何分、何十分…いや、何時間?自分がぼーっとしていたのかわからなかった。
そしていつの間にか涙が頬を伝っていた…自分で気づいてなかったし。
大丈夫か、私…そこそこ自信がついてから鼻っぱし折られるの、キツいわ…。
こんなに誰かに甘えたいと思ったのはいつぶりだろう?
「…大丈夫ですか?」
顔をあげると…あの彼がいた。
弱っている私には眩しい笑顔…吸い込まれそうだ。
「先日は…あの…あなたに僕、ぶつかってしまって…すみませんでした。急いでいたんですよね?
本当にごめんなさい。」
「あ...あぁ…いえ、大丈夫よ…ところであなたは?」
「あ、すみません、僕はプチテレビの伊藤純保と言います。まだ研修期間なんですけど…。」
やっぱり大学卒業したてか…てことは、私の5こ下…うぅ…。
「あの…お名前、伺ってもいいですか?」
「あ、ごめんなさい、私は高村美香。サイパー.comの営業よ。」
「それで僕の会社と取引があるんですね。納得しました。」
「…」
「…あの、大丈夫ですか?」
「え?」
「ちょっと…泣いてるみたいだったから。」
(げ、バレてる…)
「そ、そんなことないわ…ちょっと疲れてるけど。」
「…ならいいんですけど。」
彼がおもむろにペンと紙を取り出し何かを書き始めた。
「これ。僕の携帯です。失くさないで、この番号を。必要なその日が来るまで。
(代償なんて、なにもいらない。Anytime, anywhere、駆けつけるから…)
…じゃあ。一人の方がいいですよね。また…。」
そう言って彼は出て行った。
若いって、自信あるのね…電話番号を渡されても…私からかけられるわけないじゃん!
「はぁ…私も会社戻ろ…」
会社の入り口でちょうどジム帰りの社長とばったり会った。
「お、高村、お疲れぃ!」
「社長、相変わらず健康的ですね〜、っていうか、派手ですね!!」
「いいだろー、俺のファンにもらったんだよー」
「ファンって何ですかファンって!」
「はっはっは〜!」
この人が我らがサイパー.comの社長、紀村俊。
24歳という若さで今や業界ナンバーワン大手のIT企業を立ち上げ、代表を務めている。
凡人では考えられないような大きなプランを次々と手がけ、
バリバリ仕事もこなすのに部下に対しては気さくで、社員からの信頼も厚い。
そしてさっき社長がファンと言っていたのもあながち嘘ではなく、
まだ独身ということもあり、他社の女性ファンから毎年、バレンタインには山のようなチョコが届く。
最近は長期プランでの大きな買収を考え始めたようだけれど…それはまだ社長のみぞ知る話。
私より年下の社長だけれど、全信頼をおいている。
私が以前務めていた会社とサイパーが取引があり、私の仕事っぷりを気に入ってヘッドハンティングしてくれたのだ。
…さて、と。
デスクワークばばっとやったら今日は華金だし、ケイでも誘ってご飯行くかー!
うーん…やっぱり、すぐには電話こないよな…。
勢いで携帯番号を渡してみたけど、淡い期待は崩れ去りそうだ。
キミの声 聴かせて欲しいよ 他になにもいらない その声が僕を突き動かす…
I can’t stop loving you Baby…
もうずっと彼女のことを考えてばかりだ。
あの後は大丈夫だったかな…普段強そうな人が泣いているとたまらない。
離れていても目を閉じたら僕はうかぶ?今は誰と泣きそうな空の下に居るんだろう…
そんな彼の想いは露知らず、私はケイに伊藤純保との話をキムチチゲをつつきながら話していた。
「…というわけで、携帯番号、いきなりもらったんだよね。」
「年下なんでしょ!!?しかもイケメン?いーじゃん!やるねー美香も!!」
「いやいや、やるも何もまだ何も始まってないし!てか、電話かける理由もない」
「まぁ、冷静に考えたら何もないよね…何か口実ないの?仕事とかさぁ」
「これが、全くないよね!彼、まだ新人だしさ」
「そっかー。」
私は最寄り駅が一緒で仲良しのケイと、いつもの韓国料理屋に来ていた。
ここへは週2、週3で来ており、来るたびに何かサービスしてくれる。
「まぁそのうち、電話することが出てくるかもしれないしね!」
「…そんなこと、今後、あるかなぁ?」
いつものようにケイと深夜まで喋り倒してから私たちは家路についた。
…その後、私は社長が企画した大きなプランのプロデュースを任され、
ロンドンに飛んだり、カンヌに飛んだりという生活が続き、彼のことはすっかり忘れて仕事人生を駆け抜けていた。
あーあ、当分、結婚はもとより、彼すらできそうにない…ま、仕事も楽しいしいっか…。
そうして年月は過ぎ去り…
…あれから5年。
テレビを観て彼がプチテレビの人気アナウンサーになったことは知っていた。
芸能人と肩を並べて”抱かれたい男”ランキングでも4位になっているらしい。
まさか、あの彼がね…ほんっと惜しいことしたよね、私。
ほんっとに惜しい!今や人気アナウンサーの彼女だったかもしれないのにっ!
…後悔先に立たず。痛むよ、胸が。
そんな中、例年、サイパーが巨額の出資をしているプチテレビの湾岸合衆国、おやすみライブの季節がやってきた。
ここ数年、私は海外担当だったので、今年は久々に何かしら企画の担当をすることになるだろう。
ここにきてプチテレビの仕事かぁ…彼に会えるかな…明日は先方で打ち合わせがある。淡い期待を抱いてしまう…。
翌日。
事業局で打ち合わせがあり私はプチテレビ社内にいた。
あれ?あの人…。
「キミ、どこかで…」
「いや、お会いしたことは…ただ、数年前に銀座のカフェで私が一方的にお見かけしたくらいかと」
「あぁ、あのガラス張りのカフェね。覚えてるよ。僕は綺麗な人は一度見たら忘れないからね。」
「…はぁ?」
「ふふ。これ僕の名刺。いつでも電話して。」
「…。」
そう言うと玉澤は「I LOVE U♪ U LOVE ME♪」と何やら口笛を吹きながら去って行った…。
あの日、彼と一緒にいた先輩がプチテレビの看板アナウンサー、玉澤竜二だと知ったのはしばらく経ってからだ。
それにしても完全に遊びなれてるな…私はあーゆータイプに最も引っかかり易い…気をつけよ!
玉澤さんの名刺をしまっているその時、長い渡り廊下の向こうに有賀シュウコがいるのが見えた。
女性初の室長として、またプチテレビのお局アナとして名の知れたアナウンサーだ。
そしてその隣には…
有賀シュウコと楽しそうに談笑する伊藤純保がいた…。
…やばい、どうしよう!え?どうしようとかいって、どうせ覚えてないよね?私のことなんて。
冷や汗だか脂汗だかわからない汗が背中を流れ始める。
でも、彼は近づいてくる…そして。
「…!?」
ヤバい!目が合った!逃げたい!でも今さら逃げられない!わー、どうしよう!!
彼が有賀シュウコに一言、二言、なにか言って別れた後、満面の笑みを浮かべて私に近づいてきた。
「美香さん!うわー、お久しぶりですね!お元気でしたか?」
「覚えてくれてたんだ…」
「当たり前ですよ!僕、電話待ってたのに、全くかけてくれなかったですね!
正直、期待してたんですけど…」
「…え?いや、ごめんなさい!なんか、かけることなくて…いや、悪い意味じゃなくって!」
「あはは、いや、いいですよ、またこうして会えたんだし。今日はお仕事ですか?」
「そうなの。今、湾岸合衆国の仕事してて」
「そうなんですね!
…美香さん、名刺でいいから、連絡先教えてください」
「あ、失礼しました…改めまして」
「ありがとうございます!今度は僕から連絡します」
「えぇ…」
「じゃあ僕、この後、打ち合わせなんで…必ず連絡します!」
そういうと彼は爽やかに去って行った…。
会ってしまった…とうとう…どうしよう、一気にまた気になり始めちゃったよ…。
いい歳して、年下にハマったらどうしよう…。
会ってしまった…。
離れていても目を閉じると君が浮かぶ 言い聞かせるんだ 同じ空の下に居ることを…
あれから5年。美香のことは忙しい毎日の中で、たまに思い出しては淡い期待を胸に秘めてきた。
Let me love you いつまでも止められないこの想い Only one…
ここのところ僕はずっと新人アナウンサーのハルナが気になっていたんだけれど…。
だめだ、またスイッチが入ってしまった。
いつ電話しよう…。
「…とりあえず電話しなきゃ始まらない、か」
純保は意を決し…。
「そろそろ帰ろうかな…うーん」伸びをしながら時計を見ると21時だった。
「今日はみんなNRか…」
閑散とした社内で独り言ちながら帰り支度をしていると、携帯が鳴った。見覚えのない番号。
「もしもし?」
「僕です、伊藤です。こんばんは。」
「あ…こんばんは…」
「美香さん、まだ仕事中ですか?会社ですか?」
「うん…今から…帰るところだけど…」
「良かった!美香さん、外で待ってるから。」
「え?!」
「早く出てきてね!」
…嘘でしょ。
慌てて支度をし外に出ると…
本当にいた…。
ドアを開けて待っている…私を…信じられない…。
「お疲れ様!」
「どうしたの急に…」
「入ってた予定がなくなっちゃって、すぐに美香さんのことを思ったんだ」
「え…」
「ご飯まだでしょう?さぁ、乗って!」
私はただ黙って乗り込んだ…。
その日は彼の行きつけだという飾らないお店でいろいろな話をしながらご飯を食べ、
最後は家まで送ってもらったんだけれど、お店を出た後…。
ビルの地下駐車場に着くと
「…さぁ、乗って」
「…え?」
「ほら、乗って。」
私は訳が分からないまま、彼が指定した後部座席へ乗り込んだ。
「...この瞬間をずっと待ってたんだ…もう分かるでしょ?僕が今 君にすることを…」
「!?」
「どれだけ愛してるか話せることなら 本当は愛してないんだ…だからBaby 証明するよ」
…私は目を閉じた。
その翌週の木曜日。
朝、通勤電車に乗り、ふと中吊りを見て…この目を疑った。
“抱かれたいアナウンサー” 初スクープ!
美女とムフフ♡ 車中愛、撮った!
「…!!!!!!!!!!!」
まさか…週刊文秋に撮られていたなんて…嘘でしょ?!
私の顔はモザイク加工されているけど…彼が…彼が大変なことになる…どうしよう…
社長に相談しなきゃ…あぁ…やってしまった…この大事なイベントのタイミングで。
出社すると早々、社長に呼び出された。
「社長、ご迷惑おかけしてすみません…」
「いや、別に高村が誰と恋愛しようが問題ないよ。お前も週刊誌デビューか〜。ウケるな!」
「社長〜〜〜、ウケるとか言ってる場合じゃないですよ…重要な取引先ですし…本当に何てお詫びしていいか…」
「大丈夫だろ〜。相手が有名だからって、お互い大人だしなぁ。
そうそう高村、プチテレビの話が出たついでだけど、湾岸合衆国、今年は取りやめだ」
「えぇ!?どうしたんですか急に…って、私のせいですよね…?すみません!」
「いや、関係ないよ。今年はやめたんだ。既に手伝ってもらってたこともあるのに、悪いな。」
「いえ、それは構いませんが…大丈夫ですか?あの、本当に私のせいじゃ…」
「いや本当に関係ないからお前の件は…ったく…脅しじゃねえから聞け崩壊寸前…」
「…え!?」
「あぁ、ごめん、なんでもないんだ。悪い。とにかく、お前のせいじゃない。俺の決断だ。」
社長は険しい顔をしてそのまま黙り込んでしまった。
「…すみませんでした」
私はそっと部屋を出た。
結局その後、なんの風の吹き回しか、プチテレビ事業局の(社長の好みドンズバな)ミーコという女性が
社長の24時間専属アシスタントになってから結局、湾岸合衆国に例年通りサイパー.comが出資することが決まった…。
あれから…彼とは連絡を取っていない。
彼から何度か着信があった…でも、私は出なかった。
留守電にも特に何も入っていなかったけれど、
しばらくして、彼が同じプチテレビの新人アナウンサー、ハルナと恋人宣言したというニュースは見た…。
彼も、5年ぶりの再会で、ちょっと気持ちが盛り上がっただけなのだ。
…仕事をしていれば急速に時間は過ぎてゆく。仕事も、プライベートも。
「僕に恋しないで 未来はないから Woo, I’m Heartbreaker
先を見なくても 今を楽しもう Woo, 夢 見させてあげる…」
昔、龍ヶ崎がよく口ずさんでいた歌を急に思い出した。
目を閉じたら キスして Goodbye…
そう…「どうして」なんて聞かないで 分かってたでしょ 最初から…
〜完〜