safe for Quantum Mechanics




関連動画:

Leonard Susskind - The Black Hole War (Full Audiobook): YouTubeで再生


The Black Hole Wars: My Battle with Stephen Hawking


Leonard Susskind on The Black Hole Wars



関連記事:

ホーキング、宇宙を語る:スティーヴン・W. ホーキング
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/1e3dbc9b3d10d4a9b6518b6b32429e22

ホーキング、ブラックホールを語る:BBCリース講義
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/6fb5c3578db1c26382c831983fd44e04

ホーキング博士の訃報に接し (Stephen Hawking passed away)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/63860b8ac08b47f1fc9c5cbac3f9ca8f

ポルチンスキー博士の訃報に接し (Joseph Polchinski passed away)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/c2337d131b18a50f4bfd17e77b7d20dd

ブラックホールと時空の歪み: キップ・S. ソーン
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/76795b03e7dc89cd08dac67dc25b73ab

神は老獪にして…: アブラハム・パイス: アインシュタインの人と学問
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d9258ed7a2d52173116ccd6e61ba0881


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ブラックホール戦争:レオナルド・サスキンド」(Kindle版
スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い



はじめに

第1部 たれこめる暗雲
第1章 最初の一撃
第2章 暗黒星
第3章 古い時代の幾何学ではなく
第4章 「アインシュタイン、神に何をすべきか命じてはならない」
第5章 プランク、より良い尺度を思いつく
第6章 ブロードウェイのバーにて
第7章 エネルギーとエントロピー
第8章 ホイラーの教え子たち ― ブラックホールの中にどれだけの情報を詰め込めるか
第9章 黒い光

第2部 奇襲攻撃
第10章 スティーヴンはビットを見失い、見つけられなくなった
第11章 オランダ人の抵抗
第12章 それが何の役に立つ?
第13章 手詰まり
第14章 アスペンでの小競り合い

第3部 反撃
第15章 サンタバーバラの戦い
第16章 待て! 配線を逆にしろ
第17章 ケンブリッジのエイハブ
第18章 ホログラムとしての世界

第4部 戦争の終わり
第19章 大量推論兵器
第20章 アリスの飛行機、または目に見える最後のプロペラ
第21章 ブラックホールを数える
第22章 南アメリカの勝利
第23章 核物理学ですって? ご冗談でしょう!
第24章 謙虚さ

エピローグ

訳者あとがき
用語集
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ブラックホール (hirota)
2018-09-30 14:17:24
ホログラフィ原理は「情報量は表面積に比例」という事実から「フィルム面に記録されたホログラムから立体映像が投影される」事との類比で「人間が認識している現実」も面に記録された情報から投影された幻影だという話でしょう。
それはさておき、ブラックホールに落下する時間を計算したところ、事象の地平面に達するには外から見て無限の時間が必要と分かりました。
つまり、ブラックホールに落下する物体は宇宙が存在する間は何時でも引き返せる事になります。
膨張宇宙ならブラックホールは蒸発しますから、地平面に達する前にブラックホールが消えてしまどころか、そもそも本物のブラックホールが出来る前に消えるし、蒸発しない場合は宇宙膨張が止まって収縮する宇宙全部がブラックホールに飲み込まれますから、一般相対論の立場でも情報は失われる事なんて起こりません。
なんで「ブラックホールの相補性」なんてものが必要なんだろ?
返信する
Re: ブラックホール (とね)
2018-09-30 16:16:51
hirotaさん
コメントありがとうございます。
ホログラフィ原理についてはおっしゃっているとおりの理解で正しいと思います。
事象の地平線へ到達する前に引き返すには、よほど強烈に逆噴射しないといけませんね。到達するまで(外部から見たら)無限の時間がかかるように見えるというのも本書に書かれていたとおりでした。
「ブラックホールの相補性」ですが、相補性は光が波動か粒子かのように古典的な意味では矛盾して観測されるという意味合いで本書では話が始まりました。ブラックホールに突入する人を外から観測する人は事象の地平線で高熱にさらされ、原子がバラバラになるように観測し、突入する人自身は何も感じずにすんなりと事象の地平線を通過するというものです。2つのことは古典的な意味では矛盾していますから、そのことを「ブラックホールの相補性」と本書では呼んでいます。その後に続く説明でこの矛盾を解決するための取り組みの歴史が解説されます。

「ブラックホールの相補性」について、記事に追記しておきました。
返信する
当人 (hirota)
2018-10-01 13:01:34
ロケットが丈夫なら、外から見て突入前にブラックホールが蒸発した当人が帰ってきて体験を語れる訳ですが、一体どちらの体験を語るんでしょうね。
目の前で爆発もせずブラックホールが消滅したと言うのかなー?
それとも無事通過して別宇宙のそっくりさんに会っている?
返信する
Re: 当人 (とね)
2018-10-01 14:42:37
hirotaさんへ
体験や記憶についての「シュレディンガーの猫」のようで面白いですね。物理的にはこの2択でしょうけれど、SFっぽいのも入れれば次のようなのもありそうです。
- ブラックホールでの記憶をまったく失った状態で帰還する
- まったく関係ない記憶が埋め込まれて帰還する

また、もどってきた当人が何歳なのかも気になります。
返信する
事象の地平面までの到達時間 (T_NAKA)
2018-10-01 17:34:38
ちょっとこの記事の内容の本質とはずれてしまいますが、落下する物体が事象の地平面までの到達時間は、外部から見ると事象の地平面(Schwarzschild半径 )にかなり近づいてくると急激に時間の進みが遅くなり、そのままでは無限なんですが、Schwarzschild半径 に至る手前で寸止めして方向転換すれば有限時間で帰還できます。実際にSchwarzschild半径 の2倍にあたる位置から物体を自由落下させたシュミレーションをしてみました。https://teenaka.at.webry.info/201701/article_3.html (この記事にグラフが2つありますが後の方を参照して下さい。)
rf=1(すなわち Schwarzschild半径 )の近くになると、落下累積時間が急激に発散することが分かります。寸止めすれば、Newton 力学で計算したものよりは大きくなりますが、(測り方によりますが)十分に有限と言えるでしょう。
まあ、事象の地平面近傍から引き返す具体的な手段があるか?という問題はありますが、、
返信する
Re: 事象の地平面までの到達時間 (とね)
2018-10-01 18:01:46
T_NAKAさんへ
ありがとうございます。この本は一般向けですから、計算はせいぜい中学数学止まりですが、ご紹介いただいたブログ記事の計算例は面白いですね!
(余談:事象の地平線ではく地平面ですね!)
返信する

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