本宮市議島田和夫のプログ

毎週一回 街の動きと議会の中身を簡略にわかり易く、楽しみながら報告していきます。

最後のブログにします

2011-07-29 08:13:51 | Weblog
 地元の方より、「親戚は誰もいず力を貸して下さいと生まれて数ヶ月の子供さんを連れて挨拶に来た40年前の姿今でも覚えていますよ」と。そして「あれから40年ですね。本当にご苦労様でした」と声を掛けて貰いました。
 子供3人順調に育ち6人の孫がいますが、残念ながら地元に誰も居ません。65歳の高齢世帯にカウントされる年代にもなり、隣近所の孫さん一緒の賑やかな生活が羨ましく思えるこの頃です。
どうも私は機械音痴なのか、ろくにパソコンもワードしか出来ず、それも写真の取入れ等々少々手がかかる事には全くの音痴です。このブログもパソコン教室の先生に立ち上げて貰い、時々は市役所職員にも助けて貰い何とか継続して来る事が出来ました。
そして普段私と接触のない方々からは、コメントを頂きブログの楽しさを教えて貰いました。
 コメントを読む楽しさがブログを作成する楽しさにもなりつつある時期になりましたが、今回で最後のブログにします。
 31日をもって市議会議員の任期もきれますから、議員の島田ではなく一市民の島田のブログ挑戦でもと心はあるのですが、果たして・・・・・?。
 最後に、市長にお会い話した中身を。
◎本宮市のアドバイザーの野口先生は、土壌学者ではあるが放射線学会にも知識は豊富で、しかも学者としても誠実な対応に、本宮市の放射能対策の全てを相談している。又内部被曝に詳しい専門先生にも相談したく今探していると。
◎本宮地区の放射線が高い地域には除染を本格的に検討し、各町内会長会議等でも相談をし実践していく。
◎又この大震災で県内市は、姉妹都市を結び相互援助をしている。本宮市はまだ何処もない。申し出の有難い自治体もあり友好姉妹都市を早期に結びたい。
◎震災にもなり、伸び伸びにもなっているが、JRとも相談し、駅舎と自由通路を整備し、本宮駅を是非表玄関口にしたい。JRも本宮駅の現状自覚は「手を加えなさ過ぎた」と。
◎本宮の一品とは何か模索中と。各自治体や上部機関への訪問・陳情等々時に欲しいです。本宮のこれ一つと云える宣伝物が。
◎アサヒビールの生産出荷は動きませんと。震災にそして放射能幸いにも本宮の水道水は汚染から免れましたから。でも今回の牛のセシウム等々が予定より遅れるそうですが、本宮の生産ラインは会社として責任を持って再開します。社長との約束を取り付けている。
等々の話を・・・。放射能物質に左右されてしまう行政ではなく市民政策を前に進める自治体に、市長も職員もどんなに願っているでしょうか。その為にも市民不安解消ですがね。
原発の恐ろしさを赤裸々にし、原発なき日本を。お世話になりました。