狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

イエスキリストの系図 4

2021年02月20日 | 聖書
質問への回答は終えましたが、系図について付け加えたいことがあります。

“イエスキリストの系図 1 “ で書いたように、普通、ユダヤ人の系図は男系図なので、女性が出てくることはありません。 しかし、このイエスキリストの系図には4人の女性が載っています。 それも皆、俗に言う “訳あり“ の女性逹です。
では、この女性逹を一人ずつ、簡単にですが、ご紹介します。

1)タマル(マタイ1:2 )
彼女はユダの長男エルと結婚しました。けれども、エルは罪を犯して神の怒りに触れ、死んでしまいました。
その頃の習慣では、長男が子供を持たずに死んだ場合、その兄弟が長男の嫁との間に子供を作り、長男の跡継ぎにすることになっていました。
ところが、次男のオナンは、タマルに子を与えることを拒んで小細工し、神の怒りに触れて死にました。 タマルの舅のユダは、三男まで死んでしまうのではないかと恐れたので、タマルに三男を与えるのを拒み、タマルに実家に帰って三男が成人するのを待つように言いました。
タマルは、舅が、三男が成人しても、彼女に与える気がないことを知りました。
タマルは、神が舅のユダに与えた祝福を相続する子供をどうしても生みたかったので、舅が旅に出たと聞き、遊女を装います。 その時はすでに妻を亡くしていた舅は、やすやすとタマルの魂胆に引っ掛かり、自分から彼女の客となり、関係を持ったのでした。
タマルは、報酬としての子やぎをもらうまでの保証として、ユダの印章と、ひもと、杖を預かりました。 後にユダが、人に託して報酬の子やぎを送ったのですが、その遊女を見つけることはできませんでした。
それから三ヶ月ほどして、嫁タマルが姦淫して身籠ったという知らせを受けたユダは、「あの女を引き出して焼き殺せ。」と、怒ります。
タマルは、引き出された時に、「私はこれこれの持ち主によって身籠ったのです。 これが誰のものかお調べ下さい。 」と言って、例の印章、ひも、杖を舅ユダに送ったのでした。 ユダは、タマルに子供を持つために三男を与えなかった間違いを認めざるをえなかったのでした。
(創世記38章)

タマルの、“神の祝福を受け継ぐ子孫を残したい。“ という願いは、神のみこころにかなったものでした。しかし、取った手段は、神の目には罪でした。
神様に祈りを通して状況を訴えれば、遊女の真似などして舅を騙さなくても、神様が何らかの解決策を与えて下さったことでしょう。
けれども、神を頼らずに、自分の間違ったやり方で目的を達成しようとしてしまうことは、実際によくあることです。私も、特に、自分の思惑が外れて焦った時、急に思いがけない問題にぶつかった時、そういう失敗をします。
原因は、私が、神様が視野に入らないほど、神様との交わりが希薄になっていたことや、あるいは祈りに対する神の回答を待ちきれない忍耐不足。それに、心の底にこびりついている、自分が正しい、自分のやり方が一番良いと 思う傲慢さではないでしょうか。
いつも謙虚に、慌てずに、信頼して神様の指示を仰げるようになりたいものです。
それはともかく、このユダやタマルのように、こんな罪深い私たち人間側の失敗にもかかわらず、神様は、一方的にその憐れみによって、お約束通り、救い主なるイエス様をこの地上に送って下さったのです。なんと、感謝なことでしょうか。

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イエスキリストの系図 3

2021年02月16日 | 聖書
さて、系図についての最後の質問について、調べてみましょう。

3)マタイ1章11節に、「ヨシヤはバビロンに移されたころ、エコニヤとその兄弟たちの父となった。」とありますが、ヨシヤは移住していません。 また、ヨシヤの子は、エホヤキム(エコニヤの父)なのでは?

旧約聖書では、系図の省略は、一般的であり、子と言う時、子でも孫でも曾孫でもあり得るということと、また、ヨシヤ王とエコニヤ王の間にエホアハズとエホヤキムという二人の王が省かれていることは前回の“イエスキリストの系図 2“で書きましたので、そちらをご参照下さい。

さて、質問者さんが、おっしゃったように、ヨシヤはバビロンに移住していません。 これは、聖書の日本語訳の問題です。 比較的新しい2017年発行の口語訳聖書では、
「バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。」
と、訳されています。 移住させられたのは、その時代にヨシヤの孫として生まれ、王位に着いていたエコニヤです。



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イエスキリストの系図 2

2021年02月15日 | 聖書
今回は、次の質問の答えを調べてみました。

2)マタイによる福音書の系図で「ヨラムにウジヤが生まれ…」(1章8節)と
ありますが、旧約聖書の歴代誌では、ヨラムはウジヤの 祖祖祖父にあたっており ウジヤは、ヨラムの子では、ありませんが ?“


旧約聖書では、系図の省略は、一般的です。 家系を語るとき、その血統上の全ての人の名を記さず、主要な人名のみを挙げるのです。
例えば、エズラ記で、エズラが彼の先祖のアロンからの血統を記す時、その途中の7人の名を省いています。(エズラ 7 : 1~5)
しかし、エズラか、その後継者によって記されたと言われている歴代誌では、エズラの兄の系図に、その7人の名も記されています。(1歴代誌 6 : 1~14)
ですから、聖書では、子と言う時、子でも、孫でも曾孫でもあり得ます。


*マタイによる福音書1 章の系図の場合を見てみます。

1)3、4 節で、パレス~サルモンまでが5 世代ですが、同じ年代に生きたエフライム~ヨシュアまでは 10世代になっています。(1歴代誌7:22~27)
ですので、何代か省かれている可能性があります。

2)8節では、質問者さんがおっしゃっていられるように、ヨラムとウジヤまの間の、アハズヤ、ヨアシュ、アマツヤの3人が省略されています。

3)11節では、ヨシアとエコニヤの間のエホアハズ、エホヤキムが省略されています。


*省かれた王逹について調べてみました。

1)アハズヤ---彼は、彼の母親がイスラエルの王オムリ<注1>の孫娘の悪女アタルヤ<注2>であり、彼自身も母の助言により、主の目に悪を行ったため滅びに至り、在位もたった1年だけでした。

<注1>王オムリ---“主の目に悪であることを行い、彼以前の誰よりも悪いことをした。“ (1列王記16:25)と、書かれています。

<注2>悪女アタルヤ---自分の子(アハズヤ王)が死ぬと、ただちに王の一族全員を滅ぼし、彼女自身が国を治めました。

2)ヨアシュ---彼は、祭司エホヤダに助けられたのに、エホヤダの死後に偶像礼拝者になってしまい、それを警告したエホヤダの子ゼカリヤを殺しました。

3)アマツヤ---彼は、神によって勝利を与えられたのにかかわらず、偶像礼拝に陥り、神の怒りを買い、滅ぼされました。

4)エホアハズ---“主の目に悪であることを行った。“ (2列王記23:32)と、書かれています。
彼が王位に着いたのは3ヶ月だけで、エジプトに連れて行かれ殺されました。

5)エホヤキム---彼はひどい偶像礼拝者で、あまりにも神の前に邪悪だったので、神は預言者エレミヤを通して、エホヤキムの子孫からキリストは出ないと宣言されました。(“イエスキリストの系図 1 “ ご覧下さい。)

こうして見ると、なぜ神様が、彼らを省かれたのかが、わかるような気がしますね。

(エマオ出版“マタイによる福音書“参照)
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イエスキリストの系図 1

2021年02月10日 | 聖書
今回は、イエスキリストの系図についての質問について調べてみました。

1) マタイによる福音書とルカによる福音書でイエスの系図が違っていますが、どちらが、正しいのですか?

これは、どちらも正しいのです。

まず、マタイによる福音書に書かれているのは、イエスの父ヨセフの系図です。
ユダヤ人にとって、キリスト(ユダヤ人にとってのメシヤ)がアブラハムの子孫であり、しかも、ダビデ王の子孫であることは、欠くことができない条件でした。 なぜなら、神様は、旧約聖書において、この二つを条件を満たして、キリストが生まれることを約束されたからです。 けれどもここに、ひとつ問題がありました。
この系図の中には、エコニヤという人がいます。 このエコニヤの父がエホヤキムという王でしたが、彼があまりにも神の前に邪悪だったので、神は預言者エレミヤを通して、エホヤキムの子孫からキリストは出ないと宣言されました。 けれども王位継承権は彼の家系に与えられているのです。
このマタイによる福音書の系図は、ダビデ王の子孫の中でも王位継承者の系図であり、イエスの父、ヨセフはれっきとした王位継承者なのです。ですから、エホヤキムの血を引いてしまっています。
けれども、イエスは、聖霊によって懐妊した処女マリアから生まれたのですから、エホヤキムの血を受け継いだヨセフの血を引いていません。けれども、戸籍では、ヨセフの息子なので王位継承者なのです。

では、ルカによる福音書の系図は、誰のものでしょうか? これはイエスの母、マリアのものです。
“ このヨセフは、ヘリの子であり…“ と、始まっているため、この系図はヨセフの系図だと思ってしまうのですが、ユダヤ人の系図は、男性系図です。 系図の上では跡取りは男の子です。 仮にヘリに息子がいなかったとすれば、ヘリの跡取りはヨセフとなります。 “ ヘリの子“ は実際はマリアでも、系図には男性である、マリアの夫のヨセフが記されるわけです。
さて、この系図によると、マリアもダビデ王の子孫ですが、マリアは、呪われたエホヤキムの血を引いていません。 要するに、イエスは、父方も母方もダビデの子孫ですが、実際にはエホヤキムの血を引かず、戸籍上では、王位継承者ということになったのです。
これで、神様がユダヤ民族に約束された、キリスト(メシヤ)の条件が満たされたことになります。

ヨセフもマリアも、このような神様の緻密なご計画によって婚約に導かれたとは、思ってもみなかったことでしょう。
しかし神様は、現在も、同じような緻密なご計画を持って働いておられます。


(エマオ出版“ルカによる福音書“ 参照)
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信じるだけで救われる 11

2021年02月09日 | 聖書
もともとは、コメントでいただいた
“無戒律な宗教は、人類の道しるべとして、役にたたないのではないでしょうか?“
という質問に答える形で始めた、“信じるだけで救われる“ の記事ですが、説明し始めると、きりがなく、今回も含めると11回にもなってしまいました。 最後の方は、どちらかというと、クリスチャン向けの記事で、未信者の方には、分かりにくかったかもしれません。

けれども、全体を通して、
*キリストを信じる信仰は、人間が創った宗教ではないこと
*また、それは、人間社会を良くするためでも、人間を良くすることを目的とした信仰ではないこと
が分かっていただけたのではないでしょうか。
イエスキリストが十字架にかかって死んで下さったのは、私たちを罪の刑罰である、永遠の地獄から救うためだったのです。

しかし、頭で理解しただけでは、すべてが無駄になってしまいます。
例えば、あなたが病気だったとします。その病気を治すための薬を手に入れました。 その薬は何色で、大きさ重さはどのくらいで、どんな成分でできているのか? 体のどこで、どんな作用をして、どんな風に効いていくのか?色々と、頭で知ることはできるでしょう。 けれども知るだけでは、あなたの病気は治りません。 病気を治すためには、その薬を飲まなければならないのです。
それと同じように、イエスキリストを、十字架であなたの身代わりになって、あなたが受けるべきだった罪の罰を受けて死んで下さった救い主として、あなたの心に受け入れなければ、あなたが、どれだけキリスト教に通じていても、どれだけ聖書について知っていても、何の意味もありません。
けれども、反対に、薬について何の知識が無くても薬を飲めば病気が治るように、単純にイエスキリストを救い主として信じれば、罪が許され永遠の天国に行ける者となるのです。
ひとりでも多くの方が、イエスキリストを救い主として信じてくださいますように!

“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。“(ヨハネ 3:16 )
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