地方電視台のうっかり今日この頃

電視台クッシーの回顧録。電視台の裏側、カフェ&グルメ、料理、音楽、旅など日々のブロ具。

奇跡の生還!病に携わってくれたドクター、家族、友人に感謝です。

2014年09月27日 | その他

(入院から退院まで)いろいろありましたが・・・簡潔にまとめました(笑)。

<6月中旬>
嫌な感じの咳が続く・・・さらに左足のふくらはぎに痛みが。

<6月25日>
咳が止まらないため、わたり病院へ。血液データに異常が~Dダイマーが高かった(高いと血液の凝固の疑いあり)。斉藤先生から医大の脳外科医(主治医)に連絡するようにと言われる。医大に連絡。「あす来てください」とのこと。この日の夜はお世話になったOさんの送別会だった。足を引きずりながらの参加。

<6月26日>

 医大の脳外科医で受診。左足のふくらはぎ周辺の静脈(血管)に血栓(血の塊)ができていて、血の流れが悪くなって、ふくらはぎが腫れ(むくみ)、足の痛みがあるのではとのこと。で・・・・病名「深部静脈血栓症」。即入院。循環器科へ治療が引き継がれる。通常、2週間ぐらいで治るらしい。クッシー自身は少々安心していた
 ただ、足の血栓が肺や心臓に飛ぶと血管が詰まり突然死の恐れがあるため、おなかの静脈にアンブレラ型のフィルターを入れる(図解)手術を行う(ひどい咳は小さい血栓が肺に飛んでいたためではという医者の見解)。首からカテーテルを入れておなかまでフィルターを入れる手術。
思ったほど痛みもなく30分ぐらいで終わったため苦痛ではなかった。フィルターを入れたおかげで飛んだ血栓が肺や心臓に飛ばずに済み、助かった。

 血栓を溶かすために、ヘパリン点滴開始。日ごとに左足の痛みが治まってくる。ただ、足の違和感はしばらく続く。静脈の血栓はあっても、新しい毛細血管ができて血は流れるらしい。人間って不思議ね。2週間過ぎたころ、今度は右足の付け根、ふくらはぎが痛くなってきた。私も先生も、足を動かさなかったことによるちょっとした筋肉痛ではと思って楽観的だった。

<7月18日~>
 そんな中、おなかのフィルターを入れ替える手術をしようということになる。詳しくはわからないけど、そのほうが体にはいいらしい。

手術にあたり男性器の毛を剃ることに・・・30歳ぐらいの可愛い看護師がパンツをおろし陰毛をバリカンで剃る。屈辱的。というより恥ずかしかった。
 循環器の先生は、右足に血栓が出来ているかは調べればわかる・・・と言っておきながら、とりあえずフィルター交換の手術へ。
右足の付け根に麻酔注射。これが痛い!そして若い医師がカテーテルを入れようしているが、どうもうまくいかないらしい!局所麻酔による手術のため意識がはっきりしていて、その慌てぶりがハッキリわかる(笑)。
 手術スタートから1時間半が過ぎ、もうそろそろ終わりだろうと思い、ドクターに「今、手術全体の何%ぐらいですか?」って聞いたら、「まだ始まったばかりです」「どういうわけか、カテーテルが血管に入っていかなくて・・・」とのこと。
これには、がっかり。手術中だったが、血栓を確かめるため足に注射をして(これまた痛かった)造影検査。やはり、右足にも血栓が出来ていた。そのせいで静脈が詰まってカテーテルが入っていかなかったらしい。手術前に確認すれば、無駄な手術しなくてもよかったのに・・・というのが、私の感想。中途半端な状態で手術終了(無駄な痛みと傷が残ったが、しばらくして治った)
※おなかのフィルターは現在もそのまま。そのままでも問題とのこと。
 結局、循環器科はお手上げ状態。血液内科に回される。
 その日の夜、血液内科の先生から重大な話が・・・

急きょ呼び出されたカミさんと先生の話を聞く。
「単なる深部静脈欠損症ではなく、おそらく先天性アンチトロンビン欠損症と思われます。そのため、血栓を溶かすヘパリンを点滴してもあまり効かなかったようですね。血液内のアンチトロンビン(ATⅢ)が普通の人より少なく、そのせいで、血が固まりやすくなっていて、それで足の静脈に血栓ができたのでは。非常に稀な病です。」とのこと。いわゆる遺伝性の病でたまたまこの時期に発症したらしいです。ここ医大ではなく、仙台の専門病院への転院の話もあったが、とりあえず、医大でアンチトロンビン(血液製剤)を点滴補充する治療をしていこうということになった。(調べたらうちの母親、おばさんもこの病でした)
もしこの病であれば去年起きた脳出血(脳の静脈に血栓ができて出血した)とも繋がる。原因がわかりつつあったので、少々ホットしていた。しかし、完全に治るのか?という不安もあった。

<今回血栓が出来たのは、血液をサラサラにするワーファリンを一か月くらい前に止めたことによるものではと思っている。5月の終わりに痙攣をおこし、ワーファリンから痙攣止めの薬に変えていたのだ>
 そういえば、うちのカミさんはほぼ毎日見舞いに来てくれた。着替えの準備などはホント助かった
 血液内科の病棟は4人の相部屋。そこで驚くことが・・・担当医の一人が偶然にもかつてうちの社にいた女性の先輩でした(うちを退社後、医大へ通い現在、循環器、血液内科の研修医)。この原田先生にはだいぶ救われた。昔話をするなどして心が落ちついた。でも「クシダくん、病気は手強いよ」とも言われていた。
 そして、アンチトロンビンを投入し約1週間。ようやく血液の数値も安定してきた。しかし、足の痛みはまだあった。あとは、血液の数値を図って落ち着くのを待つのみ。ということなり、医大→済世会福島総合病院への転院の話が出てくる(本来医大は緊急の患者さんを受け入れるところでその後は別の病院へということらしい)。
 このころから結構熱が出てきて(38度前後)、体のだるさがあった。熱の原因は、右足の静脈が炎症を起こしていて、それで熱をもって、発熱しているらしい。
 アイスノンで額を冷やし、ロキソニンを飲んで対応。意識も朦朧としていた時もあった。病室で生涯を閉じるのではと思ったことも・・・・歩くと右足が痛く車イス生活が続いていた。

 <8月7日>
 済生会福島病院へ転院。私の主治医、池田先生が、済生会へ週に1回診察に行っていて、院長も血液内科が専門ということもあり転院。この日も結構熱があった。38度くらいかな。カミさんの車で済生会へ移動。少し落ち着き、熱も下がる。
 そして入院二日目。熱があったのか、午後もベットで横になっていた。しばらくして、喉が渇いたのか、自動販売機へジュースを買いに・・・よく覚えていないが、そこで倒れて気を失ったらしい。急きょ医大へ救急車で逆搬送
医大で脳の検査を受けるも異常なし。ICUで一泊。その後落ち着き、再び、医大での入院生活始まる。4人の相部屋→個室へ。血液の数値は日々よくなっていき、ようやく退院へ。足の痛みはまだあったが少しずつ歩けるようになっていた。

<8月26日>
 入院していても家にいても治療は変わらないということで医大退院~自宅療養生活始まる。経過を観察。血液をサラサラにする薬&無理せず歩くリハビリ。退院後2回ほど医大へ検査に行ったが、血液内のアンチトロンビンの数値もそれほど低くなく、血液製剤の補充の必要もなく、血栓を示す値もだいぶ下がっていてひとまず安心。だが、長い距離を歩くと時々右足のふくらはぎが痛くなる。血管内の血栓は完全に消えたわけではなく、炎症も多少は起きている。無理は出来ない状況であるのは確か。10月1日、3ヶ月ぶりの出社予定。


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