(前回の続き・18年前の黄桜邸)
黄桜良子。
屋敷の主、黄桜幹二朗の妻であり賛成の母である良子は、元・女優だ。
その美貌は女優を引退し、賛成を産み、
10年余り過ぎた30代後半の今も衰えることなく美しい。
日々の贅沢や美食、(それはこの家にとって特別なものではないが、)
若いころとはまた違う成熟した色気が良子の美貌を豊満に輝かせていた。
杏子は、映画でしか見たことのなかった良子の姿に魅入り、同時に強烈な畏(おそ)れを覚えた。
自分と赤ん坊を見る良子の瞳。
夫の若い愛人と、その間にできた赤ん坊を見る目は、深い憎しみに満ちていた。
杏子は我が身を振り返る。
17歳で女優として芸能界デビューした杏子は20歳で幹二朗の愛人となった。
そして今、22歳。
生まれた子供は男の子。
認知もなにも望まない。
ただ静かに暮らせたら…。
その願いはむなしく、幹二朗はこの男子を正式に黄桜の籍に入れたいという。
良子が、愛人と隠し子の存在を執事の黒井から知らされたのはほんの10日前のことだった。
半狂乱になった良子は部屋にこもった。
杏子を屋敷に呼べと黒井に命令した良子が
いま久しぶりに部屋から出てきて杏子の目の前にいる。
ネグリジェ代わりの絹の白い長いドレスをまとった良子の顔は無表情だ。
「…奥様、わたし」
杏子が静かに話し出す。
「わたしは、この子の認知など望んでいません。
黄桜家の名前も、お金もいりません、もう旦那様とも…、会いません。」
良子は何も言わない。重い沈黙が空間を支配する。
居間には良子と、杏子と、黒井の3人だけだ。
見守る黒井の気配と、わずかにもれる赤ん坊の声だけが生の音と響き、
ここが現世だと証明している。
それほどに良子の表情は冷たく色がなかった。
「奥、様…」
「―あなたの意志などきいてはいません。」
良子が口を開いた。
「主人と会わない?認知もいらない?あなたは自分の意思が通るとでもお思い?選択する権利があるとでも?」
良子は杏子を一瞥する。
「それは…」
「…その赤ん坊をお渡しなさい」
「いえ!いえ、それは!」
杏子の目から一気に涙がこぼれた。
結局、良子はすでに、黄桜の人間なのだ。
夫の不貞はつらい、しかし黄桜家の利益と意志を尊重する。夫の意志ならば。黄桜のためならば。
杏子は赤ん坊をかばうように抱きしめ部屋を出ようとするが、良子はそれを許さない。
奥様、どうか、どうか、、そう言いながらも杏子は、良子に圧倒され足がすくむ。
蛇ににらまれたカエルの様に彼女は身動きが取れないでいた。
黒井は何かおかしいと思う。
良子があまりにもおとなしすぎる。おかしい。
そして予感は的中した。
窓から入った光がギラリと眩しく光り良子の手元のなにかに反射した。
「奥様!」
黒井は良子に近寄るが、時すでに遅し、
絹のドレスのひだの間に隠し持ったナイフが、杏子をめがけて突き刺された。
「…あっ…!」
杏子は声にもならない声をだしその場に倒れた。
黒井は良子の手からナイフを奪うと、
大きな声でメイドを呼び、良子を押さえさせる。
「救急車を!早く!」
杏子の体から流れる真っ赤な血液はみるみるうち床に半円を描いてゆく。
黒井はうつ伏せに倒れる杏子の傷口を手でふさぎながら、その腕に抱える赤ん坊を受け取ろうとするが、
もうろうとする意識の中でも彼女の赤ん坊を抱える力が弱まる事はなかった。
「杏子様、大丈夫ですから…だれもあなたからこの子を奪いませんから…さあ、この黒井に」
「…」
杏子に聞こえたかどうか、分からない。
しかし腕の力がゆるみ、黒井は赤子を受け取った。
一方メイドにおさえられながら、良子は半狂乱になっていた。
「お放しなさい!」
良子の声が屋敷に響く。
その時、扉が開いた。
「ママン…?いるの、お風邪、なおったの?」
開けたのは、母の声を10日ぶりに聞きつけた10歳の賛成だった。
賛成様、見てはいけない―!黒井は扉を閉めようと歩み寄るが、遅かった。
「マ…」
「賛成ぼっちゃま、見てはなりませぬ!」
賛成は見た。
ママンの、蒼白な、夜叉のような顔。
白い絹のドレスに散った赤と、倒れた女性から流れ広がる赤い液体。
それは深紅のインクのようにマホガニーの床を伝い広がってゆく。
黒井は賛成の目を手でおさえた。
しかしその行動もむなしく、既に賛成はすべてを目に焼き付けた。
耳にきこえる、ママンの半狂乱の声と赤ん坊の泣き声。
血の匂い―。
・
「それから賛成ぼっちゃまは一切の言葉を発さなくなりました」
黒井の話はそこで終わった。
賛成は深いため息をついた。
この部屋で―、自分はみていたのか、そんな修羅場を。
しかし、黒井の語った話をにわかには信じられなかった。
なにせ自分の記憶には、なに一つ残っていないのだから。
賛成はしばらくすると屋敷を後にし、黒井にも何も言わず屋敷を出、ホテルへと戻った。
・
ホテルの暗い部屋。
レイは賛成から語られる話を静かにきいた。
黄桜家の重さは理解しているつもりだったが、
幼い彼の見てしまった鮮烈な血の記憶は、その繊細なこころをどれだけ傷つけたのだろうか?
想像するだけで胸が痛んだ。
「…それから僕はしばらく話すこともできず、学校にも行けず、ずっと部屋に閉じこもっていたそうだよ。
病院にいっても何も改善せず、結局、叔母が住んでいたニューヨークへ療養を兼ねていかされることになったらしい。
父は赤ん坊を―成哉を引き取ることを諦めたそうだ。
まさかあんな修羅場にまで発展するとは考えていなかったんだろう、
母も、杏子さんという人も、きっと業の深いひとなんだね…」
「ニューヨーク...」
「あちらでなにがあったのかは黒井もしらない。
だけど夏が終わって日本にご帰国したとき僕はすっかり元に戻っていたそうだ。
いや、ちょっと違うね、元に戻ったんじゃなくて…」
「記憶をなくした」
「きれいさっぱりとね」
レイは今朝見た賛成の本を思い出した。
レイの脳裏に、小さな賛成が自室にこもってあの本のページを赤く塗りつぶす景色が、ふいに浮かんだ。
賛成はやがて思い出すだろう。
消し去りたいほどつらかった記憶、
母親の夜叉の様な顔と殺意。
そして賛成はまた傷つくだろう。
しかし―、そんな近い未来が見えたところで、レイに出来ることはただ傍にいることだけだ。
自分で乗り越えるしかないないのだ。一体にはなれない歯痒さを、レイはいま感じていた。
・
あけて土曜日。
右太郎は、午前中で診察が終わるサヤ子を病院まで車で迎えにきた。
毎週のおきまりだ。だいたい、このままブランチに行って週末を一緒に過ごす。
車を病院の前に停め、3回クラクションを鳴らす。
”サ・ヤ・コ”の合図だ。
少しして、黒いミニのノースリーブのワンピースに、ジャケットとバッグを脇に抱えたサヤ子が病院の玄関からでてきた。
「ごめんなさい、待った?」
「ううん!乗って?」
サヤ子が助手席に乗り込むと、右太郎はじっとサヤ子の肩の辺りを見る。
「・・・・」
「ウタ、なあに?どこ見てるの?」
「いや…、あのさ…、その服、セクシーでいいんだけど…ヒモが…」
「え?」
「ブラのヒモがちょっと見えてるから、気を付けて?」
「これは見せてもいいやつで…」
「だめだよ、ほかの男にみられちゃ・・?ジャケット羽織るとか?」
サヤ子は仕方なくジャケットを羽織った。
右太郎はなかなかに、古風な男なのだ…。
そして右太郎はサングラスをかけ、エンジンをかけ、後方確認をすると車を走らせる。
春の陽気だ、きもちがいい。
サヤ子は車の窓を少し開け風の匂いをかいだ。
「あー、おなかすいた。今日はウタ、何食べようか?」
「メシのまえにちょっと寄りたい所があるんだ。」
寄りたいところ?
右太郎が上機嫌に言うので、サヤ子はそれ以上きかず、任せることにした。
車は30分ほど走り、サヤ子にも見覚えのある場所で停まった。
そこは―、
右太郎が通う、ダンススクールだった。
「ここ?ウタ、まだダンスは出来ないでしょう…?」
「いいから、来て!」
サヤ子の手を引き、スタジオへ入る。
(つづく)
「アナウンサー!冬物語」は下記からの続編です。
「アナウンサー!春物語」 第1話はこちらから→
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つぎに「抱きしめて!聖夜(イブ)」 第1話はこちらから→
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※この物語はフィクションであり実在の2PMとは一切関係ありません。