酒を飲んだ翌日、重い頭を抱えながら純保は起きた。
酒量は行き過ぎたが、記憶を失くすほどではない。
ハルナに強引にキスをしたことを思い出す。
反省していたが、後悔はしていない。
キスの途中から自分を受け入れたハルナの唇に、純保はある事を決意すると、ベッドから起き上がって洗面所へと向かった。
顔を洗う。
冷水が心地よい。バシャバシャとなんども水飛沫を当てる。
顔をあげ鏡の中の自分を見た。
二日酔いとは思えないほどすっきりとしたフェイスライン。
切れ長の目、厚めの唇。
この顔は死んだ両親からもらったもの。
堀辺創から聞いた、実の両親の不遇な運命を思い出す。
しかしそれは、本当に不遇だったのか?
純保はある部分ではそうで、ある部分では違うと思う。
だって父は母を愛し、母もまた父を愛していた。
子供の顔どころか、子供ができたことすら知らずに死んだ父の無念、
産み落としたのに自ら育てることができないで死んでいった母の想い、
その悲壮は想像しがたいが、それよりも、在りし日の、愛し合い、笑合う男女の姿が見える。
求め、求められることが、純保にとってとても大切なことだ。
朝のアナウンス室。
純保が出社すると、ハルナはすでにデスクに座り、仕事をしていた。
てきぱきと仕事をこなす彼女を見つめる。
ただのかわいいお飾りみたいだった彼女はもういない。
これから彼女はもっともっとかっこいい女性になるだろう。
入社式の日からもうじき1年が経とうとしていた。
あの日、檀上で新入社員を前に司会をした純保の目に、ひときわまばゆく飛び込んできたのがハルナだった。
人は5秒で恋に落ちるという。
正しくは、5秒で、相手が自分にとって必要か不要かを判断するそうだ。
現代人の本能はきっと環境で鈍っているけど、純保は思う、自分の本能は鈍ってはいないと。
幸せだった。
ハルナと付き合えて、自分は幸せだった。
いろいろなことがあったけど、結婚をして家庭を築くという夢を見させてもらった。
それが夢のまま終わろうとも、正直に生きる事を選択する。
純保は重い腰を上げ、ハルナを呼んだ。
・
「別れよう俺たち」
プチテレビの球体展望室。
一般開放前の時間なので、だれもいない。
突然の別れのことばにハルナは絶句する。
「…」
しかし純保には、沈黙と表情が意味するハルナの感情は読み取れない。
多分ハルナは、ほんとうに、自分でもわからないのだろう。
好きという感情の幅はとても複雑だ。
自分が目を背ければ真実はいくらだってごまかせる。
だから―
俺が言う―
純保は景色をしばし眺め、気持ちを決めてハルナのほうを向いた。
「もう、終わりだね?」
ハルナの瞳が揺らいだ。
「先輩…、別れたいの?」
「…ずるいよハルナ」
純保は目を伏せる。彼のこころはいまにも崩れ落ちそうだ。
―ああ、ハルナ。
―君は罪作りだな。
―正直に生きることを選択すべきは、君なんだよ?
「ずるい…?わたしが…?」
「ああ」
「わたし…別れたく…ない」
ふたりのあいだにしばしの沈黙が在居した。
それを再び動かしたのは純保のためいきの音だった。
「ハルナ、君はずっと迷ってるよね。ずっと俺の目を見ないよね。
わかってる。もともとの原因が俺にあるってことは…。
でも俺はハルナと向き合ったよ?
口ではわかったと言いながら本心では僕を許してない。それに…」
”きみのこころにはだれかほかのひとがいるんじゃない?”
そう言いかけて、言葉をのみ込んだ。
「別れたく・・ないよ…。わたし先輩のこと好きだよ…」
ハルナ、違うよ。
その好きはもう、きっとまえの好きとは違っているんだよ。
「俺も、ハルナの事、ずっと好きだよ。だけど、終わりにしよう」
「先輩…!」
「仕事、がんばろうな」
純保はそういうと、その場に呆然とたちつくすハルナに背をむけ、球体展望台を去っていった。
これで終わりなのか。
ハルナの身体から得体のしれない、だけどすべてのなにもかもが抜けてゆく。
(つづく)
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